第20話 巡り合い 1

『一大イベントを終えた!』


 全国大会の帰りにバスに乗った時も、こんな気分だった気がする。さっさとお風呂に入って、布団に入って眠りたい。


 そんな気分の葵の君であったが、母君はもう休むのかと思いきや、わたしを連れて東の対の中心にある昼御座ひのおましと呼ばれるやかたの主人が昼間、過ごすための部屋へと向かってゆく。西側には塗籠ぬりごめ(倉庫)


 この塗籠ぬりごめは、前出の絹が入った塗籠ぬりごめではなく、いつもは宝物などを収めている場所で、今日はうたげの席に飾るために、ほとんどの品が持ち出されて、ほぼ空だ。


 昼間、通りすがりに、ここをのぞいた葵の君は、「このままわたしに下さらないかしら?」そんなことを紫苑に言っていた。


 わたしの発言を、紫苑は冗談だと思って、笑っていたけれど、割と本気だった。いいよね! 壁のある生活! プライベート空間!


 変なことを思い出しちゃった。誰か知り合いでもくるのかなぁ……ちょっと疲れた、気疲れかなぁ? いや、もう少しだ頑張ろう!


 葵の君は、母君にみちびかれるままに、御簾の内側に並んで座る。


 今夜は、まだなにも口にしていない姫君を心配した紫苑によって、お茶(この時代は貴重品!)と蒸し菓子(蜂蜜プリン)が乗った小さめの膳が、目の前に用意された。


 紫苑の髪には昼間、「おそろいね」と言いながら、葵の君がつけてあげた花の飾り。


 でもこれは、一体いつ食べていいんだろうか? そもそも人前で物を食べていいのかどうか……ひょっとして、見ているだけの飾り?


 葵の君が食べるタイミングを計りかねながらも、まあいいかとプリンに手を伸ばそうとしたその時、御簾みすのあちら側に、見知らぬ二人の公達きんだちが現れたのを見て、彼女は慌てて伸ばしかけた手を引っ込めて、すました顔で綺麗に座り直した。


 二人の公達の前にも、お茶と菓子が用意され、母君の指示で、すぐに紫苑や女房たちも姿を消す。


「本日はようこそ、お越しくださいました」


 やや疲れたのか、上品に脇息きょうそくに寄りかかりつつ、母君は女房を介さずに、ご自分で丁寧に対応されている。かなりの身分、かつ母君の親しい公達だろう。


「改めて姫君のご全快、恐悦至極に存じます」

「こちらこそ再びのお運び、ありがとう存じます」

「………」 


“わたしが知っているはず”の人だろうか?


 葵の君が素早く脳内の外づけHDを検索したところ、現れた公達のひとりは、初対面だけれど、もうひとりは恐らく『母君の命の恩人/中務卿なかつかさきょう』だろうと思う。


 直衣のうしで隠しきれない、蛇のったような首筋の火傷やけどあとが、なによりの証拠だ。


 視線を上げて、彼の顔を見上げた葵の君は、彼の顔をポカンと見ていた。(御簾みす越しではあるけれど、光の加減でよく見えたのだ。こちらが暗くてあちらが明るい。)


「………」 


『イケメンだ! 超イケメンが、目の前にいる!!』


 女性的な美しさが是とされるこの世界で、彼の凛々しくて厳しい顔立ちと、鋭い眼差しは、かなり、いや絶対に怖そうに見えるんだろうけど、前世が『武道系女子』だった葵の君は、この世界に来て初めて『超カッコイイ人』を見たのであった。


 きっと弓とか、めっちゃ上手いんだろうな! 流鏑馬やぶさめとか! 古武道とかもさ! 武士っぽい! カッコイイ!


 この時代の武士は、貴族の犬と言われる、低いくらいだったので、誉め言葉にはならない。葵の君は小さな両手を口にあてて、お口にチャックした。沈黙は金である。


『カッコイイ!』


 心の中に久々に十九歳の“乙女心”がよみがえっていた。


 兄君はジャンルが違う。


 しっかりした美少年だなとは思うけど、カッコイイとは思えないのは、仕方のない話だよね、兄君十二歳だし、わたしの中身は十九歳だし。


 脳内で母君から聞いていたはずの、彼の武勇伝を再び検索する。


 彼は母が更衣の元皇子で、軽んじられながら、後宮の片隅で育つも、いざという時は炎の中に飛び込んで、内親王であった母君を助け出した、母君の英雄だった。


 いまは臣下に降り、有能な公卿として活躍している。そりゃ母君が、もうひとりの実の兄と慕う訳だよね。しかも超イケメン! (わたしの主観だけど)


「葵の君、こちらが中務卿なかつかさきょうでいらっしゃいます。この方がいらっしゃらねば、わたくしも、いえ、貴女あなたもこの世にはおりません。常に言ってきたように、わたくしにとっても、貴女にとっても、命の恩人。母の本当の兄君として、貴女の大切な叔父上として接するようになさいね」


 母君がそう言っても、中務卿なかつかさきょうは内親王であった母君に、決して礼儀を崩さず、むしろ控えめにされている。


 そんな様子が御簾みす越しにも伝わった。彼はいまも部屋の遠く、端の方で視線を上げぬまま、母君と言葉を交わす。


 光源氏と同じ立場の元皇子……こっちが物語でいいよ! むしろこっちがいいよ!


中務卿物語なかつかさきょうものがたり』とか!


 葵の君はプリンのことも忘れて、小さな白い陶器でできたさじを、握りしめたまま思う。


 こんなカッコイイ人が、自分の母と凄く仲がいい叔父さんなんて超嬉しい! チケットを取るのも困難な、大ファンだったアーティストが、実は自分の叔父だった! それくらいの興奮である。


 好意的な印象が伝わったのか、彼は不思議そうに、こちらを見ていた。


 彼が不思議そうだったのは、自分の強面こわもての顔と傷跡のせいで、女童めわらに泣かれることはあっても、嬉しそうな顔をされたことなど、一度もなかったからである。


 彼女自身は気づいていなかったが、重すぎる未来を背負っている葵の君にとって、『中務卿なかつかさきょう』が輝いて見えるのも仕方ない要素も、もちろんある。


 彼の母君に対する紳士な対応、幼い自分に向ける健全な眼差し。


 恋ではないが、紳士なイケメンを見つめる葵の君の眼差しは、完全にアイドルの本来の意味である『神』を見つめる視線だった。


 なにせ自分の将来は流れにまかせて、このまま行ってしまうと『光源氏』と結婚する羽目になり、短くて悲惨な生涯を終える。


 光源氏の愛人である六条御息所ろくじょうのみやすどころに祟り殺された上に、光源氏は嘆きつつも(嘘っぽいなあ、子供と一緒に残された『自分が』可哀そうだったんじゃないかと、わたしは疑っている。)


 そして引き続き、発掘した幼女を自分好みに育てる、計画的な疑似ロリコン。


 更には唯一の味方であった、自分の父親の帝の妻で、自分の母親ソックリの義理の母、藤壺宮ふじつぼのみやを強姦して妊娠させるトンデモ男なのだ。


 こうやって並べるとドン引きするよね! めっちゃ怖いよね!


 もっと色々とあった気がするけど、怖すぎて思い出したいような、思い出したくないような……。


 平安時代に書かれた物語だから、そういうのが美しい時代だからというのは、いまの葵の君には、受け入れられない。


 上下関係の超厳しい体育会系の部活に所属していたとはいえ、そこは『男女雇用機会均等法』が施行され、コンプライアンス遵守を重視される、ミレニアムもすっかり通り越した、そんな現代に生きていた女子である。


 才能に溢れ、目が潰れるほどのイケメンに育とうとも、そんな騒動を引き起こすことが分かっている光源氏とは、相いれたくないのだった。


「………」


 将来の恐怖のあまり、色々と変なことを考えてしまった……。


 葵の君は、せっかく楽しい気分だったのに、パニックを起こしかけたことを反省したが、さじを握っていた手が、僅かに震えるのを自覚する。


 つい思い出した恐ろしい未来予想図に、食欲も失せ、もうひとりの公達に視線を移した。



 *



『本編とはまったく関係の無い話と小話』


 昼の御座ひのおましは、内裏では帝の昼のいらっしゃる場所で、貴族の邸宅では寝殿造りの母屋にあった主人が昼間暮らした場所らしいのですが、葵の君のお家は今現在、母君が東の対でお暮しになっているので、東の対にも昼の御座をもう一個、用意しています。父君は御降嫁して結婚したいまも、内親王であった大宮に、自分は仕えていると言う気持ちがあるのでした。


どこかの公卿「本当に左大臣は、北の方となられたいまも、大宮を大切にされていますね」この時代、いないだろうというくらい、一途な愛妻家で有名。(京中の北の方が選ぶ“こうあって欲しい夫No.1”に大宮と結婚して以来、十年連続選ばれた後、殿堂入りしている。)

右大臣「御降嫁して頂いた時の騒動を思い出せば、いまは落ち着いたものだよ……」騒動を思い出した遠い目。


 輿に乗って母君は、お嫁に左大臣家にきたんだけど、埃が内親王に舞ってはいけないと、内裏から左大臣家まで、レッドカーペット(赤い唐織の布)を敷き詰めた、当時の左大臣でした。

右「あの時はさすがに肩身が狭かったなー」帰ってから自分の北の方に、チクチク嫌みを言われたことを思い出した。(右大臣は毎年“こうあって欲しい夫”の圏外)

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