035 標7話 親友ジェントライト男爵第三令嬢エリスセイラ様ですわ 3
道に迷ってここがどこなのか分かりません。
この場合最初にすべき事はなんでしょうか?
当然一つしかありません。
お嬢様は丸いテーブルセットとティーセットを顕現してお友達とのお茶会を始めました。
慌てる必要はありません。一休みです。
「水平線が曲線かはともかくとして、大地が丸いと言うのは驚くべき事実でございました」
「ふみ。ジュエリアはまだ二回目ですが、大地はやっぱり青いですわ」
「驚くべきはスクリーン大山脈の高さでございます。あそこまで
ルーンジュエリア様。貴女様はご自分の転移魔法術であの山を越えられると思われますか?」
「やればできるとは思いますわ。ですがどんなに早くとも泊りがけになります。その時、夜を無事に越えられるかと言うと無理だと考えますわ。
結論として今のジュエリアでは無理ですわ。何年後にできるかも不明ですわ」
「それを知る事が出来た。実に素晴らしい旅行でございました」
エリスセイラは遠い目で空を見つめ、ティーカップに口付けます。
真上には大きなパラソルがあるので見える空はお嬢様の横です。
そこにもう一度目を向けます。
「そう考えると海水浴の方が現実味がありますわ」
「はて?海水浴とはいかなるものでございましょう?」
淑女ははしたない事を
濡れた姿を人目にさらすなど言語道断です。
ですから海水浴なんて見た事も聞いた事もありません。
「海で行なう川遊びですわ。重要な点は淑女と呼ばれる年の乙女が人目を気にせず服を濡らして遊ぶ事ですわ」
「服を濡らして遊ぶ!ルーンジュエリア様!それは許される事ではございません!」
「ふみ?男目が一つも無ければ良いのですわ」
「あー。それはそうでしょうが、よろしいのでしょうか?」
駄目な理由は人目だけです。
しかし噂になっても困ります。
ゆえに人目が無くてもやらないのが淑女です。
「もちろん水に濡れても
「温泉?衝立てのある温泉があるのでございますか?」
ここで常識が食い違います。
男爵令嬢には温泉に衝立てのある理由が判りません。
何故なら温泉とはただの温かい湧き水です。
お風呂の事だとは夢にも思いません。
「セイラ。温泉は外にあるものですわ。衝立てのある事が前提ですわ」
「え?え?もしかするとルーンジュエリア様は温泉に浸かる事を考えておられるのでございますか?」
「当たり前ですわ。温泉は人が
「申し訳ござません!わたくしの考えが至りませんでした。ルーンジュエリア様の深いお考えには感銘を受けるのみでございます」
「まあ、それもこれも温泉があればの話ですわ。一度くらいはお湯の中で手足を伸ばしてみたいですわ」
サンストラック邸にはお嬢様の発案で離れに風呂が作られています。
ですがそこは情緒がありません。
ユニットバスの方が明るいだけましと言う感じで、無いよりはいいかと言うごく普通の湯舟です。
ああ、温泉に浸かりたいですわ。
お嬢様がそう考えていると意外な一言が聞こえます。
「ございますよ」
「ふみ?何がですの?」
「温泉でございます。ジェントライト領のサンストラック寄りにお湯の湧いている沢がございます。冬場に山を歩く猟師たちが暖を取る為に使う事を耳にしております」
暖を取る。
それは間違いなく温泉ですわ、とお嬢様は喜びます。
「それで!お湯はなんですの?」
「あの?何とはなんでしょう?」
「温泉の種類ですわ。苦いとかしょっぱいとか黒いとかぬるぬるしているとか、そう言う事ですわ!」
「申し訳ございません。そこまでは聞き及んでおりません」
「そうですの、残念ですわ」
そう言えばこちらではお湯に
お嬢様は家族たちの様子を思い返します。
体を洗える事を喜んでいましたが、湯船に
エリスセイラも同じだろうと考えます。
「あ、そう言えば、」
「ふみ?」
「塩辛いと言う話は聞いた事がございます。口が曲がるから飲めないとか。お湯を飲んで暖を取れない事を猟師たちが大層残念がっておりました」
食塩泉。
問題はにがりの量ですが、飲む訳で無いなら問題はありません。
「セイラ、質問がありますわ」
「なんでございましょう?」
「ジェントライト領では塩を作ろうとした事がありませんの?」
「お言葉ですがルーンジュエリア様。ジェントライト領には海がございません」
エリスセイラは首を傾げます。
それを見てルーンジュエリアも首を傾げます。
「口が曲がるほど塩辛い温泉がありますわ」
「あ!」
「今日帰宅したのちにジェントライト男爵へ打診する事を勧めますわ」
「そうでございますね。今は海の物とも山の物とも分からぬもの。これより先はお父さまの領分となりましょう」
「セイラに一つだけ言っておきますわ」
お嬢様は人差し指を振りながら微笑みます。
「なんでございましょう?」
「海の物ではなく山の物である事だけは間違いないですわ」
「そうですね。その通りでございます」
セイラとの旅行は有意義でしたわ。
温泉があるとは思いもしませんでしたわ。
お嬢様の心は踊ります。
「話は戻りますが温泉の話ですわ」
「湯遊びされるお話でしょうか?」
「できるならジュエリアは入浴したいですわ」
「ご入浴ですか?」
「そうですわ。ニュー・ヨークですわ」
お嬢様はおかしなアクセントを使いました。
男爵令嬢はそれを気にも留めずに空を見つめます。
「さもあれば衝立ては必要でございますね」
「望むのは裸ですが、湯着をまとう事くらいは妥協しますわ。着替えの小屋と高い塀は仕方が無いとしても夜空に星を眺めるくらいはしてみたいですわ」
「星見でございますか。それはまた楽しそうな。ですが詳しい場所を存じません。話を詰めるのは明日以降となりますがよろしいでしょうか?」
楽しそうなお嬢様を見る事が出来て男爵令嬢も喜びます。
その幸せを与えたのが自分であるからこそ、心は天にも届きます。
「ジュエリアは構いませんわ。ですが連日遊び呆けると家族の目が、主に侍女の目がきつくなりますわ。それは避けたいですわ」
「奥方様たちの目は大丈夫なのでございますか?」
「大丈夫ですわ。あとが怖いだけですわ」
「いいえ、普通はそれを大丈夫と申しません」
おそらくお尻ははたかれないだろうとタヌキの皮の数を数えます。
「帰って最初にお願いしたいのは塩。次に道。三番目に場所ですわ。ああ、周りの情景。これも大切ですわ。見晴らしが良いのなら足湯も好ましいですわ」
「足湯とは何でございましょうか?」
「夏の暑い日に椅子に座って水桶に足を浸ける。これを温泉で行なうのですわ。夏でも冬でも気持ち良い事この上ありませんわ。しかもその程度のはしたなさなら殿方の前でも許されますわ」
「んー。葡萄踏みの事を思うと下々なら問題はございませんね。ルーンジュエリア様は幼い故に許されると言う状況でしょうか?」
「問題があるなら男の目は追い払いますわ」
「そうでございますね。それで解決でございますね」
着々と話は煮詰まっていきます。
そんな時、お嬢様がふと左手の森を見ました。
「ふみ?お客様ですわ」
「左様でございますか?いかが致しましょう?」
「もう少し位なら帰るのが遅くなっても大丈夫ですわ。お会いして問題が無い様でしたらここの場所をお聞きするのも一手ですわ」
「そうでございますね。万一の時はお逃げください。
「ふみ。そうしますわ。ほとぼりが冷めた頃に迎えに行きますわ」
お嬢様と男爵令嬢は顔を向き合わせて笑います。
そして二人がティーカップを傾けていると森の中から二人の青年が出て来ました。
男爵令嬢は席を立ち、お嬢様の後ろに立つと椅子を引きます。
いつもはこんな事をしませんが初対面の相手に自分たちの身分を気付かせる為のパフォーマンスです。
青年たちもこれに気付いたのか片方が後ろに控えて片膝を突きます。
さてウエルス周辺では高い身分の貴族が話し掛けるまで下の身分の者は声を出せません。
これで互いの身分が判っていれば良いのですが両者ともに不明です。
故に女性であるルーンジュエリアが先に口を開きます。
「お会いできて嬉しく思います。ジュエリアと申します。見ての通りの女二人故、詳しい立場の説明は遠慮させて頂きたく思います」
「うむ。俺の名はネオクラウン、この付近に住む者だ」
ルーンジュエリアは身元を悟られない様によそ行き言葉で話します。
それに青年が答えます。
お嬢様は後ろの友人が身体を強張らせた事に気付きました。
「セイラ、知っていますか?」
「心当たりはございますが本物かどうかの判定ができません」
「どなたですか?」
「別人で無ければルゴサワールドのバンセー様です」
「聞いたような名前ですね」
「第一王子殿下です」
「ああ、居ましたね」
貴族にとって人付き合いは生命線です。
人名暗記は小さい頃からの必須教科です。
例えバカモノの異名を持つお嬢様でもこれを疎かにはしていません。
空で覚えているルゴサワールド公王国の系図を思い出します。
場所はウエルス王国の南東方向だったと記憶しています。
「ですが別人でしょう」
「そうでございましょうか?」
「初対面の身元も分からない怪しげな子供に本名を名乗る王子が居たなら私が蹴り殺します」
「それもそうでございますね」
お嬢様たちは相手から見た自分たちが如何に怪しいかを理解しています。
だからこそ自分たちに会いに来た相手が賢いとは思えません。
供の方は止めきれずにここまで来たのだから中途半端に賢いのだろうと推測します。
「コガン、どう思う?」
「怪しいとしか申せません」
「そうだな。俺でもそう思う」
王子様たちは忍びの狩りで森の中を散策していました。
深い森ですが木は低く、草地も点在します。
土地勘があるので、迷ってもお日様を目印で動けば脱出は容易です。
そんな時に森の奥から轟音がしました。
大山脈からはぐれ大魔獣が下りてきたのなら一大事です。
慌てた王子様たちがその場所へ行ってみると貴族らしい二人の少女がテーブルを挟んでお茶会をしていました。
よく見ると草を焼き払った跡があります。
居るべきメイドや護衛が見当たりません。
大きなパラソルの付いた白いテーブルはどこから持って来たのでしょう。
この草地に至る道が無いのは、誰よりも自分達こそが知っています。
結論として、人間である事すら怪しい存在です。
「だが、どう見ても怪しいからこそ全く怪しくないと思える。俺はおかしいだろうか?」
「私には何とも申せません。ただ、叶うなら直ちに逃げ帰るべきかと考えます」
「逃げる?それは何故だ?」
「あの二人は私方二人を相手にしても勝てると考えています。理由は分かりませんが何かを隠して、いえ!何かを持っています!」
「うむ、その通りだ。これはうかつな事を言えないな」
王子様の瞳が凛々しく輝きます。
確かめるべきは轟音の正体です。
この二人はそれについて何か知っている。
違う。おそらくは当事者だ。
そう考えます。
「ああ、良いだろうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「見ず知らずの女子に対してこのような事を尋ねる事は
突然、王子様の供の方が後ろから抱き着いて口を塞ぎました。
お嬢様はこれを微笑ましく見つめます。
主と家臣が心寄せあう、これこそがお嬢様の理想です。
「申し訳ございません、しばらくのお時間を下さい」
「構いません。ではこちらも打ち合わせを取り持ってよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。では互いにその様に」
「はい」
二人の青年を見つめながらルーンジュエリアは話します。
「セイラ……。私が思うにあれは本物です」
「理由をお聞きしてもよろしいでございましょうか?」
「偽物ならもっと優秀な筈です。セイラは私の替え玉を用意する場合どの様な者を手配しますか?」
「わたくし達の様な子供にそう言われては相手の立つ瀬がございませんよ?」
「セイラもそう思っていますね。言質は取りました」
「恐れ入ります」
見つめられる二人の言い合いはしばらく続きそうです。
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