第10話:この契約書にサインを
「「――すごいッ!」」
「こんなに沢山…深部まで行かれたのですか?」
「……ええ、まぁ」
「ざっと、こんなモノですよ」
得意げに胸を…? 多分胸を張る春香。
だけど、彼女は。
ほぼ水遊びしてただけだよね。
働いたの美緒だし。
……でも、自慢に足る働きはしたかな。
四人で連携して道中の敵を払い、体力も余ったから。
比較的早く帰還出来て。
こうして、依頼を達成できた。
テーブルの上には。
沢山のアロエ擬き。
姉妹は、目を輝かせて葉をちぎりはじめて。
「これで、暫くは大丈夫ですよね?」
「はい、十分過ぎる程です。これだけあれば、乾燥させて粉末…はい。数年は、持つかと」
「……本当に充分ですね」
「これで、数年分」
「本当に、需要が間に合っているんですね」
そうなると、稼ぎが心配だけど。
彼女の腕は、それに留まらず。
ポーションだって。
二日酔いの薬だって。
多くの幅があるんだから。
元気にさえなれば、幾らでもお釣りがくる筈。
「でも、あんな凄いポーションを作れるなら――」
「双方に都合が悪い、かもね」
「「………え?」」
でも、そんな考えの中で。
異論があったのは、年長者。
最も経験に富む人物が。
理由もなく、そんな事を言う筈がない。
「それは、つまり?」
「どういう事ですか? 先生」
双方に都合が悪いっていうのは。
相手側だけじゃなくて。
アイリさん達にもって事で。
色々と推測があったけど。
彼の答えは、全く別の観点からだった。
「この商品は、実に出来が良いものだ。だが…比較対象が存在しなかった。同業者の気持ちも分かるというものさ…これは、ちょっと出来が良過ぎる」
「……悪い事じゃないですよね?」
「普通であれば、そうだろう」
「普通じゃない場合は?」
「医療利権…何だっけ。昔聞いた話だから、忘れたが。都市伝説に、こういう話がある」
それは、確かに何処かで。
聞いたことのある話。
医療の発展は、ある段階で止められる。
止まるではなく、止める。
それは価値を維持するため。
希少な宝石に価値があるように。
金が尊ばれるように。
余り行き過ぎた医療を実現させてしまえば、薬も、扱う者の役目も……多くのモノが意味を失うから。
「――だから、行き過ぎたモノは創らない、創られない。世界の意思ではなく、人間のエゴさ。その意味では、ここの薬は…ちょっとね」
「……貴方は…まさか」
「流石、技術力の差だ」
「………ッ!! …やはり、そうなのですか」
話が見えてこないけど。
二人の間には。
先生とアイリさんには、何かが通じているようで。
「貴方も、当時を……」
「まぁ、過去の話なんてするつもりはありませんよ。私と貴方には直接の関係も、因縁も無いでしょうから。だから…ご婦人。これから、どうしますか?」
青い顔をするアイリさん。
身体は小刻みに震えていて。
しかし、話を止めることはできなかった。
先生の瞳に影はなく。
ただ、目の前の女性を気遣っているようだったから。
彼の言葉を受けてアイリさんは逡巡するが、浮かんでくるものはなく。
「ずっとこの形態をとるのは、難しい」
「「…………」」
「競合が活発になれば、更に圧は重なる。貴方がどのような考えであれ、相手側がそれを共有しているわけではなく。他も商売がある以上、地位を危ぶめば、それなりに行動を取り。いずれは、大切なものにまで手は及ぶ」
「……そう、ですね」
「えっと。あたしたちが素材を採って、護って…うぅ」
「……春香ちゃん」
「そうだね。しかし、何時までもそうはいかない。我々は当然すべきことがあり、如何に腕があっても、商売を妨害されてはどうにもならないから。言い方は悪いが、じきに同じことになる」
また、同じように圧が掛かって。
彼女への負担も増えれば。
同様に…或いは、今以上に状況は悪くなるかもしれず。
僕たちだって、何時までもは無理で。
いずれ、何らかの待ったが掛かれば。
彼女は従わざるを得ない。
だって、何の庇護もないから。
その正論は会話に影を落とし。
良い案なんて、すぐには浮かばず。
そんな時。
柏手の…両手を合わせた時の乾いた音がこだまする。
「だから、ここからは商売の話と行こうか」
「「商売?」」
「形態を変えるのさ」
………。
…………。
先生が語ったのは。
まさしく商売の話。
冒険者ギルドと専属契約を交わしてはどうか…という内容だった。
あの組織は大陸を跨ぐから。
多少の地域性はあれど。
大まかな決まりはあるし。
何より、組織の庇護が存在する。
「これまで、大陸ギルドへ商品を卸したことは?」
「いえ、見ての通り小さな店なので。世間の事にも明るいわけではなく」
依頼を出して素材を手に入れるのではなく。
その過程で採取されてきた素材を加工し、提供する立場。
工程が逆になったようなものだ。
これなら、わざわざ薬草類を買い付ける必要もなく、落ち着いた環境で業務に専念することが出来るということ。
問題なのは職人の腕だけど。
今回は、上位冒険者のお墨付きだし。
あっけないほど簡単に。
両者の間で話は纏まっていく。
「――でも。さっきと同様に、競合する店が儲からなくなったら、下手に恨みを買ってしまうのでは?」
途中で挟み込まれる疑問。
美緒の思考は最もで。
だが、彼は余裕の表情で答える。
「そこは、恐らく問題ない」
「同じじゃないんです?」
「特許のようなモノでね。冒険者ギルドが上手くやってくれるだろうが、
「……どゆこと?」
「一定期間で作成できる個数に上限があるので、他店の利益に大きな影響を与えるほどではない…という事ですね?」
「その通り。彼女が技術を伝えれば別だが――ご婦人は、商売を広げるつもりは?」
その意思があるならば。
話は変わるという問いかけだったのだろう。
彼女が製法を公開すれば。
新しく起業すれば。
成功は間違いなく、今までの何倍も…何十倍も稼げるかもしれない。
しかし、アイリさんは。
僕たちに首を横に振り。
子供たちの頭を慈しむように撫でる。
「私は、この生活に満足しています」
「「……お母さん?」」
「願いは、この子たちが無事に大きくなってくれる事、ただそれだけなので」
「………?」
「難しい話わからなーい」
今迄の話に顔を顰めながらも。
我慢していた姉弟だが。
自分たちに注意が向けられたことで、不満を口にする。
それは、仕方ない事で。
とても、可愛らしくて。
僕たちは、クスリと笑う。
「なら、問題なしだ。これまで通りのペースで仕事をすれば、バランスは保たれる。ギルドだって、危険性は把握しているから、下手に増産はさせない。近々、話を纏めに人を寄こすことにしますよ」
「その……何とお礼を」
「いえ、いえ。幸いなことに、ギルドに顔が利く存在がウチには居まして…ね?」
そう言葉を返しながら。
彼が、視線をやる先は。
………僕たち?
さては、勇者の力で押し通そうと。
なんて都合の良い頭をしているんだろうか。
でも、そういう使い方なら。
「こういう事に使うのなら」
「ギリセーフ?」
「はい。神様も許してくれますよね」
「前の宗教勧誘よりも、圧倒的にマシなのは間違いないよな」
「バチは、先生行きだし?」
「禿げるくらいで許してくれるんじゃないかな」
全ての事が上手く行く案は存在せず。
一定の不利益は発生する。
問題は、そこからどうするか。
どうやってバランスを取るか。
負担が最も少なくなる方法を、皆で探すのが大切なんだね。
◇
その後、醸造の工程を見学して。
僕たちは、店を出る。
見送りには姉弟が来てくれて。
アイリさんも来ようとしてくれたけど。
流石に、寒空の下に身体の弱い女性を立たせるわけにはいかない。
後は、ギルドへ報告だけど。
話し合い、するのかなぁ。
「交渉って、何やるんです?」
「簡単さ。まずは流通部門に顔を出して、開発部門へたらい回しにされるだろう? そしたら、申請書を発行して…で、流通に戻る」
「「……それで?」」
「二周三周して、最終的に上層部に殴りこむ」
「物理の方なんですね」
「そういうのは得意っすけど」
……まぁ、流石に冗談だろうけど。
大変な事に違いは無くて。
大きな交渉や、商談。
事実として、今の僕たちはその殆どを先生に頼っていて。
今回も、そうだったかもしれない。
もし自分たちだけだったら。
きっと、素材を採って来るだけで。
本当に短期的な。
一時しのぎだけ。
きっと、根本的な解決策を提示するには至れなかった。
「陸君、どうかしました?」
「――いや。まだ、半人前も良い所だなって」
覚えることは山積み。
「今は、それで良いんだよ。交渉事は私の管轄だからね。下手に案を出すより、どうしたら良いかを知る者が発案するのが最上だ」
「それは、そうですけど」
「半端な知識じゃ却って混乱させる…ってことっすね」
目先の誤魔化しだけでは。
いずれ、必ず破綻するから。
長く見据えて考える。
この先も、続けられる方法を模索する。
本当に、大変な事なんだ。
「その辺は、漫画みたいに簡単じゃないんだよね」
「勇者って難しいな」
「漫画は、もっと簡単だけどねェ?」
前々から分かっていたこと。
ただ敵を倒せば良いだけじゃない。
解決して、はいサヨウナラではない。
必ず事後処理があって。
それに必要な時間の方が大きい。
「先を急ぐような旅でもなし、まだまだ時間はあるさ。四人で考えなければいけなくなった時のために、今は見て覚えると良い。リクとミオなら大丈夫だね?」
「「はい」」
「……あれ?」
「すみません、何か違和感が」
返事をする僕たちとは対照的に。
何処か納得がいかない様子の二人組。
「何で、私たちは呼ばれないんです?」
「頭使わないしなぁ。俺と春香ちゃんは、ニコニコしてりゃいいってよ」
「それで、元気が貰えますからね」
「そういう事だよ、春香。まぁ、康太はどちらかというと、ニコニコよりもニヤニヤの方が似合――わぁッ!?」
彼にニコニコなんて。
本当に似合わない。
そう思って口にすると。
後ろから、クシャッと髪を撫でられる。
「……先生、髪が乱れるんで」
「気にするような年齢でもないだろう」
「若いうちから気を付けるんです」
「俺たち男は、特に禿げるしな」
「先生も気を付けてくださいね?」
「……また髪の毛の話を。だが、確かに。私なんか、一時期は上司のパワハラで禿げ上がらないかと不安で不安で――」
何か、また始まったみたいだけど。
この辺は聞き流そう。
彼がストレスなんて感じるはずがない。
と言うか、上司って誰?
ギルド関係なのかな。
それとも、前にやってたっていう兵士さん?
「――ねえ、聞いてる?」
「……? 何の話でしたっけ」
「うーい。もちもち」
「聞いてますよ」
「ストレスフリーって話ですよね?」
―――そう。
誰も聞いていないのである。
まぁ、アレだよ。
先生が禿げたら、それはそれで面白そうだし。
さして、問題じゃない。
「正直、禿げても似合いそうですし」
「…………ホント?」
「はい。そんな事よりも」
「……そんな事?」
「この後の予定は、どうしますか?」
「……じゃあ、今日はアルコンの塔を案内してあげよう。これで、私は詳しいんだよ」
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