第3話:暗黒卿相談窓口まで


 


 二十年余り昔……、異界より【百識の勇者】キサラギが召喚された事により、人間種の勢力は大きく伸長。

 かつて、至高の勇者が成したように。

 国家間の相互理解が促され、格段に技術と文明を進歩させることになったが。


 彼等が成長している中。

 人間種を仮想敵とみなす魔族国家が、停滞を決め込むことは決してなく。


 暗黒卿が提唱した、第一次軍部改革。

 王都内乱による機関の欠落、或いはそれ以前より形骸化しつつあった組織を再編せんと、王都より始まった改革は地方へも着実に手を伸ばし。

 統括局に代わる新たな組織として、黒曜騎士団が設立され。

 各地の情報が、再び迅速に中枢へ集まり始めた事が決定打となり、内乱による混乱は早期に収束する事になった。

 

 ―――が……、しかし。

 逆に。急進的な改革が、少なくない新体制の弱点を露出させたのも事実。


 それを補強するために可決されたのが、数年前の大変化。

 第二次軍部改革。

 これにより、既に形式が存在していた、軍最上位に君臨する者達。


 東西南北の四方……それを守護する四匹の魔将。

 王都周辺を固める黒曜の長。

 そして、王都を守護せし近衛の長。



 彼等を総称し―――六魔将。



 東部指令【龍公】


 西部指令【黒戦鬼】


 南部指令【黒魔】


 北部指令【魔聖】


 黒曜騎士長【暗黒卿】


 近衛騎士長【天堅】


 軍の意思決定は、以上六名の合議制へと移行。

 現在では、彼等最高権力指揮の元、中央軍部の統率が図られることとなった。



 ……………。



 ……………。



「………身に余る栄誉、というべきでしょうか」



 先代より地位を継承して数年が経つ、六魔将が一、【天堅】

 近衛騎士長シンシア・アインハルト。


 己は、魔皇国の大貴族たる騎士の名門、アインハルト侯爵家に生まれ。

 恵まれるままに育った。

 才能も有ったろう、努力の才もあったろう。

 それだけは、自他共に認める所。

 

 だが、しかし。

 戦いの歴史を知らぬ己と、激動の時代を生きてきた、同格とされる彼等。

 果たして、双方は同じと言えるか。

 真に同格と呼べるのか?


 否、比べる事すらおこがましい。

 少なくとも自身は、彼等と肩を並べる程の立場ではない、と……そう思っている。


 

「姉上、悩み過ぎでは? 自分で追い込んでいるだけではないですか」

「―――……うぅ」



 対面に座る、私とさほど変わらない身長、やや細身の女性……マーレ。

 私と彼女は、双子だった。


 生まれた日、生まれた場所も同じ。

 共に、今日まで歩んできた。


 士官学校では主席、次席を争い。

 好みが全く同じで喧嘩ばかり……何時だって何らかの決闘で勝敗を決め。


 しかし、本当に大切な時は。


 必ず、互いを尊重していた。


 卒業後、私は近衛騎士団へ。

 妹は、黒曜騎士団へ。

 そして現在では、共に重職に就いている。

 貴族という階級に在って、ある種珍しくもある……共に、悩みを相談し合う、幼少と変わらぬ姉妹の間柄で。


 妹だからこそ、こんな弱音を吐ける。



「―――団員たちは、どう思っているのか。私を疎ましくは思っていないか……。今この瞬間も、私が居ぬ間に果たして……と」

「えぇ。考えすぎです」



 世渡りという意味合いでは、彼女の方が上か。

 私が吐露する不安を「気のせい」の一言で切って捨てた薄情な妹は。


 面倒くさい。

 溜息の一つでも吐きたい。

 そう思っていそうな……確実に思っているだろう、胡乱うろんげな表情を浮かべる。



「団長になってからというもの、ずっとその調子ですね。副団長の頃の堂々ぶりは、果たしてどちらへ出かけられたんですか? 新手の任務ですか?」

「―――マーレこそ。いつからそのような」

「悪しき同僚たちの所為せいです。それで……?」

「……違うんです」

「何がです」

「そもそも……! 六魔将が成立したのも、第二次改革が可決されたのも! 私が騎士長になってからではないですか!」

「……はぁ」


 

 団長……否、先代団長から地位を譲り受けて、すぐの事だったのだ。 

 一組織の、それも魔皇国最優である団の長になるという重圧だけでも手一杯だった私には、天地が返るような衝撃だった。

 

 よもや。

 己が、憧れ続けた伝説たちと同列に語られるなどと。



「貴女に分かりますか……!? 初めての重要会議で、意味も分からないうちにこの制度の決議が取られ、その場の空気に押し切られて賛成に手をあげる時の私の心境が……!」

「アストラ卿閣下は、姉上より若くして近衛の長になったと伺っていますが」

「……………」



 あの方は例外では駄目だろうか。



「詰まる所。姉上が不満なのは、自身が軍部の最高権力として、閣下やグラウ伯と同列に語られている事。そして、それによる妬みを団員らに受けていないか、疎まれてはいないか……という事ですか?」

「……おおよそは」



 なんて薄情れいせいなのだろう。

 叱るわけでもなく、慰めるわけでもなく。

 ただ、淡々と分析して淡々とどうすべきなのかを考えてくれるなんて、素晴らしく出来た妹だ。



「―――えぇ、……えぇ。では。まず、前提を。私は、長ではありませんから。姉上の苦労を全て理解はできません」

「――あ……、っ。そう……ですね。スミマセン」



 途中、やや語気を荒げてしまったけれど。


 少々、熱くなり過ぎたかもしれない。

 少なくとも、親切心から相談に乗ってくれた妹の前で畳みかけるべき事では決してなかっただろう。


 マーレも。

 私の自慢の妹は……、或いは妹こそ、本来ならば彼らと同列に語られてもおかしくない逸材の筈なのだ。

 しかし、階級上では私の方が上に成ってしまい。


 その彼女に。

 まるで、不幸自慢とでも言いたげに……。



「あの……マーレ?」

「私では、測りかねる事。―――ですから、分かる方へ相談を」

「……え?」



「―――閣下に相談なされては、如何ですか?」




   ◇




「……フム。それが、卿の悩み……と」

「はい」



 姉妹の対話から暫く。

 事のあらましを語り終えて、緊張のままに背を伸ばす私に対し。

 対面に座す男性は、やや顔を伏せていて。 



「どう、お思いで……」

「―――ッふ。……ふふ……くっ」



 幼き時より、ずっと背を追い続けた騎士。

 かつて、命を救われた騎士。


 魔王陛下の右腕たる彼は。

 さも可笑おかしそうに、遂にはこらえきれないと言わんばかりに私の前で笑う。


 有角種、妖魔種。

 私達魔族は、厳密には異なる進化を遂げた者たちが同一の存在として語られているけれど。

 この目の前の人物は。


 彼は、根本から違う。

 視線の先で笑う、未だに若々しい―――ある種、新兵にさえ見えてしまいそうな彼は、魔人。

 元は、八十、九十年すら生きれば大往生の種族に在って。

 既に二百を超える齢にして、いささかの衰えも伺えず、逆に長命者ゆえの知性も感じさせる。


 ……悪戯っぽく笑う様も。

 何処かちぐはぐで、不思議な方だ。

 

 しかし。

 軍最上位に座すにふさわしき妖魔は。

 彼は……なにゆえ、笑っているのか。



「……何故笑うのです? アルモス卿」



 馬鹿にしている訳ではない筈でも。

 真剣に相談したつもりの私は、やや口を尖らせ。


 それに対し、彼は取りなすように空中へ手を伸ばす。

 


「―――あぁ、すまない」

「…………」

「君の家とは、長い付き合いだ。だから、思い出して……ね」

「思い出す、ですか?」



 それは、つまり。

 どういう事なのだろう。



「この話は、いずれしてあげよう。……折角、同僚が私を頼って来てくれたんだ」

「……………」

「世間話や昔話より、話すべき大切な事。優先すべき事がある。互いに、忙しい身でもあるからね」



 言葉を続けつつ、不意にアルモス卿が目を向けるは。

 私が此処を訪れる前まで彼が座っていた重厚な作業机の上。

 そこには、書類の山が存在し……。


 ―――妙だ。

 私自身、自身の執務室では見慣れた光景だけれど。

 王都に居ることが殆どない彼に、これ程までの事務作業が存在するのは、違和感しかなく。



「私としては、本来の業務のつもりでかっぱらってきたのだが。仕事が少な過ぎると、再三小言を言われてね。やる気が有り過ぎる部下というのも、中々に困ったものだ」

「……!」

「無論……上司でも、ね」



 彼の言葉に、私は何も返せない。

 忘れていた仕事を不意に思い出したような……、思い出そうとして諦めたモノを、全く関係ない時に思い出したような。

 そんな、心当たりの感覚。

 彼の言う、やる気があり過ぎる上司とは。

 

 

「そうだ。こちらも、同じように思われているのかもしれない。相手も、思っているかもしれない。君が疎まれていないかと考えるように、君の部下たちも。……まず、一つ確実にはらしておきたい疑念として―――……キース」

「……………」

「は、こちらに」

「よし。出て行け」

「は、失礼致します」



 不意に、表情を消したアルモス卿が呟くと。

 執務室の側方に存在していた収納の両扉が、ぬらりと開き。


 這い出してきた男は。

 最初からそうしていたとでも言うように正面に跪き。


 彼の一言で、部屋の扉から出て行く。



 ……………。



 ……………。



「―――あの」

「続きだが。近衛の騎士達が君を疎んでいるなどというのは、あり得ない」

「……ぇ、ぁ。それは……」

「情報において、私達を凌駕りょうができるものは地上にはいない。そこは信用して欲しい」

「……彼等は。温度差を、感じてはいないでしょうか」

「部下を気に掛け、どのような時も真摯しんしに職務に当たる……それが、君で。近衛の者達は、狭き門を潜り抜けてでも王と国家に命を捧げたいという酔狂な者の集まりだ。そんな彼らが、己の理想そのものを疎めるか、と」



 団長として、常に気を張り。

 団員の為、何より己の為にと。

 先んじて任に当たる事で、彼等は温度差を感じていないかと。


 その疑問すら。

 彼は、まるで妹のように……或いは、妹が彼に似てきたのか。

 同様に、バサリと切って捨てる。



「……………」



 ……それは、この上なく頼もしい答えの筈なのに。

 何故、私は。



「さて……、その表情を見るに。実直な君の事だ。これでも、納得は出来ない……だろう?」

「……ぁ、いえ……」



 「実直」などという表現も、頑固と言いたい所を堪えて私を気遣ってくれた故だろう。

 ……彼の見抜く通り。

 未だ残るようなものは、くすぶるものは、確かにある。


 しかし。

 その上で……それを見抜いていた彼は、二の句を告げ。



「ならば、得意分野だ」



「騎士らしい表現。言ではなく動。己の腕っぷし、力量を以って証明する―――というのは?」

「証明、ですか?」

「つまり、己の能力に自信がないというのだろう? ならば、手っ取り早く証明してしまえば良い」



 ……それは、そうでも。

 言うは易く、行うは難い見本のような悩みなのに。

 機会もなく、下手に空回りすれば、それこそ双方に妙な疑念を抱かせる事にもなりかねない筈なのに。


 どうして、この方はさも簡単のように。

 或いは……何か手が?


 ……考えども分からず。

 


「あの。それは一体……」

「相談に来てくれた同僚に、すまないとは思うが。―――暫し、君の手を借りたい……、という事だ」



 ……………。



 ……………。



 王城第五階層に存在する彼の執務室を辞して。

 真っ先に私が向かったのは、妹のもとだった。


 混乱はある。

 けれど、今回は先のような相談ではなく。

 純然たる、業務―――任務についてのすり合わせを行う為で。



「近衛と我らが、合同で調査を……?」

「そういう事に……、そのような話になりました、えぇ」

「……?」

「私としても、何が何やら」



 何かを測るような表情のマーレ。


 しかし、当然私にも分からない。


 連携ついでに、これを副官の元にと渡された書類をマーレへ引き渡しつつ、彼女を伺う。

 ……混乱していた事で、押し切られてしまったけれど。


 今更ながら。

 任務に関する極秘書類を他組織の長へ渡すのは、如何なものだろう。

 当然、盗み見る勇気など無かったので、こうして彼女の様子を伺うほかなく……。



「閣下は……えぇ。また、不思議な事を」

「考えは、有るのでしょうね」

「それは間違いないのですが……その。一部とはいえ、近衛を。それも長を含めた部隊を都の外へ出征させるには、幾つも問題があるのではないですか?」



 近衛騎士団は、魔皇国王都を守護する要。

 如何なる時も決してほどける事の無い、崩れる事のない守護者たち。



 ………その、筈なのですが。



「アルモス卿は、既に手を回した、と」

「………はぁ」



 分からないと言わんばかり。

 長くかの騎士団に所属し、最も彼を良く知る一人になりつつあるマーレでさえ、これなのだ。


 私にわかる筈もなく。


 らしからぬ生返事を返しつつ、渡した紙束に目を通していたマーレは。

 やがて、疲れを解すように目元を指で揉み、顔を上げる。


 常に冷めたような表情……魔族に在って希少な青い瞳のせいで、氷のような印象が。

 鋭いまなじりが、柔和に垂れる。



「既に、必要な人員も固まってしまっているようです。……一緒に任務へ出られますね、姉さん」

「……そう、ですね」



 どうやら。

 今の彼女はオフモードの様だった。

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