(終)それから

[N/A]


 誰も居なくなった研究室の扉を、一人の学生が開いた。

 机の上に置かれたものを見て、それらを一通り眺め、ため息をついた。

「はぁ……どうして私は、こんなラブレターを世界に広めないといけないんですかね」

 学生はそう言いながらも、どこか嬉しそうな表情をしていた。

「それにしても……これが物理学でも数学でもなく<美学>だなんて。ジョークなのかと疑ってしまいました。格好つけすぎですよ。やっぱりあなたは、星の国の王子さまなんでしょうね」

 くすりと笑い、学生は最後の仕事を始めることを決意した。『彼』と『彼女』が生きていたことを示すために、彼らの物語を誰かに伝えるために。 

 学生は机の上に残されたそれを手に取り、鼻歌を歌いながら研究室を去った。

 それは昔、彼女がまだヒトではなかったころ、大切な誰かが歌ってくれた歌だった。

 にゃー。




[妄想、あるいは誰かの解釈]


 どうしてこんなところまで来ちゃったんですか。

 わたしとの約束、守れなかったんですね。

 世界に手を伸ばしてくださいって、伝えたのに。

 もっと世界のことを愛してくださいって、言ったのに。


 うん、ごめんね。

 やっぱり僕は最後まであまのじゃくだったみたいだ。

 でも、最後にほんの少しだけ手を伸ばすことができたよ。

 最後に少しだけ、幸せの中で見える世界を愛することができたよ。


 そうですか、それは本当に良かったです。

 でも、自分からみすみす幸せを手放すなんて。

 ……むしろ、あまのじゃくのあなたらしいのかもしれませんね。


 うん、いいんだ。

 こちらのセカイだって、何よりも美しいものでできている。

 ここはここで、僕にとっては幸せで綺麗な世界だった。

 そして、それを示すことができたから、僕はここに来たんだ。


 ということは、あなたはわかったんですか。

 あの<法則>の仕組みが、本当の意味が。


 そうだよ。

 でも、大切だったのは<法則>じゃなくて、その先だったんだ。


 <法則>の先にあるもの、ですか。

 わたしにそれを聞かせてもらえますか。


 あの<世界>はさ、

 汚いと思っていたものが本当は凄く綺麗だったり、綺麗だと思っていたものがたまに汚かったり、

 僕にとっての綺麗と誰かにとっての綺麗が、全然違うものだったり、

 そう言うことの繰り返しだったんだ。そのことがやっとわかったんだ。


 だとしたら、こちらのセカイも、案外あの<世界>と変わらないですね。


 うん、そうだね。どっちも見方次第で美しく変わる世界だ。







 ……それで、まだ続きがあるんでしょう?


 どういうこと?


 あまのじゃくなあなたのことです。

 きっと、最後の最後まで、世界に少し悪戯心を向けているんでしょう。

 そのくらいはお見通しですよ。


 ……あまり言いたくはなかったなあ。

 実はさ、僕が示した公式も、本当だと言い切ることはできないんだ。


 それは、どういうことなのでしょうか。


 この世界は、解釈でしか表せないということ。

 僕がほんとうに示したのはそれだったんだ。

 いや、もっと言うなら「誰かが一つの解釈を持つことが許される」ということを示した。


 ……少し頭が痛くなってきました。

 実はわたし、頭が良くないんですよ。


 うーん、つまり、この世界から消えているのは、本当は同じくらい綺麗なもので、

 僕らが汚いと思っていたのは、偏見にまみれた僕たちが、一つの狭いものの見方しかできないからで、

 そして、そんな僕の仮説すらも、僕という主観による、ひとつの妥当性のある解釈に過ぎないってことだ。


 ああ、少しわかってきました。

 あなたの言った

『この世界が綺麗にも汚くも見えるのは、僕らが主観でしか生きられないからである』

 という説明自体が、あなたの主観から絶対に逃れられない、ということなんですね。


 そうなんだよ。だから本当は、君や僕が綺麗だというのも、

 僕の勝手な主観による証明にすぎないっていうこと。

 証明と言えば聞こえはいいけれど、本質的には憶測と変わらないんだ。


 じゃあ、あなたよりも優れた解釈を持つ人間がもし現れたならば、

 わたし達が美しい存在であるという事実は、消えてしまうという事でしょうか?


 そうだね。

 いつか、僕の理論を綺麗だと思えない人間が出てきて、それを美しいと思わない世界になってしまうかもしれない。

 でも、その時は、彼らが新しい美しさの形を見つければいいんだ。

 そんな風にして世界の常識は書き換わっていくんだよ。


 ふふ、わたしには全然わかりませんけれど。

 でも、そんな風にして美しさが書き換わっていく世界は、それはそれでとても美しいと思いますよ。



[最後に]


 この世界はきっと、すごくあまのじゃくなのだと思う。

 綺麗だと思っていたものが不意に醜く映ることもあるし、汚いと思っていたものが偶然輝きを見せることもある。

 尊敬していた素敵な友人が、ある日突然自分を裏切ることもある。

 疎ましく感じていた曇り空が、ある日には心を慰めてくれる。

 喜びの涙を美しいと思う人間もいれば、悲しみの涙を美しいと思う人間もいる。


 そういう世界で、きっと僕達は生きていた。

 そんな世界を僕達は何度も嫌ったけど、最後の最後でもう一度、とても素敵だと思うことができた。

 そういう世界で、きっと君たちはこれからも生きていく。

 どうか、そんな世界を愛して欲しい。ほんの一瞬でも構わないから。何度嫌っても構わないから。

 最後の一瞬だけは、愛して欲しい。




 風がカーテンを揺らしていた。その隙間から陽光が差し込み、消えた彼の机を照らしていた。

 もぬけの殻になった机の上に、詩集が一つ置かれている。

 表紙には一枚の写真が描かれていた。

 南の果てで見つけた素敵な景色、それを背にして、少年と少女が幸せそうに笑っていた。


 (終)



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あまのじゃくな君と僕へ さまーらいと @0summer_lights0

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