084 標15話 エリスセイラ・哀しく美しくですわ 2


 その頃エリスセイラは実習を兼ねた算数のお勉強をしていました。

 扱う教材は各種貨幣です。

 ジェントライト男爵家の給与は週末締め日給週末払いです。

 計算を複雑にしている原因はウエルス王国の十二進数です。

 ウエルス王国を除く周辺諸国は全て、十進法で貨幣単位を更新します。

 このためウエルス王国には庶民に流通する十進貨幣が存在します。

 ですが全ての王族貴族は貴族の数字である十二進貨幣を使います。

 ジェントライト男爵家も貴族の末席ですから十二進貨幣で給与を支払います。

 大金貨、金貨、大銀貨、銀貨、白銅貨、銅貨、黄銅貨。

 十二進貨幣十二枚あるいは十進貨幣十枚で次の硬貨へ両替します。


 そんな複雑な貨幣制度ですから給与の勘定は貴族の子供にとってとても意義のある勉強になります。

 具体的には日給週末払いの支給合計額計算と全員の支給総額検算がとても面倒です。

 ジェントライトが貧乏男爵家である事と、現金の管理は家族で行いたいと言った内情から給与計算のために室内にいるのはエリスセイラの母と二人の姉、そして当人の四人です。


「お母様。これで明日あすの分のお給料を揃え終わる事ができました」

「エリス、お疲れ様ね。端数が無いだけでこんなに計算が楽になるなんて、ルーンジュエリアお嬢様のお知恵は素晴らしいものですね」

「そこはルーンジュエリア様でございますから」

「騎士団がおられるサンストラック様ではどうなされているのでしょ?」

「それぞれの騎士団で支給曜日をことにしているそうよ」

「あ!そんな手があるんだ」

「誰が考えたのか判るわね」

「それがルーンジュエリア様でございますから」


 エリスセイラは自分の母や姉たちと顔を見合わせて笑います。

 給与を揃える上で一番大きな障害は端数です。

 簡単に言うと貨幣の種類の多い事が問題です。

 給与の準備に苦労する家臣たちを見ながらルーンジュエリアはこう言いました。


「つまり細かい端数は翌週の給与に繰り越せば良いのです。次回もらえるのですから誰も文句は言いませんわ」


 お嬢様は地球世界で生きていた記憶を持っています。

 だから知っています。

 端数を翌月の給料に回されたからと言ってそれに苦情を唱える人など誰もいません。


 そんな四人の耳に扉をたたく音が届きます。


「もし。エリスセイラ様はおられますでしょうか?」

「居ますよ、リリー。お待ちなさい」

「はい」


 エリスセイラのちょうエリサフィメルが扉の向こうと話をします。

 ジェントライト男爵家にはメイドが数人しかいないので奥方様ですらメイドのお付きはいません。

 当然、三人の娘たちもお付きメイドは持っていません。


「エリス、リリーのお呼びよ。ここはもう終わったから行ってきなさい」

「はい。では、失礼いたします」

「うん、失礼しなさい」


 ちょう次姉じしに追い出されたエリスセイラは廊下でリリーアンティークに尋ねます。

 彼女は行商に来ていたブルーベリー商会の相手をしていた筈です。

 名指しで呼び出されて応対していたのですから何やら困り事でも起きたのかと考えます。

 しかしそれでは腑に落ちません。

 そう言った場合は先輩の従士かメイドが対応すると思われます。

 少なくとも歳幼い子供の出番ではありません。

 であればほかの御用でございましょうか?

 エリスセイラは考えます。


「リリー。わたくしの手が必要な事でも起こりてございますか?」

「はいセイラ様。……私では判断がつきかねます。大変心苦しく思いますがブルーベリー商会の者とお会いして頂けますか?」

「会って、どうしましょう?」

「人となりを、見て頂きたく思います」

「んー。要領を得る事ができません。何を見るのでございますか?」

「私の口からはお知らせしない方が良いのではないかと思います。どうぞ、会って頂けませんでしょうか?」


 エリスセイラはリリーアンティークがルゴサワールド公王家で働いていた事を知っています。

 場数を踏んだ経験数は田舎暮らしのジェントライト男爵家で働くほかの家臣たちに比べて群を抜いた存在です。

 そのリリーアンティークの目をもって判断に困る存在。

 エリスセイラはそんな相手に興味をいだきます。


「その願いは聞き届けてございます。案内をしなさい」

「ありがとうございます、セイラ様」


 はてさて。リリーがわたくしの様な子供を頼るとか、お相手はどのようなじんでございましょう。

 エリスセイラは、背後を気にしながら歩みを自分に合わせるリリーアンティークの後ろを付いていきます。

 ここは自分の屋敷ですから、本来なら貴族が家臣のあとを付くなどありません。

 来客と会うのだから護衛のためにリリーアンティークが先導すると言った考え方です。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 領民たちとの応接に使われる小さな客間の一つ、リリーアンティークに先導されたトビーはその扉をくぐります。

 待ち構えるのはソファーに腰かけたままでこれを迎えるエリスセイラです。


「エリスセイラ様。ブルーベリー商会のトビー・スフィンクス様でございます」

「よく来ましたねトビー。わたくしがジェントライト男爵第三女エリスセイラ・オブ・ローゼンヘレンでございます。これよりの直答を許します」


 元々ジェントライト男爵邸はサンストラック伯爵家所有の別邸です。

 多大な功績を収めたエリスセイラの父がポールフリードから男爵位を貸与された際にその邸宅ていたくとして下賜かしされました。

 その姿は小型ながらも石造りの城です。

 城と言うと日本人はドイツ風古城を思い浮かべますが、ウエルス王国で一般的な城の形はフランス風のホテルの様な作りです。


 入室と同時に扉の前で一礼したトビーは彼女の前に向かい置かれたソファーの横に立ちます。

 エリスセイラに手で促されて腰かけると、口を開こうとします。

 けれども唾を飲むだけで肝心の会話が始まりません。

 男爵令嬢は訊ねます。


何方どなたをご覧になってございますか?」

「お分かりになりますか?」


 そもそもジェントライトが貧乏男爵家である理由は領民の貧困です。

 税を取り立てようにも領民が減ってしまっては元も子もありません。

 ですからジェントライト男爵は税を安く抑える事で領民の増加を待っている所です。

 その様な政策を行なう男爵の令嬢が愚かである道理がありません。


 エリスセイラはトビーの視線が自分や室内の装飾ではなくて、自分を見る事で思い浮かべる誰かの姿を見つめていると気づきます。

 しかしそれは貴族であるエリスセイラに対する大きな不敬です。

 とは言っても貧乏男爵家の令嬢には自尊心よりも商機の方が大切です。

 主導権を握るチャンスを模索します。


いぶかしむはあから様な不信の姿を隠さない、貴方の思惑でございます。して、そのお方はわたくしに似てございますか?」

「美しさにおいて甲乙付け難く」

「そのお方とは?」

「五年ほど前にお会いしたのが最後です」

「左様でございますか」


 エリスセイラは悩みます。

 貴族の家へ来て、その娘への面会を希望し、会話では別の女性をほめたたえる。

 この男はわたくしを篭絡する駒をお持ちでございます。

 駒の意味は若い馬ですが、馬は軍馬も意味します。

 転じて部下や手下、今の場合は武器を意味します。


「時に、本題を進めたくございます。本日はどの様なご用件でございますか?」

「恐れながら。今後を見据えた顔繋ぎとお近付きを祝う品を納めたく思います」

「ジェントライトの関心をお金で買えると噂されるなら当家の恥でございます。高価な物はご遠慮ください」

「ご安心ください。愛らしく、きれいな観賞魚です」

「魚ですか?」

「はい」


 向かい合う二人を挟むテーブルの上に魚の入った小さなガラスポットが四つ並びます。

 大き目のコップよりも倍ほどの大きさ。

 マグカップと言うよりビアカップ。

 一個につき一匹、その中で小魚がひれを振って優雅に泳いでいます。

 それは赤のつがいと青のつがいです。

 赤青ともに雄と思われる大振りの魚はひれが長く大きく、美しい姿をしています。

 エリスセイラは息を呑みます。

 確かに田舎者ではありますが、自身の知る限りでこの様なきれいな観賞魚の話を耳にした事はありません。

 彼女が知る赤い魚はドジョウくらいです。


「この魚はベータと言います。気が荒く一つの入れ物に混ぜると喧嘩してお互いのひれを喰い千切り合いますので小分けにしています」


 透明度が劣るとは言え既に板ガラスは存在しています。

 これを型で吹き丸めた品物は流通しています。

 ですが蓋の大きさが合わないために密閉性はよくありません。

 しかし代用品である焼き物の壺やかめも木の蓋が使用されています。

 もともと密閉という考え方がないのも事実です。

 トビーが差し出したガラスポットもそんな量産品の一部です。

 これがルーンジュエリアであれば十分でも三十分でもその可愛い魚に見呆けているのでしょうが、ここにいるのはエリスセイラです。

 すぐに会話へ戻ります。


「はて?このような美しいものを頂ける事は嬉しくございますが、育て方が分かりません」

「ご心配には及びません。ルーンジュエリア様が万事ご存じです」


 この言葉に男爵令嬢はいかります。

 トビーの一言はお嬢様を呼びつけろと言うのと同義です。

 身分社会であるウエルス王国において男爵令嬢が伯爵家へ赴き珍しいものを見せる事は、それを献上する意思があるのと同じ事だからです。


「無礼な!サンストラック伯爵御令嬢を使うと申しますか!」

「いいえ。ルーンジュエリア様がこの観賞魚をご覧になれば大層お喜びになると言う話です」

「なるほどなるほど、ルーンジュエリア様のお心を良くご存じだと言われたいのでございますか?」

「はい。エリスセイラ様がお知りになる、その次に良く存じております」


 エリスセイラは自分こそがお嬢様の最大の理解者だと自負しています。

 だからトビーの言葉に皮肉を込めて答えます。

 それをトビーは軽く受け流しました。


「わたくしに次ぐと申しますか。

 それらの多大なる知識。如何いかにしてそれを知ってございますか?」

「恐れながら、私の知識は人伝ひとづてです。それを教えてくださったおかたの知る事のみしか耳にしておりません。ですがそれに間違いはないものと信じております。

 例えば、――恐れながらエリスセイラ様はルーンジュエリア様が虫や小魚を飼ってらっしゃる事をご存じの筈です。では何故、小鳥や小動物をお飼いにならないかをご存じでしょうか?」

「ルーンジュエリア様のお心を推し量れる所までは、わたくしの忠義が足りておりません」


 迷う事無くエリスセイラは自分の無知を認めます。

 その姿におごりは見えません。

 けれどもトビーの得意げな笑顔は彼女を怒らせます。

 自分よりもお嬢様について詳しい他人の存在は不快を募らせます。

 腹立ちまぎれにはしたない皮肉で答えます。


「勝者の余裕でございますか?」

「いいえ、エリスセイラ様はエリスセイラ様である事を面白く感じておりました」

「その言葉の意味するはなんでございますか?」

「はい。

 例え相手が平民であろうともルーンジュエリア様に関わる全ては頭を下げて教えを請いたい。間違っておりますか?」

「……正解でございます」


 そう口には出していますが、その心は違います。

 ルーンジュエリアに関するトビーの話に間違いを探す事でご執心の状態です。

 それを知ってか知らずかトビーは話を続けます。

 相手は三十歳近くの大人です。

 自分程度の心のうちなら、とうに気づいている筈と推測します。


「簡単な話です。ルーンジュエリア様はご自分の飼うものにはご自分でお世話をする、そう言うご意志がございます。そして死に別れる動物を哀れむお優しさもお持ちです。ですので別れに際して大きな悲しみを持たずに済む虫や小魚を愛する事で小動物を飼う事を我慢されているのです」

「……確かに。あのお方ならあり得るお話でございます」


 エリスセイラはトビーの顔を見上げます。

 そして思います。

 この程度で勝ったとは思わないでくださいませ。

 望むのは会話の主導権です。

 商機とかなどはもはやどうでも構いません。

 ルーンジュエリア様について一番詳しいのはわたくしでございます。


 第二ラウンドが始まります。

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