あまのじゃくな君と僕へ

さまーらいと

プロローグ

<『きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ』>




[N/A]


 この世界は、少しずつ綺麗になっていくようにできている。


 世の中でなにか綺麗なものが生まれた時、その代償として、なにか汚いものが失われる。この世界に存在する不必要で汚れたものがひとつ、文字通り『姿を消す』。

 何かを生み出した過程で必ず起こるというわけではないが、時々そんな現象が世界各地で見られるようになった。

 本当に少しずつではあるものの、それがこの世界の<法則>のひとつになりつつあった。


 綺麗なもの、というものの多くは芸術だ。

 有名な芸術家の話をする。彼には3歳になる息子がいた。息子も絵を描くことが好きで、彼のアトリエに入ってきては、作業中の彼の隣で絵を書いていたという。もちろん、天才的な芸術家の息子と言えど、なんの教育もしていない3歳の描く絵は色も形も滅茶苦茶で、酷く乱雑な落書き程度のものだった。それでも息子がそこに居ることが彼にとっての安寧であったようだ。愛する家族が側にいるからこそ、彼は芸術家として大成したのだと述べていた。

 そしてある日、世界で初めて<法則>が確認された。今もなお人々に知られるような最高傑作を描いたとき、隣で彼の息子が描いていた一枚の絵が消えたという。絵画の完成と同時に、息子の落書きは目の前から消失してしまったのだ。

 それ以来、その絵を超える作品を創ることは無かった。

綺麗なものと引き換えに、同じだけ汚いものが失われていく。実際にそれを確認したのはその時が初めてだったのだ。けれど、いつからそうだったのか、正確な時期を知るものは誰一人いないと思う。


 最初から<法則>は存在していた、と述べる人もいた。

 例えば春、美しい花が咲くために、ぼろぼろになってしまった枯れ葉が養分として吸い取られ、消えてしまうように。

 例えば雨が降ったとき、空に綺麗な虹がかかるのと引き換えに、要らなくなった世界の老廃物が洗い流されてしまうように。

 この世界は初めから綺麗なものの代償に汚いものが失われてしまっていたのだ、少し形が変わっただけで、今更取り上げるようなことでもない。彼らはそう述べた。近年になってこのことが問題となったのは、現代に入って芸術のレベルが上がったからである、そう述べる人もいた。もちろんどれも詭弁だったのだけれど、誰もそれを否定することができなかった。未だ誰一人、これを説明することができていなかったからだ。


 けれどもこの<法則>は、今のところ大して深く研究されていない。このことが世界の定理に「なりつつあった」というように、依然として影響を受ける人の数が少ないからだ。実際に何かを消したことを認識するような人間の割合は、一万人に一人程度である。加えて、それが起こったところで失われるのは汚いだけのものだ。大した損害にはならない。ならば深く考えるだけ無駄だろう、というのが世界の総意であった。


 そんな、ほんの少しだけ不便になってしまった世界のはなしだ。

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