第79話 宴のあと 2

 中務卿なかつかさきょうは、“弐”だけを残し、人目を避けて牛車に乗り込むと、家路につく大勢の出席者たちの牛車の行列に混ざり、自分のやかたに帰る。


 残りの陰陽師たちも、料紙に包んだ蛇の死骸と共に、彼のやかたに徒歩で向かった。


 夜空には大きな満月が浮かび、照らし出された朱雀大路を真夜中だというのに、沢山の牛車がぞろぞろと列をなし、それぞれなにがしかの返礼として送られた美々しきころもや品々と一緒に家路についてゆく。それはまるで一幅の絵のような、風情のある光景であった。


 うたげに出席した姫君たちは、葵の君に会えなかったのは残念だったが、御簾越しに直接目にできた公達きんだちを、母君や姉妹とうわさしてみたり、うわさに高い蔵人少将くろうどのしょうしょうを御簾越しに拝見できた感動を思いだして、ため息をついたりしていた。


 年頃の姫君に届けられた歌を見た父君が、牛車の中で肩の荷を降ろしたり、降ろさなかったり、細やかな悲喜劇もあったが、大体はそれぞれ楽しい春の夜であった。


「庭から入ったのでしょうか?」


 中務卿なかつかさきょうのやかたでは、彼と陰陽師たちが、ひっそりと集まっていた。蛇の死骸を包んだ分厚い料紙を開いた“壱”の問いに、山奥育ちの“参”が小さく首をふる。


「この種の蛇は、このあたりにはいません。これは多分、典薬寮で薬として保存しているような、南方の毒を持つ蛇かと思われます」

「内々に調べよ、怨霊が使えぬと分かって、恐らく仕掛けられたのであろう」


 中務卿なかつかさきょうは、関白にも報告せねばと思いながら、そう言うと、陰陽師たちに今日は泊っていくようにと言葉をかけ、自分も少し眠ろうと装束を脱ぎ、単衣を軽く着て、御帳台の中に用意されている布団の上に転がった。


 ふと、人の気配がして視線を向ける。いつの間にか、そこに“六”がいた。誰もいないのを確かめて口を開く。


「そなたと出会って、一体どれほどの年月がたったのか……“六”、否、『  』そなたは、わたしが命を救った時に、いつの日にか、恩を返すと言ってくれていたが、その恩は、葵の君のために取り置いてくれまいか?」


 いつになく懇願するような、彼に似合わぬ様子に、“六”は薄く笑う。


「もとより貴方様に命を救われ、寛大にも友としての時間をいただき、その上、姫君によって、魂魄こんぱくを授けられた身。いかなることも申しつけ下さい……(第二皇子に)先手を打ちますか?」

「いや、まだいい」


“六”は彼の返事に、意外そうな顔をする。


「いかに希代の陰陽師とはいえ、後宮での“荒事”は分が悪い。それに“怨霊”が先だ。あちらは確実に姫君の命に係わる」


 やはり聞いていたなと言う表情で、中務卿なかつかさきょうは顔をしかめて首を横に振った。すべて姫君の“夢”


 証拠はなにひとつなく、それがゆえに姫君は、関白と自分にだけ、打ち明けたのであろう。だが、否定した訳でない証拠に、彼は『まだいい』と、“六”に言っていた。


「分かりました。いつでもどうぞ……」


 言葉の裏を察した“六”は、不敵な笑みを浮かべ姿を消す。


“六”が『式神』を通して手に入れた、二人しか知らぬはずの情報は、彼にとっても耐えがたいもので、たとえ“冥府魔道”に落ちようとも、姫君のためとあらば、彼はそれを是として、実行するつもりであった。そして葵の君が彼に口づけられていた、あの時、鋭く感じた胸の痛みを、不思議に思う。


「きっとあれは、姫君が心配だったからだ……」


“六”は、自分を納得させるように、そうひとりごとを口にして、光景を忘れようと首を振り、同僚の元に下がっていった。


 一方、中務卿なかつかさきょうは“六”が姿を消したあと、姫君と天香桂花てんこうけいかの君の満面の笑顔が、脳裏によみがえり、忘れようと首をふる。


 あのご様子では、目が覚めても姫君は、なにも覚えてはいないだろう。今後、酒は飲まぬように伝えねばと思い、自分さえ忘れてしまえば、はじめからなかった予想外の出来事なのだからと、今日の出来事を振り返りながら、何気なく唇を触る。


 指に少しついた赤色に、姫君が唇に差していた紅だと気がつき、慌ててこすり落とした。まるで、あの時の姫君の唇の感触を忘れるように……。


「しかし、どうしたものか……」


 彼は誰に聞かせるでもなく、そう呟くと、しばしの眠りにつき夢を見た。


『もし、もしも、そうなったら、わたくしと駆け落ちしてくれますか?』


 夢の中に現れた、悲しそうな顔の天香桂花てんこうけいかの君に再び問われ、つい承諾してしまい、飛び起きた翌朝の中務卿なかつかさきょうであった。


 彼は姫君の『夢』に比べて、下心が透けているかのような自分の夢に、お告げどころか、罪悪感しか覚えられず、雑念を払おうと弓道場に足を運んだ。(なにせ、自分が見る夢ときたら、なんの暗示にもならないモノばかりだと、彼はいままでの人生で悟っている。)


「わっ!」


 出仕前に弓道場に立ち寄って、弓を放っていた、くだん検非違使けびいしの別当、その他、数人が思わず声をだす。


「……すまん」


 天香桂花てんこうけいかの君の顔がチラついて、集中力がプツリと切れた中務卿なかつかさきょうの矢は、ひきしぼったと思いきや、つがえた弓が弦からはずれ、あらぬ軌道を描いて、さっきまで別当のいた床に転がっていた。


「どうかなさいましたか?!」

「昨日の大任の疲れですよ。あの関白の孫娘である、摂関家の姫君の裳着でしたから」

「姫君はどのような方でございました?」


「………」


 その頃、中務卿なかつかさきょうの家人、猩緋しょうひは驚愕していた。相変わらず女房の手が足りないので、彼は主人の束帯を、しぶしぶ片づけていたのだが、なんと装束の胸元に白粉おしろいがついていた。


『昨日の夜、なにがあったのか……』


 昨日は左大臣家で御主人様は、左大臣家の姫君の裳着の腰結役という、大役を引き受けて、特に問題なく、牛車に戻っていらっしゃった。


『なにがあったんだろう? ひょっとして、うちの御主人様にも、やっと春が……』


 家人は主人の内心も知らず、彼の装束を抱えて、しばし夢を見ていたが、飾り太刀の鞘についた刀傷を見つけ、まさかとんでもない事件だけは引き起こしてないでしょうねと思いながら、そろりと太刀を抜く。


 案の定、刀身には血振りの痕。真っ青な顔で証拠隠滅、もとい、刀を手入れするべく手早く研ぐと、彼はさやを新しい物と取り換えて、出仕する主人の着替えの横に素知らぬ顔で、刀置きに置く。


『御主人様こそ、竹光を持ち歩いて欲しい!』


 彼はそう思った。



〈後宮/登華殿とうかでん


 春を迎えた頃から姫君ご出仕までの準備のために、後宮にある登華殿とうかでんには、先乗りで、じょじょに左大臣家から、姫君と大宮つきの女房たちも入りだしていた。


 その数は優に四十名を越え、後宮でも一、二を争う規模であったが、姫君に加えて帝の同腹の妹君である大宮も同行されるゆえ、大きな話題にはなっているが、表立ってはどこからも苦情はなかった。


 いまでも籍だけは内務省に属する大宮つきの『御園命婦みそのみょうぶ』の指示に従って、女房たちは日々、女主人たちのために、細々こまごまとしたところまで、準備万端おこたりなく勤しむ日々を過ごしている。


「あら、お久しゅうございます! また、お会いできて嬉しゅうございますわ!」


 そう言いながら、御園命婦に声をかけてきたのは、帝に仕える女官、源典侍げんないしのすけであった。


 先帝から二代に渡って、帝に仕えるこの内侍ないしのすけは、葵の君が就任する尚侍ないしのかみの次に地位が高い。


 本来であれば、名誉職である尚侍ないしのかみの代わりとして、実務を取り仕切るはずの女官であったが、彼女は女官としての実績よりも、その色好みで、つとに有名であった。手にはどこから送られたのか、桜の枝に結ばれたふみ


「久しいのう源典侍げんないしのすけ、いまは多忙ゆえ、またのちほど」


 女官としての地位的には内侍ないしのすけに劣るが、大宮(女三宮)の腹心である御園命婦みそのみょうぶに、内侍ないしのすけは愛想よく丁寧に接しているのに、命婦みょうぶの返事はつれない。


“コレ”が姫君の支えになるはずがないと、命婦みょうぶはいまから心配であった。届いた歌に心が浮かれている源典侍げんないしのすけは、無愛想な命婦みょうぶの対応も気にせず、軽く会釈をして、その場を去った。彼女は基本的に、頭に花が咲いている性格であった。


 登華殿とうかでんには、いつの間にか、まだ蕾も固い君影草きみかげそう(鈴蘭)の鉢植えが届けられる。


 姫君の出仕まであと少し……。


 *


『多分、本編と関係の無い小話/引き出物? 編』


 裳着の宴に行った時に、台盤所の試作品“蜂蜜酒/ミード”を、一瓶もらってきた、蟒蛇の“伍”


参「そんな物はもらってない」福袋みたいな詰め合わせの箱をのぞいてる。


伍「台盤所の試作品なんですよ。じっと見ていたら、くれたんです!」凄く物欲しそうにながめていた。


六「卑しい……意外と甘くない」蜂蜜の薫りがする白ワインみたいな味でした。


伍「酷い!!」なにかモヤモヤしていた“六”に全部飲まれてしまったのでした。


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