第105話 彼方からの晴嵐 1
〈 話は『葵』が転生した源氏物語の世界/時系列は、葵の君が朝餉を食べていた頃に戻る 〉
葵の君は、気まずさしかない沈黙の中、それでも朝餉を全部食べ終えていた。
時間はあっという間に過ぎ、昼を軽々と回り、葵の君は母君から届いた手紙を読みもせずに、横に置いて悩み続けていた。
『寺だけは、精進料理だけは嫌だ!』
「これも怨霊の“祟りのひとつ”なのでしょうか……」
同情を買おうと、しょんぼりとうつむいて呟いてみる。案の定、
『まあ陰陽師は、寺に行けとか言う前に、わたしを退治しようとする気がするけど、わたしは悪人じゃないしね!』
運命の女神の気も知らず、葵の君は、のうのうとそんなことを思っていた。
「朝、姫君が元に戻ったことをかんがみて、星の巡りは関係がなさそうですね。やっぱり“口づけ”じゃないでしょうか? それしかないでしょう!」
わたしの耳を塞ごうとする、
「えっ?!」
『わたしはキスされると、大人になったり、子供になったり伸び縮みするらしい!! なにその魔法?!』
「条件的に考えて、姫君の意識があることですね。あとは……」
「意識がある?」
思わず聞き返したわたしに、“弐”は重々しくつけ加えた。
「姫君はご存じないでしょうが、裳着の夜、かなり大変なことがあって、姫君が無意識だと“口づけ”をしても、大きくならないのは、分かっているんですよ。あとは誰とでも“そう”なる体質なのかどうかの判断ですね」
「裳着の夜に“口づけ”……誰とですか?」
“弐”のあけすけな言葉に、その場の空気は凍りついていた。心の中では“弐”に賛同した“六”も、気まずそうに目を逸らす。
「裳着の夜のことは、覚えていないことが多いのですが、ひょっとして、その時、わたくしは
「いや! 誤解なきように願いたい! 姫君は裳着の夜、酒がまわり過ぎて意識を失われ、その介抱のために、口移しで水を飲ませただけで、寝込みを襲ったとかではなく!」
「酒……」
恐らくは人生で初めて、心底から釈明をする
『そうか、この世界でのファーストキスは、知らない間に終わってたのか……いや、救助活動だけどさ。十歳であれだけ、お酒を飲めば、急性アルコール中毒にもなるよね……』
そんなことを思っていたが、さすがにどう言葉をを返せばよいものかと、右手を口元にあてたまま、固まっていると、
「いえ、その、わたくしを助けて頂いたことですし!」
そう言っても、彼は頭を上げない。どうしようかなと思って、彼の右手の上に、自分の小さな両手を重ねると、ぱっと閃いた言葉を口走る。
「わたくしは“
『そうだよ! これから、あの光源氏がいる後宮に出仕するのに、誰でも変身するとなったら、病気で弱ってる時とかに襲われたら、大変なことになってしまう! ええい、この際だ!』
元の子供サイズの葵の君は、若干のやけっぱちと、他の誰かを呼ぶ訳にもゆかぬ、究極の取捨選択をした。
“弐”と“六”に視線をやり、当然ながら安全性と、いままでの信頼関係から“六”を選ぶと、素早く近づいて、彼の顔を小さな両手で固定すると、軽くキスをしてみた。
「な、なにをするんですか?!」
真っ赤な顔で飛び上がって、目の前から下がる“六”、葵の君を慌てて引き寄せる
色々と一杯々々の葵の君は、星の巡りの話は華麗にスルーしていた。
「なにをって、出仕前に確かめておこうと……あら?」
『体が痛くない』
自分の手を見てみると、元の十歳のままで小さい。体にはなにの異常もない。
その後“葵”は“葵の君”になってからは、誰ひとりとして自分にしなかった説教を、
普段の大音量の、彼の怒声を知っている陰陽師たちからすれば、それは深窓の姫君を気づかった、極軽い“おとがめ”だったので、前世から持ち合わせている『体育会系仕様』で、どんなに大声で怒鳴られても「わたしの耳は、いまチクワ……」そんな風に、心の中でボリュームが下げることができる葵の君には、これっぽっちも
『それどころじゃないのに……』
葵の君は叱られながら、そんな風に思っていた。命に比べれば、キスのひとつやふたつ、軽いものである。
持ちあわせている、千年以上先の現代的な価値観も、自分の行動をいいように正当化する原因だった。(現世“葵”であった時のファーストキスは、高校の時に家にホームステイしてた、エレナに挨拶でキスされて、残念なままに終了していた。)
葵の君は畳の上で、説教をおとなしく聞いていたが、少しだけ伸びあがって、今度は
そんなこんなで、大混乱の中、話は葵の君が、大人サイズでぐったりと、
『顔色が悪い……』
元の幼い姿から、大人の姿に変化するのを見ていた“六”たちが言うには、葵の君が姿を変えるのは、陰陽師や一部の僧侶が使う“幻術”の類いではなく、十年をかけて成長するような体の成長を、一瞬に集めて
痛みを我慢しようと、噛み締めた唇が怪我をしそうで、思わず姫君の口をこじ開けて、自分の指を割りいれた。
これも怨霊の呪いなのだろうか? 誰よりも后妃にふさわしい身分に生まれ、誰よりも美しく秀でながらも、后妃となることを諦めざる得ない立場に追い込まれた上に、なんの因果でこのようなことにと、思わず姫君の運命を手配りした神仏を呪う。
これが、姫君の類まれなる神懸った才を持つことへの、代償であれば、いますぐにでも姫君を、ごく普通の存在へ取り替えてくれと願った。
『いててて! いつの間に、
一度目の変身よりも、いくらかは体の痛みはマシだったが、この変化には心はともかく、体がついてゆかなかったようだ。いきなり立ち上がろうとして、目の前が暗くなり、慌てた
『だめだ、いきなり育ってるから、血が足りてない。鉄分不足やね……』
葵の君は「変なところだけ、現実が混ざっているなぁ」と思いながら、誰が着せてくれたんだろうと、自分が着ている大人サイズの、体に合った
「昨日の夜、“弐”に持ってこさせていました」
「そうなんですね……」
『あの大荷物か!』
やっぱり変なところだけ、現実的だと思いながら、
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