131 標20話 命の妙薬さらさらブラッドですわ 5


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 九歳になったルーンジュエリアはカレーライスの完成に向けて本腰を入れることにしました。

 地球世界のカレーには国によって色々な傾向があります。

 小麦粉を使わないインド風、小麦粉とブイヨンのイギリス風、カレー味のデミグラスソースと言うべきフランス風、小麦粉を使わない代わりに酸味を加えたタイカレー、そして日本風カレーです。

 カレーライスには『インド、イギリス、フランス風。掛ければ全部、日本風』という言葉があります。

 世界各国にカレーライスはありますが、注文した料理のライスにあらかじめカレーが掛けてあるカレーライスは日本だけです。

 言葉の綾に感じますが、和風と日本風はかなり違う調理法です。


「ジュエリアにとってカレーライスとは何か?ジュエリアにとってのカレーライスとは何か?

 これを見極めればジュエリアが作るべきカレーライスの姿が見えてきますわ」

「ほっほー。それでその姿は見えましたかな?」


 ルーンジュエリアに対してサンストラック邸に務める料理長グランブルは訊ねます。

 しかしお嬢様は首を横に振ります。


「カレーライスとは奥深いものですわ。今のジュエリアにはその全体像がおぼろげにさえ見えません。だから形から入りますわ」

「形からですか。最初から自分の理想を追い求めるのではなく、他人ひとの模倣を極める。良い判断だと思いますよ」

「あのー、グランブルさん。ジュエリア様はそこまで深く考えていないと思います」

「いいのですよユリーシャさん。結果が伴えば『無事、これ、名馬』です」

「ユリーシャ。そう言う事ですわ」


 色々と調べた結果、ルーンジュエリアが下した判断は「コリアンダーとクミンが入っていればあとはどうにかなりますわ」でした。

 インドはスパイス大国ですが、家庭の味と言うべきカレー粉に多用されるのは数種類です。

 日本の家庭にはたくさんの調味料がそなえられていますが、実際に多く使うものが数種類であるのとおなじ理由です。


 ターメリックはカレー色の元ですからこれは多く入ります。

 しかし入れなくてもカレーには困りません。

 お嬢様は無難な味としてイギリス風の作り方を選択します。

 目標はインドカレーかジャワカレーですがその味を知るのは自分一人です。

 これは、できた結果が美味しければ誰も困らないことを意味します。


「成る程。スープやシチューを作って、その味をカレー粉で決めればそれはカレーなのですな?」

「ですわ」


 お嬢様はグランブルの言葉を追認します。

 しかし前世の記憶を持つお嬢様にはこれを補足すべき知識があります。


(優秀な料理長であるグランブルならジュエリアの細かい指示がなくてもカレーライスを完成しますわ。それがどの様な進化系であってもそれはそれで素晴らしい料理になる筈です。ならばジュエリアが教えるべきは陥りやすいミスの説明ですわ)


 そうお嬢様は判断します。


「グランブルにカレーライスの完成を命じるに当たって、ジュエリアには教えるべき大切な事がありますわ」

「ほう。どのような事でございましょうか?」

「それはミルクを入れても辛口のカレーライスは甘口にならないと言う事ですわ」

「ふむ。ご説明をお願いいたします」

「これまでにグランブルはいくつものカレー味料理を食べています。その経験からグランブルはカレーが、からい料理を美味しく楽しむために適した味付けである事を知っています。ですが子供は味覚が敏感です。からい料理など、とてもではないけれども食べられたものではありませんわ。だから辛さを抑えるためにミルクやヨーグルトを入れて味付けをまろやかにします。

 ここが大きな間違いです」

「ふむ、判りません。どこに間違いがあるのでしょうか?

 からや臭みを抑えるためにミルクを加えるのはごくありふれた料理法ですぞ?」

「ジュエリア様。私も分かりません。私が分かるように教えては頂けますか?」


 ルーンジュエリアは言いました。

 味がまろやかになっても甘口ではありませんわ。

 それは大切なことを意味します。


「注意すべきはミルクの取り扱いです。

 ミルクやヨーグルトを入れれば入れるほど辛さは抑えられて味がまろやかになり、辛味の陰に隠れていたほのかな味わいが顔を出します。しかしそれは大きな罠なのです。

 からとはなにか?その正体は味ではなくて痛みです」

「痛み?お嬢様、そんな話は初耳です。それは事実なのでしょうか?」

「ジュエリア様。グランブルさんが分からない事は私にも分かりません!」

「ユリーシャ、例えば唐辛子すいを作ってまぶたに塗ったとします。どうなると思いますか?」

「痛くなります」

「なぜ痛くなるのか?それは、その痛みこそがからさの正体だからです」


 ルーンジュエリアはそう説明します。

 唐辛子を水に浸してからい水を作り、まぶたに塗る。

 当然まぶたは痛くなります。

 これはからさの正体であるカプサイシンが粘膜を刺激するからです。

 だから舌や胃腸を守るためにミルクを飲みます。

 あるいは料理にミルクを多く加えて刺激を抑えます。

 これのどこに間違いがあるのでしょうか?

 二人にはそれが分かりません。

 そんな二人に対してお嬢様は説明を続けます。


「ミルクを入れれば入れるほど辛さは抑えられて味がまろやかになる、最大の問題点はここですわ。ユリーシャ。どこが問題ですか?」

「まったく分かりません!」

「グランブルですわ」

「ふーむ。からい料理が子供の食べられる甘口料理になる。これが間違いだと言われるのでしょうか?」

「それは目先の問題ですわ。料理を作る者はその先の結果を予想しておく義務があると言う話です。

 甘口派と辛口派の二人が同時にカレーを食べる食事を想定しますわ。この時、甘口ベースを作っておいてこれを辛くする事には問題がありません。ですが辛口ベースを作っておいてこれを甘く調理すると問題が発生する。

 この二つの違いはなんですの?出来上がった甘口カレーの中身で考えると分かりますわ」


 グランブルとユリーシャは考えます。

 ふと何かを思いついたらしいユリーシャが料理長に訊ねます。

 メイドの言葉遣いが変わった事にグランブルは気が付きません。


「グランブル様。辛口カレーを甘口カレーにするとまずい事になる違いとは、辛み成分の有無でしょうか?」

「成る程。お嬢様が言われた中身の違いとはそこですな!さすがはユリーシャさんです。よく気付かれました」

「いいえ、これで終わりではありません。ルーンジュエリア様は味ではなく、その先を見るべきだと言われました。ですからそれがなにかの悪さをすると考えられます。

 辛み成分の含まれた甘口カレーが内包する問題点とはなにか?グランブル様には心当たりになりそうなご経験がございますか?」

「ほう、そうですな。料理人ならば食した客のそのあとをも見ておくべきだと言われたお嬢様のお言葉から察するに、食事中ではなくて食後の事でしょう。……ならば、……なるのでしょうか?」

「なにか、お心当たりがございますか?」

「ふむ。一つだけあります。それも、当然すぎて誰もが知っている当たり前の事です、

 お嬢様、よろしいでしょうか?」

「ふみ?」

「辛み成分を内包する甘口カレーの問題点とは、それを食べた子供達が食後に腹痛を起こす事。いかがですかな?」

「その通りですわ、グランブル。

 ミルクは舌や胃腸を保護してからさの刺激を感じさせません。ですが、実際にはそれを食べて体の中にそれがあるのですわ。ミルクとはからさを感じさせないものであって、味が消えても効果を消すものではない。これが最も陥りやすい失敗ですわ」

「ふむ。確かに私も勘違いしておりました」

「はー。相変わらずルーンジュエリア様には常識はともかく、知識がある事は実感しますね」

「ユリーシャ。常識はともかく、とはどういった意味ですの?」

「ジュエリア様がお持ちの知識で解釈した通りです!」


 ユリーシャはオーロラ姫の言葉の意味を明るく答えます。



 医食は同源です。

 漢方薬のような各種素材の存在を発見確認したルーンジュエリアは、一年ほど前からカレーライス再現計画を進めていました。

 その集大成が完成しようとしている今、お嬢様はグランブルの手腕をユリーシャと共に調理場で応援しています。

 そんなさいちゅうです。


(ユーコ。わたしです)

「ふみ?コレクト」


 ルーンジュエリアの頭の中にグローリアベルの念話が届きます。

 お嬢様は短縮呪文を起動して双方向回線を確保します。


(チャーリーがカレーライスの試食を所望です。開発状況の進展はどの位置ですか?)

(ふみ。もっとも一般的と思われる既製品を軸にまずまずの状態ででき上がっていますわ)

(そ。ではチャーリーにそれを振る舞いたく思います。こちらとそちらのどちらで歓待するをしとしますか?)

(完成品をフレイヤデイの方々に紹介する手間をはぶけますわ。そちらでの試食会を希望します)

(分かりました。期日は明日あすで行けますか?)

(ふみ。なんちゅう前十時辺りでお邪魔しますわ)


 ルーンジュエリアはグローリアベルにそう答えます。

 そんな会話を続けながらもお嬢様の胸には一つの疑問が芽生えていました。

 それは侯爵令嬢の言葉遣いについてです。


(ところでリア様)

(なんでしょう)

(おそばにお家の方が多くいますの?)

(侍女や侍従、騎士団員で十数名ほどです)

(やっぱし)

(あによ。あにが言いたいのよ)

(おぃ様に粗野な言葉は似合いませんわ)

(……。ユーコ、待っております)


 あとで見てらっしゃい。

 グローリアベルは会話を続けると更にからかわれるだろう事を推察して、会話を打ち切ります。

 ルーンジュエリアは明日あしたの試食会に向けた準備の指揮を始めます。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「おぃ様。ルーンジュエリア様をお連れいたしました」

「ご苦労です。

 ユーコ、らっしゃい」

「お招き頂き感謝をいたしますわ、リア様。準備万端抜かりなしですわ」

「そ。じゃ、確認ね」

「「アイ・オー」」

「ぶ!」

 

 グローリアベルとルーンジュエリアは互いに歩み寄るとハイタッチをします。

 たったそれだけの事です。

 周りを囲む侍女や侍従たちにはそれはただの挨拶に見えます。

 ですがファイヤースターターは違います。

 彼女は二人が使ったコア・イントロダクションの魔法術に気付きます。

 あまりの非常識さに驚いて吹き出します。


「あんた達!なにやってんのよ!」

「ふみ?ただの挨拶ですわ?」

なんのやり取りしてるのかって、聞いてんのよ!」

「いちいち言葉で現状確認するよりも楽で手っ取りばやいですわ?」

「いやー。そうだろうけどさー。普通、やる?」

「チャーリー。悩んだら負けです。わたしはそう思っています」

「あんたも当事者でしょ!あんた達二人の事を言ってんのよ!」


 などとにぎやかに試食会は始まります。

 まずはライスの確認です。

 ファイヤースターターからは、皿に載って出されるご飯の炊き上がりについて駄目出しされることはありませんでした。

 次に三人はカレーソースを掛けてその味を楽しみます。

 今日のカレーはとろけるほどに煮込まれた鴨肉です。


「ん-。私は中辛かなー」

「わたしもチャーリーに一票です」

「残念ですわ。ジュエリアはまだ甘口なお年頃ですわ。味はどうですの?」

「満足」

「私もこれで良いと思います。バリエーションについては調理場に一任して構わないでしょう」

「ジュエリアも同意見ですわ」

「ん-、異議なしね。今後を楽しみにしているわよ」

「期待には応えます」

「ふみ。ジュエリアもグランブルに伝えておきます」


 数百年振りのカレーライスを十分に堪能したファイヤースターターは先に帰ると言い出します。

 彼女はすでにルーンジュエリアたちと同様に空を経由した長距離転移を身に着けていました。

 外へ出ると玄関前まで見送りについてきた二人に向かって声を掛けます。


「そうだ。ユーコたちに一つだけ聞きたいことがあるんだけどいいかしら」

「もちろんいいですわ」

「令和」

「ふみ?」

「リアは知ってる?」

「わたしも知りません。レーワとはなんですか?」

「知らないのならいいわ。あまり大切な事でもないし。

 じゃ、またね。ワープ」


 ファイヤースターターは遥か上空へと転移します。

 残った二人は向き合って微笑み合います。

 ところで二人には気になる事がありました。


「ユーコ。レーワってなんでしょうか?」

「リア様がご存じない、この世界の事をジュエリアは知りませんわ」

「それもそうね」


 ルーンジュエリアの前世が地球世界から退去してこの世界へ引っ越したのは平成二十八年です。

 だからお嬢様は平成が五十年は続いただろうと思っています。


 一方であいサヤカが地球世界とたもとを分かったのは令和七年、彼女が十一歳の時でした。

 この時サヤカは一つの勘違いをしました。

 地球世界とファンタジー世界の時間の流れが同じだと思い込んでしまったのです。

 自分の年齢はすでに七百五十歳。

 だから地球世界も七百五十年後の世界になっていると思い込んでいます。

 もしも地球からの転生者が現れても自分が覚えている世界を知っている人は生まれてこないだろうとあきらめてしまっていました。



 こうしてファイヤースターターはルーンジュエリアたちとの友情を確かなものにしました。

 二人は彼女が飛び去った空をいつまでも見ていました。

 そんなファイヤースターターが今現在何処どこでどうしているかと言いますと――、



 未だグローリアベルの屋敷に厄介になっているのです。


「だって私が姿を消したら陛下の招集があった時に困るのはリアのお父様よ?」

「ご協力、よろしくお願いいたします」


 だ、そうです。

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