012 標2話 敵は家族と家臣達ですわ 8
ルーンジュエリアは階段を歩み
待ち受けるのはリナ様。
グレースジェニアお母様の乳母にして、嫁入りに付いて来たお付きメイドです。
ルーンジュエリアたちは何故リナをリナ様と呼ぶのでしょうか?
それはリナの出自と関係があります。
リナ・オブ・エクセリーナ=ドラグスレイア。五十二歳。
百年近く前に断絶となったドラグスレイア侯爵家の
もちろん身分上は貴族ではありません。
しかし代々のウエルス王国国王よりドラグスレイアの名を名乗る許可が与えられています。
それ程までに惜しまれた家柄です。
現在、ウエルス王国の双璧と言えば武のサンストラックと魔のフレイヤデイです。
しかしかつてはウエルス王国の三巨峰、力のサンストラック、技のドラグスレイア、反則のフレイヤデイと呼ばれていました。
それ程の家柄でありながらドラグスレイア侯爵家は時の当主が王国への大逆を行なった罪により断絶となったのです。
されどそれを惜しんだ王族と諸貴族たちの計らいにより平民でありながらもドラグスレイアの名を残す事が許されました。
そしてドラグスレイアの子孫はフレイヤデイ侯爵家に身を寄せ、代々そこに仕えています。
伯爵家令嬢であるルーンジュエリアが一介の平民であるリナを様付で呼ぶ理由がここに有ります。
「ジュエリア様。リナ様の使う武術はスクロール剣術ですよね?ジュエリア様はご覧になった事はございますか?」
「ありませんわ。最も理想的な武と魔の結合術だと聞いているだけですわ」
ルーンジュエリアはとことこと歩みます。
キサラはしずしずと従います。
とことこ、しずしず、とことこ、しずしず。
一階へ
その女性はルーンジュエリアを見つけるとゆっくりと頭を下げます。
「お待ちしていました、ジュエリア様」
「本当に待たせてしまった様で謝罪しますわ」
「いえ、三階から使いの連絡が来ていますので実際には
「それは安心しましたわ」
リナは背中と腰の両横に幾つもの細長い紙筒を入れたうつぼを付けていました。
本当にスクロールですわ。
まさかあれでちゃんばらするとか言いませんわよね。
ルーンジュエリアはそう考えます。
「スクロール剣術はドラグスレイアの秘中の技と聞いていますわ」
「いいえ、見れば判るものですから特に構いません」
リナはごく普通にそう言いました。
そしてしごく普通に言葉を続けます。
あくまでもすごく普通です。
「ジュエリア様なら見れば判ります。だから今までお見せしませんでした」
「どの辺りに付いて言っているのかは分かりませんが、多分に買いかぶりですわ」
「私はこう考えています。ドラグスレイアは残せるだけ残したい。それが今の気持ちです」
目の前の二人を見ながらキサラは考えます。
リナ様の言葉に嘘は無いでしょう。
ですが、それをジュエリア様に渡しても良いのでしょうか?
長年ルーンジュエリアに仕えてきたキサラだからこそ感じます。
それはドラグスレイアの吸収消滅を意味するのではないかと。
「ジュエリア様。何故ドラグスレイア家が断絶となったかの理由はご存知ですか?」
「王家に対して大逆を行なったと聞いていますわ。その内容については見知っている事、聞き知っている事はありませんわ」
「私の曽祖父が行なったウエルス王国への大逆はこれです」
リナは自分の頭上にある耳を指さしました。
別に隠している訳ではありませんから、リナを見た全ての人は彼女が猫獣人である事を知っています。
「猫耳?リナ様が猫獣人である事が大逆ですの?」
「私の曾祖母はモエールの出身でした。それが大逆の内容です。ジュエリア様はモエールの呪いに付いてご存知ですか?」
「知っていますわ。座学の時間にリナ様ご自身が教えて下さりましたわ」
「そうでしたか。覚えてはおりませんが恨み節の三つ四つはお耳汚しをしたかも知れません。申し訳ありません」
「ふみ。どちらかと言うと名前しか知らない故郷を想っていましたわ」
極北の陸の孤島モエール・キャットシー獣王国はキャットシー、――猫に見えると言う言葉が意味するように猫獣人の国です。
猫獣王オロロンルートが治めるその国は今でも鎖国が掟です。
とは言うものの、海からの襲撃を恐れているだけで気高い岩肌を抜けた細い山道は封鎖されていません。
リナの祖先はその国の出身でした。
キャットシーは男女ともに左右対称で見目麗しい容姿を持つことが知られています。
その真偽はリナ本人を見るだけでも疑う余地を要しません。
リナの曽祖父であるドラグスレイア侯爵もその虜となった一人なのでしょう。
「ジュエリア様がご存じの様にモエールの女の血筋からは代々女の子しか産まれません。ですがそれでは男子直系を
そう言ってリナは一呼吸置きます。
詰まる所、自分の曽祖父と曾祖母が
これが幸福の自慢話だったらどれほど素晴らしいでしょう。
しかし現実には不幸の自慢話です。
「ですが私の曽祖父はそれを善しとはせず、国王陛下の言葉さえ意に介せず残した子供は私の祖母一人でした。それがドラグスレイア家の大逆です」
「ああ、そう言う事ですか」
「もったいなくも国王陛下からは男子が産まれたならばその子にドラグスレイア家の再興を御認め下さるとのお言葉も
「リナ様、」
リナの思いを聞き終わったルーンジュエリアは少し間をおいて問い掛けました。
彼女自身、話すべきかの判断ができていないかのようです。
「もしもリナ様がそれを求められると言うのならモエールの呪いに付いてジュエリアの考えを教える事ができますわ」
その言葉はリナを驚かすには十分でした。
リナもルーンジュエリアの賢さは充分に身に染みています。
その知識が語る内容にはきっと想像できない事実が含まれている。
リナにはそうとしか考えられません。
「お聞きになりますか?」
「話す、ではなく、教える、なのですか?」
「ふみ」
「それはこれまでに私が耳にしている話と同じですか?」
「たぶん、いえ、おそらく絶対に聞いた事は無い話ですわ。ただし、」
ルーンジュエリアは言葉に詰まります。
何故ジュエリアはこんなくだらない事を知っていますの?
たとえ事実だったとしても誰も幸せにならない事実に得はありませんわ。
モエールの呪いが神の罰だと言うのならそれでいいですわ。
それが一番人に優しい結末ですわ。
そう考えます。
しかしリナの瞳は言葉を促します。
自分が知らない知識を、事実を希望します。
「ただし、なんでしょうか?」
「事実ほど残酷なものは無いですわ。ジュエリアとて女の端くれですわ。ジュエリアの言葉はリナ様が今まで経験した事が無い程に女として、子供として、人として絶望を与えるものだと考えますわ。
お聞きになりますか?」
もったいぶらずに教えて欲しい。
リナはそう考えます。
モエールの呪いの真実を望みます。
「――お願いいたします」
「ふみ。キサラ。ジュエリアの声が聞こえない所まで下がって欲しいですわ」
「え?」
不意に声を掛けられたメイドが驚きます。
お付きメイドは主人と一心同体。
隠し事は共通の秘密として今まで主人に仕えて来ました。
自分の主人が自分に対して秘密を作る事はこれまでに一度としてありませんでした。
ですが、次の言葉で納得します。
「ジュエリアの事ならばキサラが聞いても構いませんわ。ですが、リナ様の秘密ならばそれを聞く事は遠慮して欲しいと言う意味ですわ」
「分かりました」
メイドはそのまま元来た廊下を戻ります。
そして先程下りたばかりの階段を上ります。
「これは、――これはモエールの、あるいはキャットシー全てに関わる話ですわ。他の方に話すかどうかはリナ様の判断に
「分かりました」
「リナ様もご存じのようにこの世界には神の眷属が何人もご存命ですわ。だからジュエリアもこの世界に創造神ヤハーが実在すると考えていますわ」
魔獣、大魔獣、魔人。そう言った幻想世界の住人たちがこの世界には普通に住んでいます。
世界のどこかには神の言葉を語る預言者たちや
「さて、モエールの呪いですが誰が掛けたんですの?ジュエリアにはこれが分かりませんわ」
「それは私にも分かりかねます」
「そしてモエールの男はヒューマとの間に子を残せない。これもリナ様から教えられましたわ」
「はい、その通りです。それもモエールの呪いと呼ばれています」
ルーンジュエリアは確認するように言葉を並べます。
リナはそれを追認します。
「男はヒューマとの間に子ができない。女はヒューマとの間に女子しか残せない。何故産まれるのが女の子だけなのか分かりますか?」
「それがモエールの呪いだからです」
「母親は女だからですわ。だから子供は全て女なのですわ」
リナにはルーンジュエリアの言葉の意味が分かりません。
何故ならそんな事は考えた事が有りません。
話に聞いた事もありません。
「リナ様はこういう話を聞いた事はありません?血が遠いもの達が結婚すると子は生まれるもののその子は子を
「いえ、それは聞いた事がございません」
そう答えてリナはハッと気が付きます。
そしてルーンジュエリアに強い調子で問い掛けます。
「あの!ジュエリア様?それがモエールの呪いなのですか?」
「ジュエリアはそう考えていますわ」
「ですが、私も私の母も祖母も子供は産んでおります!」
「全て女の子ですわ」
リナは今まで産んだ子供たちが全て女である事を嘆いていました。
娘が生まれた事を嘆いてはいません。
娘しか産むことができないモエールの呪いを嘆いていました。
リナの母や祖母たちがどうであったかは分かりません。
しかし今までもこれからも何人もの女たちが自分と同じようにモエールの呪いで泣くだろう事は理解しています。
だからこそルーンジュエリアの次の言葉を信じる事ができません。
「ジュエリアの考えはこうですわ。モエールの呪いによって生まれた女の子達はモエールの男達との間になら男子を授かると」
「分かりません!意味が分かりません!それはどういう事なのでしょうか!」
「モエールの呪いによって女の子が生まれる為にはヒューマの父親が必要ですわ。ただし、その子には、」
ルーンジュエリアはとどめの一言を告げます。
「父親の血が混じっていませんわ」
「――分かりません!」
信じる信じないは自由です。
それはリナの意思が決定します。
ルーンジュエリアはリナに向かって一つの可能性を口にします。
「リナ様の曽祖父様が亡くなられた時点でドラグスレイア家の血は絶えていますわ」
「……そん、な――」
それはリナにとって経験した事が無い絶望です。
リナの両目からは涙がこぼれます。
「ジュエリア様は、私の娘たちには夫の血が混じっていないと言われるのですか?」
「モエールの呪いではヒューマの父親が居ないと子供は生まれませんわ。それだけが唯一の救いですわ」
「では私は、なんと言って夫に詫びれば良いのでしょうか?」
「最初に言いましたわ。事実ほど残酷なものはありませんわ」
涙の流れは止まりません。
涙って涸れないのですね。
リナは心の隅で笑います。
「教えて頂きありがとうございました。私も十分にお祖母ちゃんです。この戸惑いをジュエリア様の様な子供にぶつける事が間違いである事くらいは判ります」
「慰めは言いませんわ。今のリナ様のお気持ちはジュエリア如き子供では理解できませんわ」
「申し訳ありませんジュエリア様。もうしばらくお待ちください」
もうしばらくもうしばらくと何度聞いたでしょうか?
ルーンジュエリアはただ黙って心がほどけるのを待ちました。
「リナ様。おやめになりますか?」
「そうですね。ではやりましょうか」
「ふみ。グレースお母様からの伝言では盗んでもいいと言う事でしたわ。それはリナ様から盗んでいいと言う事ですか?」
「ご安心ください。娘たちにはすでに伝えてあります。ドラグスレイアの技。ジュエリア様になら差し上げましょう」
「では少々お待ちください。キサラを呼んできますわ」
ルーンジュエリアがとことこと階段まで戻ると途中の踊り場にキサラが控えていました。
小さく手を挙げるとメイドは軽く会釈して階段を下り始めます。
「ここで待っていなさい」
「かしこまりました」
一階の踊り場前にキサラを残して、再びとことこと歩きます。
リナの前に立ったルーンジュエリアは木剣を構えます。
対するリナは両手に細長い紙筒を握っています。
「行きますわ!」「スタート!」
両手で木剣を構えたルーンジュエリアが叫びます。
両手にスクロールを持ったリナも叫びます。
走り寄った二人の得物は素材からは想像できない程低く重い金属音を鳴り響かせました。
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