第79話 心の準備なんて二の次です

 一階の最も奥まった所にある大きな二重扉の部屋。床はタイルが敷き詰められ、手術室に似た雰囲気を持っていました。壁際には大小のケージ。対峙する向かいの壁には大小のベッドが並んでいます。運び込まれた仔達は次々にベッドへと乗せられ、すぐに治療を始めて行きました。


「点滴! 輸液をバンバン入れて頂戴!」

「局部麻酔終わった。虫は払い落して、ちゃんと始末する事。痛みは感じないから消毒は躊躇なしだよ」

「やばっ! この仔肋骨折れているよ! この仔の折れ方ヤバイかも⋯⋯」


 声高に発せられる言葉と、止まる事なく動き続ける体。張り詰める焦りと緊張。私達は飲み込まれまいと抗い続けていきました。


 一番状態が芳しくないのは現場で手術オペを決行したイスタルタイガー。

 呼吸は浅く、苦しそうです。

 モモさんが、再び手術オペに踏み切ろうかとした瞬間でした。

 

「瞳孔が開いていきます。呼吸止まります!」


 刻々と変わる現状。

 目の前で、イスタルタイガーが朽ちようとしています。

 私は口に空気を送り込んで行きます。モモさんが私の叫びに心臓を激しく押し込んで行きました。


「呼吸停止です!」


 モモさんの背中しか見えませんが、表情は優れないはずです。


「こっちもヤバイよ! 多分肋骨が内臓どこかに刺さっている!」


 フィリシアが診ていたオルンカールが血に染まった口泡を垂らしていました。

 軽傷じゃなかったの? 

 私は空気を送り込みながら、驚きを隠せないでいました。


「モモ! 虎は諦めよう。こっちを診てくれ」


 アウロさんが、オルンカールに聴診器ステートを当てながら叫びます。集中は天井知らずに上がって行きました。


「肺だ! エレナ! こっちに空気を送って! ラーサ麻酔と点滴の準備! すぐに手術オペするよ。折れた肋骨が肺に刺さっている! 急いで!」


 点滴台にぶら下がる麻酔や抗生剤。ラーサさんは迷い無く、点滴針を刺して行きます。

 一刻を争う現状が、私達を次々に襲います。

 一瞬たりとも気の抜けない張り詰めた空気だけが、ここにはありました。


「モモ!」

「無理! ラウスベアの心拍落ちて来た! 直マッサする! フィリシア! こっち手伝って!」


 アウロさんはモモさんの切迫を伝える言葉に厳しい顔を向けました。


「僕がやる。ラーサ、エレナ手伝って」

「はい」

「ラーサ、麻酔どう?」

「いいよ。7割だけど行こう」

「よし。じゃあ、始めます」


 アウロさんの握るメスがオルンカールの胸を開いて行きます。痩せこけた体は直ぐに骨へと届き、いびつな形を見せる肋骨はすぐに見えました。突き刺さった肋骨に手を掛けましたが、アウロさんの手が止まります。


「アウロさん抜かないのですか?」

「抜けないんだよ」


 アウロさんの代わりにラーサさんが答えてくれました。


「大きな血管を傷つけているかも知れない。抜いた瞬間、大出血したら助かるものも助けられない⋯⋯モモ、こっちを頼む! エレナ! モモと代わって!」

「へっ!?」


 いきなりの言葉に驚いてしまいました。フィリシアは? ラーサさんは?


「エレナ! 急いで!」


 考えている時間などありません。

 私も戦力として認められた。うん、きっとそう。

 自身に言いきかせて、岩熊ラウスベアの方へと急ぎます。


「エレナ、手を出して」


 私が両手を差し出すと、モモさんは私の両手をすぐに掴みます。そのまま、ラウスベアの胸の中へと深く差し入れて行きました。生暖かく、ぬるっとした血の感触。私の両手にモモさんの手の平が添えられると、拳ふたつ分程の臓器に私の両手を当てていきます。

 これが心臓⋯⋯。


「これくらいで、押し込んで」


 モモさんの手が私の両手越しに心臓をマッサージしていきます。

 凄い力。

 手の上から感じるモモさんの力は想像以上でした。その力強さに思わず目を剥いてしまいます。


「強くね。優しくなんてダメ。いい?」

「はい」


 モモさんの手が離れて行きました。モモさんの両手の感触を思い出し、一心不乱に押し込んで行きます。モモさんとフィリシアは、血塗れの口泡を垂らすオルンカールの元へと急ぎました。

 

 一歩間違えば、口を開けて待ち構える混乱へと落ちて行ってしまう。その思いが緊張を運び、拍動は上がって行きます。

 目の前にある事に集中。教えて貰った。大丈夫。

 何度もこの言葉を心の中で繰り返し、零れ落ちそうな命を繋ぎ留める為に両手を押し込んで行きました。


「フィリシア、骨の具合を確認して。モモ、術視野はこれでいける?」

「これは⋯⋯。骨接ぎにヒールも必要だね」

「肋骨が邪魔しているわ。体が小さいからねぇ⋯⋯二、三本一度取り除いて貰える?」

「三番と四番を一回切り取ろう。どちらにせよ骨接ぎが必要だし、行くよ」

「肺にもヒールを落した方が良くないか? 肺と骨、二回ならヒールいけるよ」

「よし。じゃあ、まずは刺さっている骨を抜いたら傷を縫ってすぐにヒール。それが終わったら、肋骨をプレートで固定してヒール。いいね」

「プレート取って来る」

「モモ、縫合の準備はいい? ラーサ、ヒールの準備を」

「いつでも」

「行くよ。3、2、1⋯⋯」

「【癒光レフェクト】」


 背中越しに届く言葉が熱を伝えます。

 極限の集中に、静けさが訪れていきました。無駄口を叩く人などいません。

 静かに状況を精査する言葉が時折行き交い、後は静かに処置の音が聞こえて来ました。静かに圧は上がって行き、静かな熱が私達を覆って行きます。それは誰もが救いたいという願いと、思い。

 

 トクン。

 感じた事の無い感触が両手に伝わります。

 その感触に疲れが吹き飛んで行きました。それは私に命を伝えます。


「⋯⋯戻ってらっしゃい」


 私の口から自然と零れて行きます。

 トクン⋯⋯トクンと小さな拍動が、両手に振動となり伝わって来ました。

 その小さな拍動に合わせ、両手で更に押し込んで行きます。


「もう少し、頑張れ」


 トクン⋯⋯トクン⋯⋯トクンと弱い拍動が戻ってきました。私達の願いが通じたのです。


「拍動戻りました!」

「フィリシア! 昇圧剤、痛み止めを各10単位。眠剤を5単位、急いで!」


 私の叫びにアウロさんがすぐに反応を見せました。フィリシアが点滴瓶に薬剤を投入して行きます。


「エレナ、縫い合わすから手を抜いて」


 眠剤のせいなのか意識は朦朧としていますが、安定した呼吸を見せています。フィリシアが穴の開いていた胸を素早い手つきで縫い合わせて行きました。手に伝わっていた命の感触を思い出し、束の間の安堵を覚えます。

 良かった。

 繋ぎ留める事が出来た命が目の前に⋯⋯。


「おかえり」


 私はポンと眠っている岩熊ラウスベアの頭に手を掛けました。


「エレナ! こっち手伝って!」

「はい! すぐ行きます」



 オルンカールの口元でバッグする私にフィリシアが、ニヤリと不敵な笑みを見せます。


「泣くかと思ったけど、泣かなかったじゃん」

「何それ! もう」


 必死過ぎて、泣いている余裕なんて無っかたのですよ。

 私はバッグしながら、膨れて見せました。フィリシアはその姿に笑みを浮かべ、施術を続けて行きます。その笑みが、大きな山を越えた事を私に教えてくれました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る