第7話
玄関から続く廊下にある幾つかの扉は、窓とシャワー、洗い場まで装備された広いお風呂と脱衣所と洗面台。
独立した広い窓付きトイレ。
廊下の先には数十人は余裕で入れるだろうリビングダイニング。
そこから先に個室があり、書斎として使えるものと、広いベッドと窓付きお風呂場が完備されたもの。
階段を上った先には廊下があり、また扉が複数。
開けてみれば一つは窓もある洗面所。
もう一つはやはり窓付きの広いトイレ。
更に広い窓があるジャグジー付の広い浴槽とシャワー室に脱衣所。
最後の扉の先には、キングサイズのベッドが置かれた見晴らしの良い広い広いベッドルーム。
……リビングダイニングの高い天井まである窓を開け放てば、これまた眩暈がしそうに広いベランダに出られる。
家電一式に調味料や料理道具、部屋着に下着一式とタオル類を始め、何も買わずとも生活できる全てがそろっている至れり尽くせり。
外出用の服や靴を除けば、ではあるが。
(……兎に角、先ずはブレスレットを嵌めてみよう。色々考えてはいけない気がするから……現実逃避だと分かっているけれど……時間を……時間を下さい……)
逃げまくっている瑠華の思考回路。
何故そうなったかと言えば、ベッドルームにあったウォークインクローゼットの中身が原因だ。
制服だろうと思われるものが複数あったのだが――――何故か男女用が何着も一式揃っている。
靴さえもだ。
瑠華のサイズと思しきものと、それより大きいものが複数。
どの大きい一式もサイズは全て一緒。
考えても考えても、誰か特定の人物用に誂えた物以外には思えない。
なので彼女は即座に脳味噌さんに逃走を指示し、リビングダイニングの高級であることが一目瞭然のソファに腰かけつつ、ブレスレットを恐る恐る嵌めてみた。
〈…紋章型を確認。ようこそ、
感情のこもらない女性の声が体の内部から聞こえてくる。
「……声を出すのはいけないの?」
確かに考えるだけで全てが可能ならば楽だろう。
だが脳内だけで全てが完結してしまえば、この女性の声がするシステムと会話している気がしない。
緊急時ならば考えもするが、通常時には普通に会話がしたいと瑠華は思った。
〈勿論可能です。マスターが望む通りに〉
安堵の息を漏らした瑠華は、ふと気になってこの声の主に話しかけてみる。
「貴女に名前は無いの?」
即座に反応がある。
〈ありません〉
目を見開いた瑠華は、ある提案をしてみた。
「貴女に名前を付ける事は可能……?」
恐る恐るではあるが、透明感があり澄んでいる、皆が聞き取りやすく優しいと言う声で瑠華は問う。
〈可能です〉
瞬時に笑顔になった瑠華。
「それなら……ステラという名前はどう?」
どこか嬉しそうに感じるのは気のせいかもしれないが、システムは答えた。
〈了承。これからは名前を”ステラ”と致します〉
すぐに届けられた昼食用だろうサンドイッチを急ぎ食べ終え、汗を流そうと個室に付属されていた風呂に入った後、ステラに瑠華が気が付いた事柄を全て聞き終えた頃には、自動で灯が点灯する程外は真っ暗になっている。
ステラは明日に備えて早く寝る様に推奨し、それを受けた瑠華も、諸々から逃げる為にも夕食用に届けられた弁当を早々に食べ終わると、明日の持ち物を支給された高級感あふれる品の良い黒の鞄へと入れ終え、ベッドの住人になっていた。
勿論、リビングダイニング横の個室でだ。
昨日の夕食用と一緒に届けられた朝食用の弁当を食べた後、諸々の準備を終え制服に着替え終わり、脱衣所にある全身鏡で改めて確認してみた。
写るのは、人の枠から完全に外れたどう見ても聖なる存在にしか思えない神々しい美貌と、全てが華奢で小柄ながらも女性的な丸みを帯びた黄金比を誇るバランスが完璧な美少女。
本来の色彩ではなくとも、艶やかで天使の輪を誇る射干玉色の艶やかな長い髪も、同色の惑うような……心さえ吸い込まれそうな澄んだ瞳の威力は凄まじい。
瑠華のコンプレックスである低い身長も豊かな胸も、新雪を想起させる汚れなき麗し過ぎる容姿と合わせて、庇護欲と支配欲、征服欲、嗜虐心さえも大いに刺激するだけ。
或いは一部に妬み嫉み、コンプレックスを抱かせるのは間違いない。
似合っているか不安になりながらも瑠華は制服姿を観察中。
白を基調とした上品なワンピースに差し色で縹色が使われている。
上着らしい短い白い詰襟の端は袖口も含めて黒のパイピング。
首元と袖口には更に龍の瞳を思わせる意匠が刺繍されていた。
加えて詰襟は紫の肩章と飾緒、後ろの部分が前より長く、燕尾服の様にフォーマルを思わせる出で立ち。
更にペリース風の短めな内側が紫の白いマント。
これに黒のタイツと同色のふくらはぎまである革製ブーツというのが制服であるらしい。
(制服姿が見苦しくは無い…と信じたい……ほぼ白い制服か……汚さない様にしないと)
自分に対する評価がマイナスに果てしなく振り切っている瑠華は、見当違いの事を考えながら、部屋にあった紫色の組紐で、腰より長い絹糸の様な美しい髪を低い位置で一つに結んだ後、持ち物の最終確認をし終えてから校舎へと足取り重く向かったのだった。
(食事を届けてくれた人以外は誰も部屋に来なかった。……私の早とちり、よ、ね……?)
春の麗かな日差しも優しく降り注ぐ中、校舎へと続く花弁舞う桜並木を歩きながら、彼女の表情は愁いに満ち満ちていた。
その事が余計に彼女に儚さを加え美貌を引き立てて人目を惹いている事にも無頓着に、ひたすら思考の迷路へと旅立っていた瑠華は、昨日とは違い、寮の外観が街の建築物の様にエルフの里を思わせる有機的で美しいモノへと変化していた事にも、同じコンセプトを思わせる絢爛な校舎へも気が付かず足を踏み入れたのだ。
昨日の内に情報は得ていたので、そのまま大講堂へと移動する。
より幻想的な外観と内装を誇る広すぎる荘厳な其処には、かなり時間より早く到着したにも関わらず、既に何千人という規模が集まっていた。
ふんだんに陽光が差し込み、それが特殊な道具なのか、はたまた能力かは判別しなかったけれど、何かを使い、まるで天気の良い午前中の外を思わせる明るさの優しい光で大講堂は満ちている。
宛ら妖精でも飛び交っているイメージを誰もが抱くのを疑わないくらい、御伽の国じみて見えるだろう。
指定された番号の席へと腰を下ろした彼女は、大変落ち着かなさを味わうことになる。
一年生が前方に座るのだとステラに教えてもらってはいた。
いたけれど、彼女の席は一番前のそれもド真ん中である。
その席へと向かいながらも瑠華は首を傾げていたのだが、原因は椅子の違いだ。
ヴィンヤード型劇場宛らに段々と下がる通路を歩きながら、前方に行けば行くほど広さも座り心地も抜群に見える。
頭を抱えたくなった瑠華だが、周りは更にざわついていた。
なにせ昨日は影も形も無かった絶世のが付く人間離れした麗しい美少女が、女王様然と、貴賓席を思わせるところに座っているのだ。
更に前日の寮前での出来事を知っていた者は、目を輝かせ頬を染めながら彼女についての話題に拍車がかかる。
……彼女がどう見ても高貴な身分だと皆に思わせるのは、"いつ何時も背筋を伸ばし泰然とする様に"そう瑠華は実母に骨の髄まで叩き込まれていたから。
内面は軽く現実逃避とパニックで愉快な状況だったのだが、誰一人今いる新入生は気が付かない。
―――― 目を奪われ思考が停止している者等は、瑠華に瞳を中心とした紋章が無い事にも今は気がつかない。
瑠華の両脇を含めて幾つかの新入生用が空席のまま、日本で唯一の『トランセンダー』専用学校の入学式は始まった。
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