第169話 訪れた災厄 1
帝は、光る君が帰ったことに喜んで、二年ぶりに清涼殿に姿を現していた。
光る君が、
公卿であれば、不足のない立派な牛車行列なれど、
ただそんな中、年配の公卿たちは、年からくる疲れを理由に出席を辞退すると、定時で自分たちのやかたに帰って行った。古風な彼らには、帝の女御へのなさりようが、目に余ったのである。
その日、
「わたしが持ちましょう」
「いいえ、これは後宮で楽しかった、唯一の思い出ですから……」
牛車に乗るまで
帝が引きこもって以来、
強烈な縦社会の中で、円滑な人間関係を維持する必要が不可欠だった、前世での高校の部活動の幹部(部長)としての経験を、葵の君は高くせざるを得なかった、コミュニケーション能力を、フルに稼働させていた。
箱をながめていると、絵札を取りそこねて、顔から床に落ちそうになった
その日の夜、帝は
帝と光る君が、そのようなことになってしまったのは、
まだ四歳と幼い
今日の
帝は“わたくしの女三宮”と、瓜ふたつに成長した
しかし光る君が、無邪気に
やがて
本来であれば、弓の稽古をする予定であったが、朝からの強風が夜になっても止まず、東宮は仕方がないので、今日は木刀を持って剣術の稽古に励んでいた。そこに申し訳なさそうに、官吏が顔を出す。
「帝が左大臣に使いを、とのことでございます」
手紙を手渡された別当は、東宮に断ってから、道場を出て手配をすませて、再び東宮の元に戻る。
「どうかいたしましたか?」
「いえそれが、わたくしにも分からずじまいで、失礼をいたしました」
その様子に、なにかよからぬ予感がした東宮は、隅に控えていた乳兄弟の
それから数刻後、首を傾げながら、再び内裏にやってきた左大臣は、帝の言葉に絶句していた。
なんと帝が、葵の上と光る君の婚儀の取り決めを、彼に迫ったのである。
「
「それならば問題はない。光る君には
「しかし
「どこぞの寺にでも、大々的に祈祷をさせれば、
『六条院でふたりが暮らすようになれば、わたくしが足繁く通うにも丁度よい』“わたくしの女三宮”と重なる姿形ゆえに、
「しかし、息子であるわたくしが、摂関家の当主である関白に、相談もなく姫君の離縁など……」
「よく考えてもご覧なさい、そもそも娘の婚儀や離縁の取り決めは、父親の差配するべき事柄、思えば
「しかし……」
「いまここで貴方が承諾してくれるなら、“わたくしの女三宮”を明日にでもそなたに
「…………」
左大臣は帝の「へ理屈にもほどがある」そんな言葉をずっと否定していたが、最後のひと言に大いに迷ったあと、ごくりと唾を飲み込み、やがて恐る々々、帝の用意した離縁届けに署名すると、そそくさとその場をあとにした。
怨霊事件が終わったと聞いて、大宮が帰ってきて下さると思ってから、はや二年、左大臣は寂しくて仕方がなかったし、葵の上もしばらくは驚いているであろうが、今夜の
そうなれば、関白も姫君の可愛さに許してくれると、彼は心の中で、自分に自分で言い訳をしつつ、強い風にあおられて揺れる牛車に乗って、左大臣家に帰る。
葵の上が知れば、消え去ったはずだった、運命の女神の残した爪痕を、暗澹とした思いで感じ取ったに違いない出来事であった。
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