坂井ちゃんの冗談が本当になったのは、二日後のことだった。権藤支配人が新人としてルカ・白石を紹介したのだ。この日の早番は小糸さんと俺、そして坂井ちゃんだった。

「よろしくお願いします」

 礼儀正しくあいさつするルカに、気のせいか小糸さんまで顔がほころんでいるように見えた。

「じゃあ、後のことは本条くんに任せるから、ちゃんと教えてあげて」

 そう言い残すと、支配人は大きな身体を揺らして自分の部屋へと引っこんでしまった。

「頑張ってね、つかっちゃん」

 坂井ちゃんは囁き、持ち場についた。小糸さんも上へ消えていく。

「えっと、どうしようかな」

 正直、俺は人に教えるのが苦手だ。自分では考えもせずに慣れでやっていることを言葉にして伝えるのは難しい。それでもなんとか、一通りの仕事内容を実践して教えていった。

 ルカは真剣な表情で耳を澄ませ、相槌を打ちながら俺についてきた。あまりに必死な様子がなんだか健気で、ヒナを見守る親鳥の気分にさせられた。

 ルカがトイレに立った隙を見計らって、坂井ちゃんは俺を捕まえる。

「思ってる以上にかわいいよー。何あの欠点のない顔。くらくらする~」

「はいはい。見とれて仕事にならないなんてやめてくれよ」

 適当にあしらう俺を気にもせず、坂井ちゃんは尚もたたみかけてくる。

「両耳にピアスしてるのもおしゃれ。さすがイギリス育ち」

 ピアス? 気づかなかった。女って細かいとこまで見てるんだな。

 昼過ぎに坂井ちゃんと小糸さんが休憩を終え、交代で俺とルカの番になった。近くのコンビニで軽食を買い、カウンターの後ろに位置する人一人しか通れない階段を登っていく。扉の先は映写室で、休憩所も兼ねている。二台の映写機と背を向ける形で折り畳み式の長机とイスが二脚あった。すぐ近くで映写機が回っているので静かとは言いがたい。

「音が気になるようなら、客席で休んでもいいよ。下にある小糸さんがよく座ってる席でもいいし」

 と、階段下の隣りにある小さな机とイスのことを添える。

「ここで大丈夫です。映写室で食事できるなんて凄い」

「わかる。俺も初めは興奮した。今じゃ、すっかり慣れちゃったけど」

 騒音は話声を掻き消すほどじゃない。俺達は昼食を摂りながら会話を続けた。

「権藤支配人って親切な人ですね。あの痴漢騒動の時、バイト探してるって言ったら、ここで働いてほしいって言ってくれたんです。映画大好きだから嬉しかった」

 人手が足りないわけでもないのに、なぜルカを入れたのかがわかった。ただ、彼が言うように親切心からだけじゃないはずだ。それを口にする。

「たぶんだけど、計算もあるよ。きみを餌にして女性客を釣りたいんじゃないかな」

「え……、そうなんですか?」

「アイドルみたいな子が働いてるって噂になれば、いい宣伝になるだろ。きみなら間違いなく女の子にもてるし」

「そういうの、苦手なんですけど……」

 ルカはぽつりと言い、俺の方を上目遣いに見た。

「本条さん一人で充分、宣伝になると思います。かっこいいから」

 早口で言った後、はにかむように唇を噛む。

 参った。この子、わかってるのかな。そういう仕種が相手にどう取られるかってこと。

 鼻筋の通った横顔を見ているうちに、ふと、耳元に視線がいった。坂井ちゃんの言ったとおり、リングのピアスが髪の間から覗いている。甘い顔立ちに注意ばかりいってたせいで気づかなかったけど、服装もロック好き少年みたいだし、意外と攻めた性格なんだろうか。

「何か気になります?」

 長いことみつめていたせいか、ルカが不安そうに尋ねてきた。

「ピアスしてるんだなと思って」

 ルカの指が自身の耳に触れる。

「もしかして、ここってピアス禁止でした?」

「ああ、違う違う。ここはそういうの一切ないよ。ただ、個人的には好きじゃないんだ。身体に傷つけるのってどうもね」

 瞬時に相手の顔が強張ったのを目にして、デリカシーのない発言だったと気づいた。

「ルカは似合ってるからいいんじゃないかな。俺の考えが古いだけなんだ。気にしないで」

「不快な思いさせるなら外します。穴だって塞がるし、いくらでも取り返しはつきますから」

「何もそこまで……」

 よっぽど気に障ったらしい。激しい口調のルカにうろたえてしまう。

 そんな俺に気づいて、ルカは穏やかな彼に戻った。

「ごめんなさい。怒るつもりなかったんです」

「いや、俺が悪かったんだから」

 初日から気まずくなるのはまずい。なんとかしないと。

「それよりさ、丁寧語じゃなくていいよ。俺、先輩ってガラじゃないし、ひとつしか違わないんだしさ」

 ルカは、ためらいつつも早速そうしてくれる。

「そうする。じゃあ、司って呼んでもいい?」

「もちろん。これからよろしく」

 そこで、俺達は初めて握手を交わした。ルカの手は少し冷たくて、温めてあげたくなるほどだった。

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