第5話:宿屋で踊ろう




 僅か一瞬。

 一秒の数分の一にも満たないような空白。

 壁の、扉の……天井の向こう側にあった朧のような気配が膨れ上がる。

 それは殺気でなし、魔力でなし……どころか、意志すら感じられない。


 本当の、虚空。



「……ッ!」



 困惑したとて、動きに支障を出さないのは当然。

 東側では僅かな迷いすら動に出しては致命的。

 相手がどう出てくるか分からない以上、まず回避行動をと……、ちょッ!



「たいよぉぉぉぉぉ! 陸ぅぅ!」

「―――“狂飆”!!」



 太陽がお近づきになったような巨大な熱量が窓の外にちらついたのを確認した瞬間、上位魔術を放つ。

 一瞬に窓枠が全て吹きとび、ガラスを融解させた白炎塊の指向が反れ、上空へ吹き飛んでいったのを確認。

 次瞬に僕が扉から距離を取るのと同時、シン君と康太が部屋の中央にあったテーブルを扉へ向かって蹴り抜く。


 ―――宿屋へのごめんなさいが一つ、また一つ着々と増えると同時、全く同じタイミングでドアを吹き飛ばすように現れた存在らはいとも容易く死角からの攻撃テーブルを回避。

 鉄板を容易く蹴破る剛脚から放たれたテーブルは扉諸共吹き飛び、廊下の壁に大層な風穴を開ける。


 更にごめんなさい追加。

 ここまで来るとわざと被害大きくしようとしてない? そんな事ないよね?

 相手が油断ならないって認識してるだけだよね?


 ………。

 数は……四。

 皆、均一の……正規軍を思わせる同一の装いに身を包んだ存在。

 でも、フルプレートの騎士とはまた異なる感じだ。

 灰色の外套を纏い、更に同色の纏いは遠目からは確かに鎧にも見えるけど、よくよく伺えばそれらは光沢がなく、金属製と思われる部分はごく僅か。

 どちらかというと特殊な戦闘服やスーツ……特殊部隊の隊服、みたいな?

 兜にも似た保護具は縦三つの覗き穴が緑光に妖しく揺れ、背中を縦に伸びる露出した脊椎のようなパーツが異物感を強調する。

 ―――外骨格、とも取れるのかな。

 装いが型にはめたような均一さなら、腰に下げた直刀と思える武器もそっくり同じだし、ここまで来ると制式武装。


 もしかしなくてもどこかの国のお抱え部隊―――勇者捕獲し隊なのかな。

 シン君に曰く、こちらの動きにヤマを張って待ち伏せしてたみたいだし……。


 ともかく、ここは一般の人たちも逗留しているであろう宿の中だ。

 僕達だけじゃなく、この場に居ない仲間全員の安否を保証する必要がある。



「なぁ……二人共。いっそのこと全部ぶっ壊した方が……」

「あぁ。責任転嫁できそうだよな……」

「こらっ」



 死角を完全に遮断するように三人で背中を合わせて構えつつ、退路を兼ねた血路を確認する。

 けど、流石にその辺は相手も心得ているようで。

 こちらが一瞬でも何かしらのモーションを見せればすぐに対応するかのように武器に手を当て、抜刀まで秒読みの構え。


 ……。

 まずはお手並み拝見から、かな。

 あと、当然に……。



「ね……一つ、もしもの可能性を考慮して、こういう時は聞いておけって師匠に教わってるんだけどさ」

「あぁ、だな。……シンク、コイツ等お前のお迎えか?」

「……………」



 目をぎらつかせて扉を伺う彼の様子は―――まぁ、そんな感じじゃなさそうかな。 

 お友達の可能性なし、と―――ッ。



「シン君!」

「心配すんなッッ―――ってぇぇのッ!!」



 窓の外から一人追加。

 恐らく、さっきの魔術攻撃をしてきた相手。

 暗闇に煌めく直刀の一撃はシン君の持つ短剣に防がれ―――しかし、武器と膂力の差か、彼も大きく仰け反って胴部が空く。



「コウタ、一瞬チェンジだ!」

「おう、共犯な! も一本あるぞ!」



 スィドラ製のコートスタンドをパスされるまま、流れるような……雪崩れる様な速度でソレを振るう。

 シン君にはやっぱり槍術が似合うね。

 あと、どさくさに紛れてもう一本コートスタンド壊してたのが一人。

 


「うん、やっぱこれが一番腕に……んで、ガードは短剣で―――ム? ググググッ……、ムグググググぅ!!?」

「あ? シンクッ!? 」



 槍術の間を突いてきた攻撃を再び短剣で受けたと思った刹那、がくがくと身体を震わせるシン君と、その様子に驚きを隠せない康太。

 こちらも、気を取られている時間なんてなく襲い掛かって来た相手の直刀と長剣が交わり。



「……ン、ン? ―――んがががががぁッ!?」

「陸ぅぅぅ!? ちょッ、ちょっとタイム! お兄さんたちまって! 攻撃タンマ!」



 すっごいビリビリ来てる。

 これ、武器に凄い高圧の電流が流れてて―――だから康太だけ。

 木材は電気の通りが殆どないから。

 身体中の毛穴が開いたような感覚、筋肉が震えて震えて……ついでに産毛が全部なくなったような。

 これ一般人なら一瞬でショック死してる威力じゃないかな。

 

 けど―――。



「精神力も、肉体強度もッ! 生憎普通じゃないんだよねぇ!!」



 身体の自由を奪われた状態のまま長剣を切り上げ、深々と袈裟に切り裂く。

 

 筋肉の痙攣で狙いがちょっとズレた感は否めないけど……間違いなく入った。

 或いは、美緒ならこんな状態でも寸分の狂いない攻撃を繰り出せただろう。



「が……、ガガ、ヶ、ガガ」



 胴を切り裂かれた相手は、しかし倒れない。

 千切れたソレは高密度の服繊維で構成された頑丈な造りみたいだけど、流石に朱い血が滲み……。


 と……言葉のように聞こえていたのは、異音。

 隊服の頸部に存在するまさしく露出した脊椎のような部分から何かが刺さるような音が。

 一瞬、ブルリと震える相手の身体。


 呼応するように、他の個体からも何かが刺さるような音が……。



「マジかッ、嘘だろ!?」

「―――康太ッ!!」


 

 速い。

 明らかに動きの精度が変わる……もはや別格だ。

 バキバキという、まるで金属が軋み砕ける音と共に、折れ飛ぶコートスタンドの芯。

 一瞬、そんな動揺の間でも半ばまで折れた棒を使って相手を吹き飛ばしたのは流石だけど、同時に飛び込んできた相手の対応まで手が回るかどうかは―――万が一もある。

 


「いきなり超強化して来るじゃん!」



 相手の動きは鈍るどころかどんどん苛烈に。

 長剣を振るい、もう一方の手で素早く短剣を突き出せば、あちらは武器を切り返すようにして弾く。


 除けられた勢いのまま、身体に回転を加えて直刀を鞘に収めた相手は―――再び抜刀されたソレは朱の火花を散らして刀身が反り返り、神速で目の前に肉薄。



「迎え撃つ―――ッ……、ッ……!!」



 互いの武器が交わるまでの、ほんの一瞬。

 たった一瞬で、感じ取ったモノ。


 胸の奥に刻み付けられた、決して取り去られることの無い傷。

 その攻撃を見た瞬間、脳より先に身体が回避を決め込んだ。



「―――ら、ぁ!!」

「……………」



 回避と同時にもう一方の手に握った短剣が走る。

 それは抜刀術の後で隙を見せた二の腕を深々と切り裂いたものの、だらりと力なく垂れさがった腕を庇うでもなく後方へ跳ぶ影。


 僅かに距離が開いたその瞬間を待っていたかのように。

 突如として、部屋の壁に幾本もの白閃が走り、次瞬に迸った激流が敵を横殴りに吹き飛ばす。

 ダムが決壊したみたいだ。



「また部屋の壁がァァァァ!!」

「言い逃れできねえ!」



 同時に吹き飛んだ部屋の壁など、まるで賽の目切り……断面があまりに鮮やか。

 もういっそ立て直した方が早いかもね。



「―――皆さんっ!!」

「何やってんのさ、こんな真夜中にぃ!! きんじょめいわーく!」

「二人共、お客さんたちは」

「避難誘導」

「完了です!」



 百点だ。

 この状況での増援も有り難い……、けど。

 状況としては悪くないけど、この狭い部屋の中で集団戦となれば「もしも」は付き物。

 狙い僕達みたいだし、いっそ戦域を屋外に移すべきか……と。



「「―――――」」

「え……?」



「「ちょッ!!?」」



 思考を巡らせていた、瞬き程の一瞬の出来事だった。

 

 確かに目と魔力で捉えていた灰の部隊が、目の前で空間に溶けるようにして視界から消え去っていく。

 元より魔力の流れも、強者特有の殺気もなかった相手だ。

 姿までもが完全に鳴く、認識できる距離にすらいなくなってしまったのならこちらからどうこうできるものでもない。



「……春香、これ」

「んん~~―――……逃げられたっぽいね。なんもわかんない」

「マジかぁ……」



 山一つを丸ごと認識できる魔力感知に全く掛からないなんて。


 隠密性能というのであれば、今までとは比にならない。

 存在そのものが世界から消え去ったかのような、そんな感じだ。



 ……でも、あの感覚は。



 ………。

 ……………。



「もしかして、いつの間にかジャンルサスペンス物になってたのか?」

「どういう意味合いで?」

「いつどんな状況で襲われるか分からない恐怖……ってな。部屋を荒した犯人探しが始まるぞ」



 襲撃から少し後。 

 窓ガラスは消失、壁面は多穴だらけ、床と天井は刀傷と亀裂のミルフィーユ。 

 調度品の類も粉々、前衛芸術へ変わり果ててしまった部屋の状態を確認しつつ、康太が呻き、手に持っていたコートスタンド(故)を後ろ手に隠して口笛を吹く。



「犯人って言ったらまぁ分かったようなもんだけど―――夜だから口笛やめて。んじゃあ、ここから推理ターン? 敵の正体とか、どこの所属とか」

「……少なくともインターネットの闇バイトで集まったってことはないね。あの練度は正規軍でもそうそうないレベルだし、ゾンビっていって良い生命力だったし」

「いや宇宙人でしょ。あんな謎技術知らんのだけど」

「いんたねと? ……ウチュウジン?」



 ここ数か月、夜の闇に紛れて襲われた経験には事欠かない。

 けど、ここまで相手の正体が分からないままアッサリ退散されたのは間違いなく初めてだ。



「恐らくは、魔術を練る必要のない魔道具の類。だけど、出土した魔道具とかとはまた違うもの、かな。それこそどこかの国が開発した最新鋭のとか」

「出土品にも見た事がないレベルって、それ大分進み過ぎちゃう?」



 今現在のこの世界の技術レベルはある一点では突出、その他は精々産業革命前後程度だ。

 ステルスどころか完全に存在を消失させるレベルの技術なんて。 



「ソレと、陸。何か気付いたんだよな?」

「―――それは……?」



 人の機微に敏感な康太の事。

 流石だね。

 ……当然、これは話しておかないといけない。



「うん。……少し。ほんの少しだけ、なんだけどさ」



 先の、灰衣たちの雰囲気が変わってからのこと。

 最初に放たれた抜刀の、あの圧。

 あの感覚は。

 あの気配は。



「分かってる。似ても似つかないし、レベルとしてはまるで及びもつかないって分かってはいるんだけど。アレは―――先生の、剣技だった」

「「……!!」」



 猶更意味が分からない。

 どういう理屈?



「只でさえ正体不明透明ゾンビ人間なのに更に盛り過ぎだろ……。んなクローン人間じゃあるめぇし……」

「てかあの人量産できるならとっとと世界征服でもしてりゃ良いじゃん。こんなゆうしゃーに構ってないでさ?」

「俺にとっちゃ大分タイムリーな話題だけどな」

「あたしらからしたらこんなもんよ? 何処行っても先生のかげ見えるし」



 そこだよね。

 大陸の何処に行こうとも、何かしらの繋がりが元を辿ればあの人に行きついたりするんだ。

 恐らく、この国でも。

 


「では、あの国の騎士であるという可能性……。一年という宣言をあちらから破るとも考えにくいですけど、一部の暴走という考えもありますね。でも。魔族なら、それこそ魔力の反応を鋭敏に感じる事だって出来た筈です。私達が……春香ちゃんが直前まで気付かなかったというのは……」

「妙、だよね」

「むむ、ぅ……」

「春香ちゃーん? 別に責めてるわけじゃないからな?」



「魔術の索敵担当はあたし! そういう話でしょ! 呑気にスヤスヤしててさ! ゴメン!」



 春香も春香なりに……いや。

 仲間を大切に思う気持ちは同じだけど、誰とでも仲良くなるように見えて人一倍「仲間」というものに線引きをはっきりしている彼女だからこそここまでムキになれる。


 彼女こそ、誰かを斬り捨てる時はほんの一瞬だ。



「良いよ。僕たちは襲撃を退けた。勝った。今はそれだけで十分……で良いかな、一回。シン君もそれで良い?」

「……案内役としては、むしろ申し訳ない話だけどな。スマン」

「謝罪にしちゃ落ち着いてんけどね」

「そもそも、お前等がいるんだ。俺がちょっとポカしても、万に一つも「もしも」、なんてねぇよ」

「「……………」」



 ………。

 皆でシン君を揉みくちゃにした。



「じゃあ、取り敢えず、今から就寝って気分でもないしさ。寝てるところ悪いけど補填の話―――寝てんのかな、宿の人」

「この状況で?」

「大物過ぎだろ」

「だよね。流石に起きてるか。だから、出来得る限りの補償を約束するとして―――」

「だい、じょうぶ~~……です~ぅ」



 皆で一斉に振り返る。

 大破した入口の向こうには枕を抱いてナイトキャップを被ったロシェロさんが。

 彼女は何処かへ吹き飛んでいたドアノブを手にくるくる捻りながらフラフラと部屋に入ってくる。



「宿の方には……む。話を、通してありますから~~」

「「どうやって?」」

「なのーで……すぅ、今日はおねむで~~、ぬー。ふぁぁ……ぬ」



 ……パタン。

 言いたい事だけ言って、ドアノブの回る音と共に部屋の扉を閉めて去っていくロシェロさん。

 

 話は付けてある。

 だから今日は寝ろ、と……。

 


「……え、どうやって?」



 意味が分からない。

 どう話を通したらこんな惨状を宿側の人が納得してくれるのか。

 単純なお金の問題じゃない。

 例えば、一億やるからお前の家ぶっ壊して良いかと聞かれて「ハイ」と即答できる人がどれだけいるのか―――……ん?



「「は?」」

「―――ドア……、閉め……?」



 気付く違和感。

 彼女、ドア閉めてた?

 当然のように行われた、しかし絶対にあり得ない現象を前に一斉に部屋の入口に視線を向ける僕達は―――ちょ、部屋ァ!!?



 揺れる、揺れる。

 小さな地震のように揺れる部屋―――。

 床をぞうきんが駆けたように順繰りに、傷がなくなり艶出しクリームを塗ったように綺麗になる。

 木片がささくれ立ち、融けていたガラスが張り付いていた壁はもりもりっと窓枠が現れ、透き通る窓ガラスがパズルのようにはめ込まれて。

 椅子がひとりでに立ち上がったように歩き滑る。

 絨毯が床を這いずり、定位置に。

 最後に、天井が花のように咲き、元の姿を取り戻す……と。



「―――魔法かよ……」 

「ファンタジー映画のわんしんじゃん……」

「これ……、えぇ……?」

「陸君。これも精霊魔術なんですか?」

「……レベルがダンチ過ぎてなんもわかんない」


 

 けど、ひとつだけ。

 何を言えば納得させられるのってさ。

 これは納得するしかないよ。


 だって、あちらからすれば、全部夢だったことにしてすやすや寝た方が遥かに有意義だろうから。

 明日も宿屋経営のお仕事あるだろうし。

 多分、お客さんも同じだ。

 


「―――……寝よっか?」

「……だな」

「えぇ、取り敢えず明日に回しましょう。おやすみなさい」

「ぽやしみー」


 

 ………。



「明日……取り敢えず、一応ごめんなさいしたらすぐ中央へ向かうぞ。この国の中枢は世界樹そのものだ」



 何事もなかったかのように解散の雰囲気。

 普通にドアから戻っていく美緒と春香を見送った後、我先にベッドへ潜り込む僕達。

 シン君の放ったそれが、就寝前の最後の言葉だった。

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