第56話 砂時計が終了の合図をお知らせします

 舞台ステージの上では、カチャカチャとハサミの擦過音が響き渡ります。軽快な音を鳴らしているのはカミオさん。他の参加者の方からは迷いが見えました。答えが見えないまま先に進んでいる不安が、ハサミ捌きからも伝わってしまいます。作業台の上の仔達も心なし、不安気に見えてしまいました。

 

 フィリシアが見せる、迷いのない大胆なハサミ捌き。

 他の人とは一線を画すそのハサミは、不敵にも映ります。バサっと落ちて行く毛の束を一瞥する事なく、ハサミを入れてはまたゆっくりと眺め、また大胆にハサミを入れて行く。

 一見雑にも見えるフィリシアの所作で、目の前の仔はあっという間に綺麗に刈りあがっていきました。

 完成が近いのか、ようやく繊細なハサミ捌きを見せます。ほんの少しだけですけどね。


「うん。いいんじゃない」


 自画自賛のフィリシアの前には、見事に刈りあがったオルンドール。可愛さとモップ具合を絶妙に残しつつも、もっさりとしていた感じは無くなり、すっきりとした見た目になっていました。


整毛トリートメントの準備するね」

「エレナ、ストップ。これで完成」

「ええー!?」


 不敵な笑みを浮かべ、右手を軽く上げました。完成の合図コールです。

 私は急いで落ちている毛を掃除して、この仔の作業台ステージを綺麗に整えます。

 あまりの急展開に余計な事を考える余裕すらありませんが、漠然とした不安はぬぐえません。

 本当に完成?? 整毛トリートメントは?? 私の困惑は司会者さんも同じでした。


「「「フィ、フィリシア・ミローバがここで完了の合図コールだ! これは、どういう事だ?!」」」


 伝声管から響き渡る困惑に、フィリシアは余裕とも言える笑みを浮かべ、必死に整毛トリートメントをしている【オルファステイム】の陣営を一瞥していました。

 一番困惑しているのは、デルクスさん。フィリシアの視線に気付くと、激しい困惑の素振りを見せています。


「出来たぁ~!」


 カミオさんが元気良く右手を上げました。なんと、カミオさんがヤヤさんを抜いて二番手に滑り込みます。ってあれ? カミオさんも整毛トリートメントをしていません。

 もしかして、しない方がいい? してはいけない? 

 カミオさんの所で一回出会っているって言っていた。という事はカミオさんも出会っているって事です。

 そんな非常識な仔なの?

 私の前で見せる愛嬌のある姿からは、想像すらつかない曲者って事なのでしょうか。


「「「な、なんと! ヤヤを抜いてカミオが完了の合図コール! 予備予選最下位通過のカミオ! ここで大番狂わせか!」」」

「ちょっと! 恥ずかしいから、余計な事言わないでよね!」


 ふくれっ面を見せながらもフィリシアと同じように、満足気な笑みを見せ、目の前の仔を優しく撫でていました。


 舞台ステージに渦巻く、困惑が混乱を呼び起こします。

 整毛トリートメントしないのが正解? 

 そんな非常識な⋯⋯。

 渦巻く混乱と困惑。正解が見えないまま賭けに出るのか? 非常識な王者チャンピオンに乗るのか? 常識を見せる大手に乗るのか⋯⋯。

 遅れを取っている者は、非常識に乗り、順調な者は常識に沿って行く。

 無常に時を刻む砂時計は逡巡すら許さず、一瞬の判断が勝敗を分けていきます。


 フィリシアは作業台の上で寛いでいる仔を愛でながら、その様子を見つめていました。


「いやぁ、危なかったよ。初っ端のカミオさんの動きに気づかなかったら、取り返しがつかなかったかも」

「カミオさんの動きって? ⋯⋯あ、ハサミと櫛をバケツに入れていたやつ?」

「そそ。この仔の毛って特殊でしょう。水分を溜める作りになっているって言ったじゃない。じゃあ、ここでエレナに問題です。毛に油がつくと?」


 フィリシアはいたずらっぽく、こちらを見つめます。


「あ! 水を弾いてしまう」

整毛トリートメントすると?」

「ああ! 艶を出す為に水分を閉じ込めてしまう! 水分を弾いたり、閉じ込めちゃうと体温の調節が出来なくなっちゃう!」

「正解~。この仔の水分調節を邪魔する動きをしてはダメでしょう」

「そっか⋯⋯」

「カミオさんとアウロさんに感謝だね」


 カミオさんの経験とアウロさんの知識。もし【オルファステイム】にアウロさんがいたら、結果は違っていたのかも知れません。


「ストップだ! ストップ!」


 デルクスさんがオルンドールの特殊な毛を手に取り叫びました。整毛トリートメントをしていた助手アシスタントの方々の手が止まります。何が起こっているのか困惑する姿が見えました。

 デルクスさんがこちらを一瞥すると、悔しさを押し殺すかのように苦い顔を見せます。

 どうやら、その顔を見る限りフィリシアとカミオさんが正解のようです。

 デルクスさんも遅まきながらとは言え、自身で答えに辿り着いたのはさすがですね。

 【オルファステイム】が人海戦術で巻き返し、三番手で終えました。油や整毛剤リンスを取り除くのに相当苦労していましたよ。もしフィリシアが気が付かなかったら、私達は時間切れタイムアウトで、間違いなく予選落ちしていたでしょう。


 このクセのある予選課題に、観客の皆さんもざわついていました。常識では有り得ない手技を求める今回の課題は可愛さも難易度もS級です。観客の皆さんのざわめきも喧々諤々、互いの意見をぶつけ合い、妙な盛り上がりを見せていきました。


「そう言えば、何で濡らしていないのに洗毛剤シャンプーが泡立ったの?」

「え? ここまで来たら分かるでしょう。考えてごらん」


 フィリシアが意地悪く口端を上げて見せました。

 その顔が何だか悔しくて、ちょっと意地を張って考えます。

 あ! そうか。

 答えはもうとっくに聞いていました。


「元々毛に水分が溜まっているから、わざわざ濡らさなくともいいんだね!」

「そういう事」


 毛先を触ったらふわふわですが、その芯にはしっかりと水分を蓄えている。それにいち早く気が付いたという事ですか。

 ひと仕事終えた安堵もあってか、フィリシアはリラックスしていました。

 それでも集中を切らす素振りは見せません。多分、次に向けての準備も始めているのだと思います。

 

 砂時計は唐突に落ちきり、終わりを告げました。


「「「時間です! そこまで! みなさん、手を止めて下さい。ダメですよ、もう。さぁ、これより、予選の審査を始めます! 審査員の方々は壇上にお願い致します!」」」


 予選通過は間違いないでしょう。あとは何位で通過するかです。

 決勝は予選下位よりスタート、あとから発表となる上位陣がやはり有利との事です。カミオさんとの争いですかね。戸惑いを見せたヤヤさんは絡んで来ないと思うのですが、どうでしょうか?


「モーラさん、お手柔らかにね」

「審査中だ。話し掛けるな」

「はいはい」


 フィリシアがやる気のない狼人ウエアウルフさんに声を掛けると、ジロリとひと睨みして、審査用紙ジャッジシートに何やら書き込んでいきました。

 

 淡々と粛々と。審査員の方々は各作業台の前に立っては、オルンドールの様子をつぶさに観察していきます。

 舞台ステージ上には、緊張感が走っていました。当落線上と思われる方々は、祈る眼差しを審査員の方々に向けますが、審査員の方々は目を合わそうともしません。

 審査用紙ジャッジシートに静かに書き込んで行く姿だけが、舞台ステージの上で繰り広げられていました。


「「「さぁ! 予選の結果が出揃いました。ドキドキが止まらない人、いるんじゃないの~?! 決勝に上がる優秀者8名の発表です! 第8位! 【ドノアントリマー】所属、グスタフ⋯⋯」」」


 いよいよ発表です。各審査員の持ち点は速さ10点、技術10点の総得点は60点満点となります。速さと技術点を足した予選の得点と共に、寸評が付け加えられます。概ね、出足での躓きが減点対象となっていました。下位の方々は似たり寄ったりの言葉が付け加えられ、厳しい言葉も多いです。


「「「いよいよ、上位3名の発表です! 予選第3位は⋯⋯」」」

「カミオさん3位で⋯⋯」


 フィリシアは厳しい表情で司会者に向いていました。祈るように囁いた言葉が、私の耳に届きます。私はその言葉の意味を、推し量れずにいました。

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