第28話:人ならざる者




 ―――豆腐を切るようだ……と。

 そのような言葉は、刃の鋭さを現す表現としてよく使われているだろう。

 しかし、この場合は。


 この刀の場合は、その表現ですら足りないと感じてしまう。


 人体を骨すら容易く両断し。

 一寸のズレもなく。

 切り口の反対、対角線上からスルリと刃が出てくる。

 魔力を込めれば込める程に輝きと鋭さを増していく刃は、頑丈な鎧も分厚い胴体も細腕のように斬り裂く。


 それは、魔人ですら例外ではなく。

   


「やはり。この刀は、最初から浄化が……?」



 吹かれて消える塵を見届けながら、一度息を吐く。


 二輪刀シュトゥルム。

 この武器は、最初の地の聖女が鍛えた大業物だ。

 ならば、刻印されているのかもしれないと予想はしていたけれど、本当に。


 ……今迄の浄化とは質が違う。

 先生の話では、地の聖女が持つ力は印の権能。

 他の聖女よりも強力な刻印を残す事が出来る。


 今、私はその力を借り受け。

 襲い来る全てを両断し、塵に還して進み続ける。

 全ては、終わらせるため。

 この周辺はあの人が守っていた影響なのか、冒険者の襲来や戦闘の痕跡はなく。


 肌寒くなる程の静寂の中。

 進み続ける中で、いつしか私は錆び付き、開け放たれた重厚な金属扉の奥。

 一つの部屋に辿り着いていた。


 照明の類こそあれど、土中ゆえに薄暗い印象のあった通路とは異なり、その部屋全体は極めて明るく、広く。

 窓の類こそないものの、邸宅の一室と見紛う光景が広がり。


 やはり、静寂が支配していたけれど。

 入口からでも、こちらに背を向けるようにして革製の長椅子に座り込む何者かの姿が伺える。


 これ程煌びやかな部屋に在って、一人だけだ。

 分かれ道も、更に奥の道もない。


 ならば、紛れもなく。



「―――……貴方が、そうなのですか?」



 ……………。



 ……………。



 警戒のまま、私は距離を取りながら尋ねる。

 果たして、聞こえていたのか。


 暫く、応えは帰ってこず。

 しかし。確かに鼓動も、体温も、息遣いもあり、その人物は確かに……。



「貴女が此処へ到ったという事は―――そうですか。カシンは倒れましたか。彼は、いずれは最上位冒険者へも並ぶであろう実力者だったのですが、ね。惜しい男を亡くしました」



 或いは、黙祷もくとうでも捧げていたのか。

 暫しの静寂が流れた空間に、柔らかな男性の声がこだまし。


 その人物は席を立つ。

 振り返り、私を視界に収め……微笑む。



「活躍は聞き及んでおりますよ。ようこそ、よくぞここまで辿り着きましたね、勇者様」

「―――今一度、尋ねます。貴方が、プロビデンスの首魁ですか」


 

 今更、私の事を知っているのは尋ねない。

 今一度言葉に出た、最優先たる質問を経て。

 男は、ゆっくりと頷く。



「えぇ、如何にもその通りで。この区画こそが上階最奥……。私は導くモノ……導主、と。配下の者からは、そう呼ばれています」



 男性の平均的な身長……灰色の髪に、黒の瞳。

 外見なら、三十代後半頃。


 宗教の神官……教祖のような法衣を纏い。

 声も、表情も、雰囲気も……一見、柔和で粛然とした男。

 でも、その黒い瞳には、今まで一度も見たことが無いような底抜けの狂気が感じられるようで。

 自身の全てを見透かされているようにさえ思えて。


 武器の類を持たず。

 しかし圧倒的余裕を感じさせる立ち振る舞いに、思わず身震いをしてしまう。



「さて……。確認する限りでは、未だ五体満足のご様子ですね。残骸とて、生中な戦力ではないと推測していたのですが……。ふふっ、大陸ギルドも流石だ。かつての教訓を経て、浄化装備を全面に出すとは……。やはり人間を繋げるは、かの血筋ですか」

「言っている意味が分かりません。……私達は、貴方を倒すため、此処に」



 会話は、もはや必要ない。

 彼がそうであると分かったのなら、後は。


 私は二輪刀の柄に手を掛け、相対する。


 対する男……導主は。

 その様子に何を感じたか。

 何をするでもなく、自然体のまま目を細めて薄く笑った。



「素晴らしい剣気だ。召喚から一年と経たぬ勇者が、既にその領域に足を踏み入れますか……」



「―――まるで、聖者リサ・オノデラのようだ」

「二百年前の勇者を……!」



 導主は、かつてを思い起こすかのように語る。

 ……二百年前に存在した人物の名を。


 では、この男は。

 


「存じておりますとも。彼女は、彼女たちは強かった。現代で言う英雄……最上位の領域に達した人間種を見たのは、あの時が初でしたよ」

「―――長生き、ですね。……貴方は、一体」

「何より……勇者ソロモンは、本当に強かった。彼の所為で私の計画は狂い。今この手に残るは残骸のみ。私は、負けたのですよ」



 己を敗者と断言しながら、しかし。

 男は憎しみを感じさせる事無く、まるで大切な思い出のように語る。


 それが、私には理解できない。



「……己を敗北者と自嘲じちょうしながら、何故ここにいるのですか。何故、未だこのような罪を重ねるのですか」

「―――罪、ですか……」

「彼等は……。魔人も、元は人間でした。只の人間だった彼等を、あの人のように言葉巧みに騙したのですか? 何故……どうして、このような……!!」



 抑えていても、怒りを覚えずにはいられない。

 一般人、権力者、冒険者。

 大陸の多くを巻き込み、連なっていた陰謀。


 元を辿れば、その全てはこの人物に行き付くだろう。


 男が導いたであろう研究は、あまりに多くの人を不幸にしただろう。

 これ以上、何をしようと言うのか。

 何を成したいと言うのか。



「その質問への答えが必要であれば―――えぇ、そうですね……。高みへ。かつて焦がれた存在へと到る為―――超えるため。やがては根源へ到るため。その為だけに、生き続けてきたのです、私は」



 笑みを深め、両手を掲げて呟く導主。


 この男は、狂っているのだろう。

 そもそも、このような組織の長が狂っていない筈はないと分かってはいたけれど。


 まさか、彼は……ずっと。



「勇者ソロモンと戦い、敗れた―――とは。二百年以上も、繰り返していたというのですか……? 何とも、思わなかったのですか……? こんな事を、何度も……何度も」

「―――壁を、破る為。寿命の隔たり、価値観の隔たり、種族の隔たり、倫理の隔たり。その隔たりを破り、解放する為ですよ、勇者様。貴女の世界の指標では測れぬかもしれませんが。アウァロンには、あまりに種が多すぎる」

「……………」

「同じ種でさえ、争う。優劣をつけ、上を目指し。その過程に多くの同種が屍となる。それが終われば、他種族。争い、多くが屍となる。それが終われば、ようやく一人の統率者の元の、団結。えぇ、平和です」



「やがて規律は出来るでしょう。種を導く者は、必ず現れる故。勇者、王、為政者。いずれにせよ、統率者ですが。方向は違えど、主導する者は生まれいずる。彼等は種を導き、他の種を淘汰とうたする。やがて、必ず終わりへ行きつく。全てを手に入れた者の行きつく先。執着地点に望むべきは……願うべきは、平和の筈」



「……では、問いましょう。彼等は、最後に何を望むか。お分かりになりますか?」



 ……………。



 ……………。



「―――永遠ですよ。どの様な種であろうと、同じなのです。この世全てを手に入れたとて、安寧とて、満たされぬ。永遠を求めまたしても身勝手に争い、屍を生み、やがては死して始まりに戻る。新たな統率者を立てるための、争いへ。行きつく先は一つ、手段も一つ。なれば……争いという過程を飛び、最初から目指すべきなのです。その為の、協力を。かつて私に協力してくれた先代のギルド長や理事、各国の重鎮もそうでした」



 七年前の、バシレウスの壊滅。

 地に落ちたギルドの面子をリザさんが回復させたという一件。


 当時の文献は厳重な規制こそ掛かっていたけれど。

 やはり、多くの者がこの組織と繋がり。


 だからこそ、ギルド自ら最大戦力を以って決着を付ける必要があったと。

 


「誰も死なない。誰も傷つかない。異なる種は、同じ力を得て同じ種となる。我々が彼等に伝え、彼等が種である民に伝える。悪しき影響のみを齎すのではありません。魔人は、全てを破壊するのです。やがて、我々は永遠の肉体を持ち、真に平等となる。死も、争いも超克した世界。……素晴らしい事だとは思いませんか」

「―――六大神が許しませんよ」


 

 永遠など、それこそ神の特権、御業。

 侵す事が定命に許される筈はなく。


 口を出た最大の皮肉。

 それに対し、私達の世界よりも圧倒的に神の存在が近い世界の生まれであろう彼は、笑う。

 この男は、一度も己の不快感を表に現さない。


 ただ、達観したように笑うだけ。



「信心深いようですね。――えぇ、仰る通りだ。過ぎたる欲望には、神の罰が下る。確かに、それは真実であり、歴史が証明する通りなのでしょう」



「なれば。なればこそ、測りましょう……! 何処までが良いか、何処までが悪いのか? 一線、境界という曖昧を壊す、線引きを。我らが、先導を。導きを!」

「貴方は……ッ―――どれだけの犠牲を強要するつもりですか!!」

「……これは異なことを」


 

 解明までの先は長いと、狂気のままに宣言する様に、感情を殺せず叫ぶものの。

 導主は一度閉じた目を薄く開き、心外とばかりに呟く。



「古代文明に端を発する刻印技術、迷宮探査による技術革新……あぁ、そうだ。あなた方の良く知る念話も。どれ程長くの実験と犠牲に成ったか、知ろうとした事はありますか。そのルーツは? 一体、どのような経緯で人界へ齎されたかは?」



 ……………。



 ……………。



「―――念話を人界へ伝えたのは、私ですよ」

「……………!」

「アレもまた、素晴らしい革新の一つでした。しかし、元々が魔力量に劣る人間種。悲しい事ですが、術式を基にして彼等が行った実験段階では使い捨て同然に多くの命が―――」

「もう―――良いです!!」



 彼の言葉は毒だ。

 聞けば聞く程に思考が乱されて、足元が崩れていくような錯覚すら覚える。


 もはや聞く必要はないと。


 言葉と同時に跳躍、抜刀。

 床を蹴り、最短距離、最小の動作で間合いを詰め。

 その喉元へ迫り行く刃は、違う事なく再現されたままの渾身の一撃。



「……………ッ!」

「まぁ、よくある障壁です」



 しかし、刃は硬質な音と共に弾かれる。

 ……これは、障壁魔術。

 逸らされたのではなく、正面から弾かれたところを見るに、形は平面。


 ならば……他の面を。

 二撃、三撃……鋭く武器を振り抜き、ソレが強固なモノであることを確認し。

 障壁が砕けるより先に、己の武器の破砕音を聞く。



「おや、その武器は随分と劣化していた……―――ッ!」

「貴方は、ここでっ!!」



 砕けた刀の切っ先を、身体を捻って靴で蹴り抜く。

 捻った身体で再度地を蹴り。


 相手の側面へ斜めに飛びつつ、新たに生み出した刀身を二倍以上に伸長し、振り抜く。

 これを一瞬で。

 二方向から刃が迫る中で、折れた刀の切っ先が障壁に反射され、側方から振り抜いた刀身は男の頬を深々と抉る。


 当たったという事は。

 障壁は全面に展開していたわけではない、と。


 ……そう確認出来たものの、無理な体勢での攻撃だった故に斬撃はやや逸れ。

 狙いであった身体の芯は大きく逸らしてしまった。



「……次は首を断ちます」

「よもや―――はははっ……成程! やはり、貴女はリサ・オノデラの流れを汲む者のようだ……!」



 興味深いとでも言うように私の握る二輪刀へ目を落とした彼は、大きく目を見開き、笑い。


 頬の傷と、流れ出る朱。

 流血へまるで頓着することなく、言葉を続ける。  


 ……そして、次の瞬間。


 発生した異常に私は目を疑う。

 深々と斬り裂かれ、血がドクドクと流れる彼の頬が……ゆっくりと、しかし冗談のように塞がっていく。


 その光景は、紛れもなく。



「―――魔人……!」

「ええ、ご推察の通り。我が身は、遥か以前より人ならざるものにて」



 ……違う、今までの異形とは。


 この男は……導主は。人格が、完全に保たれている。

 今までに邂逅した同存在の中で、同じ特性を持っている個体など皆無で。



「お詫びしましょう、勇者様。どうやら、貴女は私が思うより遥かに強靭な精神と力をお持ちのようだ。なれば、加減をしながらお相手するという訳にもいきますまい」



 言葉が終わるか終わらないかという内に、男を渦巻いていた幾重にも及ぶ魔力の膜が紐解かれていく。

 様々な付与魔術を纏っていたのだろう。


 それが無くなっていくという事は。

 維持に回していた魔力を、全て戦闘に行使する事が出来るという事で。 


 術が解けていく、その中で。

 男の姿もが、私の見えていたモノとは異なる姿へ変質していく。


 先程まで黒色だった瞳は紅へ。

 体表の色も、青白く。

 半妖精よりもやや短く、しかし尖った耳は……。



 ……………。



 ……………。



 これは……。



「……魔族………。あなたが―――!?」



 組織の首魁は、魔族だったと……?

 前身となったバシレウスの最終目的は、魔族を模倣する事の筈なのに。

 その頂点に立つ存在こそ、元より魔族であったと?


 或いは、研究の過程でこの肉体へ変質を……ッ。



「意外ですか」

「!」



 導主の姿が、至近距離の真正面にある。

 衝撃を受け、思考という無駄を取ってしまった一瞬の遅れが命取りであり、迎え撃とうとした判断もまた失敗だった。

 攻撃をする事での防御ではなく、完全な防御行動をとるべきだった。

 男は、私の反撃を避けもしない。


 練達の近接戦闘者ならともかく。

 魔術師型の人間は、接近されてしまえば反射的に瞳を閉じてしまったり、間に合いもしない防御という愚を取ろうとしてしまう物。

 しかし、身を守ろうとする脳の反射自体が存在しないかのように。

 そのまま、正確無比な不可視の刃が私の肩を斬り裂く。


 対して、私の一撃もまた、男の腹を穿つも。

 痛みの中で、送り込めた浄化の力など微々たるもの。


 とめどなく、どくどくと。

 互いに、流れ出る血液。



「―――ぁ……ぅ……くっ」



 男の腹部を削った攻撃は、少しずつ治癒されていく。

 私は、痛みに動きが制限される。

 

 こちらが血を流して死へ向かう中でも、男の肉体は何度でも再生する。

 まさしく、不平等。


 体がだるくなり、一瞬身体がふらつく。


 ……否、まだ。

 倒れない、諦めるものか。

 

 

「意志の籠った瞳だ。流石、この領域に至った勇者ともなると、心身ともに頑強ですね」

「……ッ! まだ、まだ……」

「精神力、肉体、魔力。どれをとっても。選ばれし者は、やはり違う。……しかし、死んでしまえば只の残骸。貴女は才ある者だ。高潔な意思、弱きを助ける力。ここで自らが倒れれば、未来に救えるものも救えません。見届けることすらも出来ません。……その旅路を、永遠のモノにしたいとは考えぬのですか?」

「―――後の事など、後の人たちが導いてくれます」

「………ふむ」

「無責任に投げ出すつもりは……ッ、ありませんが。全てを己が成そういう傲慢は、断じて正しい事などではありません」



 元より、私は全てを救えるなどと勘違いしてはいない。

 私たちは、誰一人としてそれを夢見てはいない。


 誘惑にしても、あまりに稚拙ちせつ


 騙せるのは幼子くらいなもの。


 

「何より―――私の仲間は、そのような甘言などで己の答えは変えません。この程度で、諦めたりなどしません」



 昔とは違うのだから、夢見てばかりはいられない。

 過去は教訓と大切な記憶を補完するための場所。決して、縋る為に存在するのではない。


 過ぎし過去を求めた私は、もういない……!



「……私達は、決して。貴方の思うようには、決してなりませんよ」

「左様ですか。では、ゆっくりと話す事に致しましょう。未だ、時間は……」




「―――おーー待たせェェェ―――――ッッ!!」




 ……………。



 ……………。



「陸、くん……?」

「―――――何と、もはや……はははっ」



 今や一触即発の空気。

 しかし、再び戦いの幕が上がるより早く、扉の外から転がり込んでくる影。

 力強い声に、私は思わず振り返り。


 その姿を認めた瞬間、決して交わらなかった私と導主の反応が、ここに来てようやく一致する。

 それは、一人の乱入者のありさまに対してで。


 身に纏う旅装はボロボロ。

 目に付く限りでも、至る所に切り傷があり、身体全体が真っ赤な血に濡れていて。



「―――遅くなってごめん! 美緒、大丈夫っ……!?」

「………えぇ、と……、あの」



 どれだけ凄絶な戦いがあったのかが伺える痕跡。

 でも、駆け寄ってくる彼の頭の中には、私の手傷しか映っていないようで。

 ……その……彼の方が、明らかに。



 ―――逆に、助けたくなりますね。

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