018 標4話 親友フレイヤデイ侯爵第一令嬢グローリアベル様ですわ 1


 フレイヤデイ侯爵領は暖かい平野です。

 とは言っても山地にあるサンストラック領と比べた場合です。

 イノバッド中平原に存在し、そのみなみはじに東側山地を備えて領都ダーリングがあります。


 距離で言うと王都リーザベスから百四十キロメートル。

 馬車で二日です。

 ちょっと遅いんじゃないかと言う気もするでしょうが、日中の明るい時だけ移動して、危険を冒さず馬を休ませる為です。

 宿場町ごとに馬を替える早馬だと余裕で一日かかりません。


 サンストラック領はその東側山地の向こうにあります。

 領都ホークスへは峠を越えたら五十キロメートル。

 山地を南へ迂回した街道を通ると八十キロメートル程です

 脱輪の危険を考え、馬車は街道を通るのが普通です。


 空が青い暖かい日。

 ルーンジュエリアはダーリングへと向かいました。

 目的地はフレイヤデイ侯爵邸です。

 現フレイヤデイ侯爵のお招きです。

 案内はその妹であるグレースジェニアお母様。

 同行者はルージュリアナお母様と妹・エリザリアーナです。

 騎士や従者、メイドは付き従うのが当然ですから数えないのが普通です。

 朝食後に出立して、夕食前のおやつの時間に到着しました。

 ルーンジュエリアは初めてのお泊りにはしゃぐエリザリアーナを見つめます。

 顔が緩むのを抑えられません。

 挨拶を済ました両家の家族は少し早い夕食を始めました。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 食堂には大きなガラス窓があります。

 透明度と枚数が富の象徴です。

 フレイヤデイは中々に裕福なようです。


 魔法ですわね。

 でもこの程度しか作れませんの?

 五十センチメートル四方の板ガラスが並ぶ窓を見てルーンジュエリアは考えます。


「わー。ごちそうだー」

「エリザリアーナ。はしたないですよ」


 ルージュリアナは愛称ではなく名前を呼びます。

 よそ行き言葉です。


「牛バラ肉ベーコン巻デミソース焼野菜添えでございます」

「おいしそう」

「これこれ」


 娘の笑顔に母も釣られて笑顔になります。

 交わす言葉も明るい声です。

 その中へ一匹の虫が分け入ります。


「……あ」


 黒い大きな虫がエリザリアーナの前に置かれた料理の中へ飛び込みました。

 控える執事は真っ青です。

 控えるメイドたちも真っ青です。

 もちろん招待主も真っ青です。

 事故とは言え、当家の不手際。

 招いた相手は他家の貴族です。

 誰かを処罰せねばなりません。

 執事長は覚悟をします。


「ふみ?リアナのお肉はちょっと小さいですわ。お姉ちゃんのお皿と交換いたしますわ」

「……おねえちゃん、いいの……?」

「ジュエリアはリアナのお姉ちゃんですわ。もちろんいいですわ」

「ありがとう、おねえちゃん」


 小さなお嬢様にうながされて控えるメイドが二人の皿を取り換えます。

 お姉ちゃんはデザートフォークとデザートナイフで異物を皿から移します。

 そしてステーキ用のフォークとナイフで食事を楽しみます。


「もう、お料理一つで喜ぶなんて母は恥ずかしいですよ」


 母の笑顔は絶えません。


「フレイヤデイ侯爵。どうかこの事はご内密にお願いいたします」

「ははは、もちろんですとも」


 起きた事件はフレイヤデイの落ち度ではなく、サンストラックの無作法です。

 招待主として客の恥を広める事はできません。

 この場で起きたすべては秘密になりました。

 この場の全員が問われたならばこう答えるでしょう。

 何も起きませんでした。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「わたしの部屋へようこそ。改めて自己紹介するわ。フレイヤデイ侯爵第一女グローリアベル・オブ・アルベリッヒよ」

「サンストラック伯爵第二女ルーンジュエリア・オブ・ハッピーレイですわ。お招き有難うございます」


 ピンクシルバーの長い髪が波打ちます。

 アメジストの強気な瞳が値踏みします。

 生まれながらの絶対勝者です。

 それがフレイヤデイの長女様です。

 そしてルーンジュエリアの一つ上です。


「とりあえずフレイヤデイの者としてお礼は言っておくわ。ありがとう」

「ふみ?なんの事ですか?」


 あえて何?とか聞いてみます。

 腹の探り合いは既に始まっています。


「判っているんでしょう?料理に飛び込んだ虫の事よ」

「ああ。妹には美味しい食事をさせてあげたい。姉として当然の事ですわ。と言う事でよろしいですか?」

「ええ、それでいいわ。うちに仕える者達はわたしにとって大切な者達なの。無意味な断罪は遠慮したいわ」


 ふみ、仲良くできそうですわ。

 ルーンジュエリアは思います。

 家臣をないがしろにする相手とは遊ぶ気にもなれません。


「お貴族様は大変ですね」

「貴女も貴族でしょ」

「ふみ?ジュエリアには高貴な赤の他人よりも身近な下々しもじもの方が大切ですわ」


 王家よりも領民の方が大切。

 そう言っているのと差はありません。


「それを言えるのならば貴女はまだまだ下級貴族ね」

「羨ましいですか?」

「ふっ。心の底から羨ましいわね」


 生粋の貴族様がねたみます。

 この方なら信頼できる。

 さすが、ジェニアお母様の姪ですわ。

 ルーンジュエリアの気持ちは決まりました。

 次に関係の強化です。

 主導権を握るつもりはありません。

 自分に興味を抱いて欲しい。

 それが長い付き合いを作る第一歩です。


 友達は作るものではありません。

 いつの間にかなっているものです。

 そう言う気持ちは確かにあります。

 ですが今の狙いは魔法術を切磋琢磨する相手です。

 だからこそ根回しをします。


「それはさて置き、ジュエリアがこの部屋に招かれたと言う事はジュエリアがリア様に取り入っても良いとの許可が出たと考えてよろしいのでしょうか?」

「リア?それはわたしの事かしら?」

「ですわ」

「貴女、変わっているわね。わたしの事はみんな普通にベルって呼ぶのよ。貴女自身の事も私とかではなくジュエリアって名前で呼ぶし、何か意味があるのかしら」


 ルーンジュエリアは意味を持って行動している。

 すでにグローリアベルはそう考えています。


「他人と同じ愛称で呼んでは他人と同じに扱われますわ」

「ふっ。それは確かね。ではわたしも貴女の事をジュエリアではなく別の名前で呼んでいいかしら」

「ジュエリアは自分が嫌な事を相手にしませんわ」


 ルーンジュエリアにとってはこれ幸いです。

 親睦が深められます。

 この機を逃すつもりはありません。


「ありがと。そうね。ルーンジュエリアのルーンで、ルンというのはどうかしら?」

「あー、すいません。それは勘弁してください」


 侯爵令嬢である自分の言葉が拒否された。

 これは大きな衝撃です。

 しかしル-ンジュエリアは心から嫌そうに願います。

 何が嫌かは分からないけれどもなんとなく嫌なんだろうと推測します。

 これで借りは帳消しだ。

 グローリアベルはそれぐらいの気持ちで心を大きくします。


「駄目なの?」

「あー、それで呼ばれるくらいならー、ユーコって呼んで頂きたいですわ」

「何それ?意味が分からないわよ」

「うー。分かり易く言うと……ジュエリアの理想のお姉ちゃん像ですわ」

「ふーん。それも面白そうね。ではあなたは今からユーコよ」

「感謝いたしますわ」


 ルーンジュエリアの理想。

 理想のお姉ちゃん像。

 それは妹から、お姉ちゃんお姉ちゃんと呼ばれ続ける事です。

 好かれ続ける事です。


「それにしても真っ直ぐに断言したわね。通常ああ言う事は匂わせる程度に済ますと思うのだけれど」

「魔法があるこの世界で腹芸は無駄ですわ」

「ん?貴女……ユーコは他人の心が見えるの?」

「見えませんわ」

「じゃあそれができる人を知っているの?」

「知りませんわ」

「だったら腹芸に意味はあるでしょう」

「意味はあっても役に立つとは限りませんわ」

「どういう意味?」

「ジュエリアは使う時と場所を選ぶと言う意味ですわ」

「わたしにはいらないと言う事かしら」

「ですわ」


 グローリアベルは今日の目的を口にします。

 それは叔母の自慢の内容を確認する事です。

 その真価を見極める事です。


「ユーコ。グレース叔母様のお話だと魔法術を作ったそうね。それを見せてもらえるかしら」

「ふみ?見て、どうするのですか?」

「もちろん覚えるわ」


 何を今更。

 これがフレイヤデイのお姫様です。


「リア様の魔力量だと無理だと思いますわ」

「舐めた事を言うわね。わたしがフレイヤデイの家の者だと言う事を忘れたのかしら。サンストラックではメイド達も貴女の作った魔法術を使えるそうじゃない。わたしに使えないと考える方がおかしいのよ?」

「はあ、別に構いませんがー、ご自分で判断して頂きますわ」


 対してサンストラックのお嬢様は否定的です。

 しかしこれは見せかけです。

 引きずり込む事しか考えていません。


「ええ、そうするわ。見せてちょうだい」

「ふみ。ではリア様、こちらへ」


 ルーンジュエリアはグローリアベルを先導します。

 廊下へ繋がる扉を開いて、壁を横から望ませます。


「エブリボディ・キャンドゥをお見せしますわ。この扉の所に立って壁を見ていて頂けますか?」


 ルーンジュエリアは廊下に面した壁に向き立ちます。

 そして左手のひらを壁に付きます。


「我に天界を望み、為しさせよ。我は天界へ羽搏く。始めさせよ、我が前にこそ道がある」

「「「え!」」」


 指が壁に沈みます。

 手の甲、手首と続きます。

 壁をすくって自分の背中へ掛ける、そんな感じのあり得ない動きです。

 お姫様とそのメイドたち二人が声を上げます。

 キサラは声を上げません。

 その驚きを隠します。


 今のはいったい何だったのか?

 自分が見た事は現実だったのか?

 フレイヤデイ家三人の心は戸惑います。

 ですが部屋にいた筈のルーンジュエリアは廊下から扉を通って部屋へ入り直します。

 見間違いではありません。

 グローリアベルの目が輝きます。


「ふーん、なかなかやるじゃない。叔母様がバケモノと呼ぶ理由が垣間見えたわ」

「教悦ですわ。リア様がフレイヤデイの方々にお披露目するにふさわしい派手な魔法術だと自認いたしますがいかがですか?」

「結構だわ。で、どうやるの?」


 魔法術をフレイヤデイへ献上しなさい。

 そんな事は嫌ですわ。

 二人の気持ちは一致しません。

 ルーンジュエリアはこう考えています。

 リア様になら差し上げますわ。


「リア様は空気の中を歩けますか?」

「もちろんできるわ」

「リア様は水の中を動けますか?」

「もちろんできるわ」

「リア様は壁の中で動けますか?」

「できる訳ないじゃない」

「何故ですの?」


 説明が始まります。

 それは誰もが知る当たり前の事です。

 けれどもウエルス王国では誰一人として知りません。

 ただ一人で説明するお嬢様を除いては。


「リア様、壁を良くご覧ください。実は壁は目に見えないとても小さなものが集まった物です」


 グローリアベルは大理石の壁に顔を近づけます。

 白と黒。

 その他、数多の砂粒が見えます。

 けれど、これではないのよね。

 グローリアベルは考えます。

 そんな自分にとって当たり前の事をこの少女は言う訳がありません。


「水も空気も同じです。小さすぎて見る事ができない何かが集まった物ですわ」

「そうなの?」

「ふみ。空気と水と壁の違いはその小さな物の結びつく力の大きさですわ。空気は人が楽々と動けるほど結びつきが弱く、水はなんとか動ける程度に弱く、壁は結びつく力が大き過ぎて人が通り抜けられない。ただそれだけの違いですわ」


 初めて聞く内容にグローリアベルが驚きます。

 フレイヤデイに勤めるメイド二人も驚きます。

 一番びっくりしているのはキサラです。

 ジュエリア様。

 そんな事は初耳です!


「ユーコ。そんな話聞いたことが無いわよ!」

「その程度の事を知らないから誰も壁を通り抜けられないのですわ。リア様はその事を今知った。それはどう言う事でしょうか?」

「わたしにも壁抜けができると言うの?」

「ふみ」


 できる事は間違いないですわ。

 でも、いつ頃できますでしょ?

 そんな心は秘密です。



「何故……何故できないの?何故私にはできないのよー!」

「ふみー、魔力量の問題ですわ」


 何を今更。

 これがサンストラックのお嬢様の実力です。


「ジュエリアは物心ついた時から、ただひたすらに魔力量の増大だけを念頭にして鍛錬を続けて来ましたわ。その間リア様は何をされていましたか?リア様とジュエリアが同じだと思う方が間違っているのですわ」


 自分が行なってきた鍛錬には自信を持っています。

 だからはっきりと否定します。

 ですが相手も自身の努力に価値を信じています。

 己の見解を主張します。


「わたしの努力が無駄だったと言うの?」

「いいえ、違いますわ。この世に無駄な努力など有りませんわ。ただ、努力の方向が間違っていたのですわ。たったそれだけの事でリア様の努力は、魔力量増加と言う方向から見ると無駄な時間だったのですわ。

 繰り返しますがこの世に無駄な努力はありませんわ。リア様の努力は別の方向から見ると必ず意味があるものですわ」

「慰めはして。わたしはいったいどうすればいいの?」

「ふみ。リア様がジュエリアと同じ道を望むと言うのならば先導いたしますわ」

「悪魔の囁きね」


 止めるべきだろうか?

 控えるメイド達が悩みます。

 それほどに妖しい微笑みです。


「既にジュエリアが歩いた道ですわ。道順は覚えていますわ」

「いいわ。私を連れて行ってちょうだい。その先へ」

「お安い御用ですわ」


 ルーンジュエリアにとって魔法術の話ができるのはグレースジェニアだけでした。

 ですが相手は自分の母親です。

 そしてすでに成長が終わっています。

 今日、彼女に代わって自分と共に成長し、自分の魔法術に付き合ってくれる相手ができました。

 ルーンジュエリアにはこの手を放す気持ちはありません。

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