第46話 感嘆そして招かざる客

「おほうー!」


 私は感嘆の声を上げます。なんとなんとビオが歩いたのです。

 少しばかり拙い足取りながらも、四本の足で地面に立ち、一歩また一歩と歩く姿は感動もの。ひょこひょこと歩く姿に表情はすっかり緩んでしまいます。ビオも何だか楽しそうなのが、私の感動を後押し。

 最近は重い空気ばかりが流れていた療法室リハビリルームの空気をビオの一歩が一新してくれました。


「上手くいったね」


 アウロさんも満足気にその様子を見つめています。ビオの足に付けられたシカラ材の義足。体の前方に湾曲していたゆるやかな放物線が、今は後方に湾曲を見せています。

 ”前後の湾曲を逆にした”

 たったそれだけの違いなのにビオは歩いていました。


「アウロさん、曲がり方を逆にしただけですか?」

「そうだよ。前のやつだと前方に体重が掛かってしまい、つんのめっちゃって歩きづらかったのかな。ケージに手を掛けて立ち上がっていたロンゴ(老犬)の後ろ脚を見てそれに気づいたんだ。でも、想像以上に上手くいった。良かったよ」


 あの時、ロンゴのケージを見つめていましたが、そんな事を考えていたなんてアウロさん凄いです。私はただただ感嘆の声を上げ、アウロさんの偉業を湛えますが、アウロさんは何だか照れ臭そうにするだけでした。

 

 気が付けば私達はしばらく歩き回るビオの姿を黙って見つめています。

 ケージで丸まっていた姿を思い出して、涙が出て来そうになりましたが、耐えましたよ。フィリシアに泣き虫って言われたくないですからね。



「おおおお! なになに! ビオ歩いているよ! 凄い! 凄い! アウロさんやるねえ! さすが!」


 療法室リハビリルームに現れたフィリシアの開口一番。感嘆と喜びの声を響かせ、破顔していきました。

 フィリシアはアウロさん肩をバシバシ叩いて、興奮冷めやらずって感じです。アウロさんも痛がってはいるものの、まんざらでもない様子。良く見ると、フィリシアの目に涙が滲んでいます。

 フフフフ、そのまま涙をポロリとしたら泣き虫って指差し出来るのですよ。興奮するフィリシアの潤んだ瞳をチラ見しながらも、やっぱりヨタヨタと歩くビオに視線は移ってしまいます。


 私はふと視線を感じて顔を上げました。ふたりは満足気に歩くビオをいつまでも眺めています。

 背後に感じる視線。

 私は視線を感じる方へと振り返ります。

 

 視線の先にはケージの中で立ち上がり、ビオを見つめるビビの姿。

 短い尻尾をブンブン振って、ハッ! ハッ! ハッ! と舌を出して喜んでいる姿。

 私はフィリシアの肩を軽く突きます。


「うん? 何?」


 顔を上げるフィリシアに、ビビを指差しました。

 その瞬間、フィリシアの涙は決壊を起こし、涙が頬を伝っていきます。

 今までどうやっても上手くいかなかった、ビビのリハビリ。歩く事を拒絶していたビビの姿が霧散していきます。

 ビオを思うビビの気持ち。溢れ出す苦しく、もがいた記憶。報われた想い。

 ビビを復活へ導いたのは結局兄弟の絆です。でも、フィリシアの頑張りが無駄だったなんて思いません。あの頑張りがなかったら、ケージで立ち上がるビビの姿は、なかったはずですから。


「フィリシア、泣き虫」

「グズッ⋯⋯何言って⋯⋯いるのよ。エレナだって⋯⋯良かったよね!」

「うん⋯⋯うん⋯⋯良がっだぁー!」


 気が付くとフィリシアの涙に私も涙を流していました。

 ふたりで抱き合って肩を震わせます。フィリシアの頑張りが報われて本当に良かったです。

 そして今日学びました。本当に安心しても涙が出るのだと。


◇◇◇◇


 怯え、丸まる犬豚ポルコドッグのマイク。フィリシアはずっと頭を撫で、落ち着かせようと声を掛け続けていた。

 

 戻ったハルとモーラから聞かされた屋敷での話に診察室は押し黙り、重い空気が流れていた。

 見えてくるはずの真実に濃い霧が掛かり、さらに見えなくなってしまった。

 遠のく真実。その現実がズシリと空気を重くしていった。


「ねえ、フィリシア。あなたを疑うわけではないのだけど、そのグラウダって女はヒューマンなんだよね? 間違いない? ハーフだったりしない?」

「間違いないよ。どこをどう見てもヒューマンだよ」


 即答するフィリシアにハルの表情は混迷を深める。


「ヒューマンに化けているとかは⋯⋯ないよね」


 ラーサも自身の言葉を自身で否定した。


「とりあえず私は一度ギルドに戻る。何か進展があればギルドに来てくれ。まったく、こんな面倒事になるとはな。お前は本当に厄介事ばかり持ち込む」

「はい、はい、はい。分かった、分かった。何かあったら声掛けるから宜しく頼むよ」


 店を後にするモーラにハルが声を掛けると、一瞥だけしてモーラは出て行った。

 再び訪れる沈黙。

 マイクを傷つけたのは、その女で間違いない。

 一体どこの誰? 真実を覆ってしまっている霧を必死に払う。だが、払っても、払っても、濃い霧が思考を盲目にさせた。


「とりあえず。分かる事を整理してみませんか? この仔の状態から分かる事を整理したら何か見えるかも知れませんよ」


 アウロの言葉に視線は一斉に怯えを見せる犬豚ポルコドッグに向いた。

 みんなの視線を確認し、アウロは続ける。


「脚部骨折、胴体部に広がる広範囲の痣、栄養失調と思われる痩身、極度の怯え」

「骨折と痣は外部からの強い衝撃で間違い無いでしょう」


 付け加えたモモの言葉に一同が頷いた。


「あ!」


 フィリシアが感嘆の声を上げ、突然顔を上げる。


「どうしたの? フィリシア?」

「ハルさん! まん丸にカットしろって要望だった。フワフワの姿で痣とか痩せているのを隠していたんじゃない? 流行りのカットだし、それにしたところで誰も何も思わないもの」

「⋯⋯そこまで考えたのかな?」


 フィリシアの隠すという言葉が引っ掛かる。

 隠したいのであれば、フィリシアの言葉にきっと間違いはない?

 隠す⋯⋯。

 ハルは目を閉じ、深く逡巡していく。思考を店員としてのそれではなく、冒険者としての鋭敏なそれへと切り替える。


「外部の人間であれば、わざわざ隠す必要はない。隠す必要がある⋯⋯という事は中の人間⋯⋯継続的にしていてもおかしくはない⋯⋯マイクの怯え⋯⋯」


 ぶつぶつ呟きながらハルは深く思考の沼へ潜っていた。



「ごめん下さい」

「はーい! 今、伺います」


 店先から聞こえる男性の声に、モモが小走りで受付へと向かう。

 店はクローズしているのに? 誰?

 一同は顔を見合わせながら、受付へと向かった。


「ハルさん、カラウズ・モーリスさん。旦那様ですよ」


 モモの耳打ちにハルは招かざる客のタイミングの悪さに軽く舌打ちをした。


「初めまして、カラログースさん。突然の訪問をお許しください」


 丁寧に頭を下げる壮年の男性。膝上まであるロングスーツを着こなし、後ろへと撫でつけた髪。嫌味のない上質感が屋敷の雰囲気と重なった。後ろにひとり、スーツを着こなす年配の使用人。眼鏡の奥から真剣な眼差しをこちらに向けている。


「ハルで結構です。それでモーリスさんどうされました? マイクの事でしたら奥様にお話しした通りですが、何かご不明な点でもございましたか?」


 ハルの青い瞳が真摯に向かい合う。カラウズは少しばかり申し訳なさげに口を開いた。


「ネルスから概要は聞いております。ただ、ネルスの落ち込みが激しく、早々にマイクを帰宅出来ないかと無理を承知でお伺いさせて頂きました」


 ハルは顔をしかめ嘆息して見せた。それが答えである事はカラウズも十二分に理解している。


「はっきりいいます。無理です。お返しは出来ません。ギルドが絡んだ以上、帰宅の是非はギルドが判断します。諦めて下さい」

「そうですか⋯⋯」

「旦那様」


 諦めかけたカラウズに、使用人が何か耳打ちをした。何度か軽く頷き。カラウズは顔をしっかりと上げる。


「先程、ウチの者がギルドで了承を頂いたそうです」

「そんなバカな⋯⋯」


 モーラがマイクの状況を見て帰宅を了承するとは到底思えない。

 何かがしっくりとしない。ハルの冒険者で培った勘が警鐘を鳴らす。ここは簡単にイエスと言ってはいけない。自身の勘を信じ、剣呑な瞳をカラウズに向ける。


「アウロ、ギルドにひとっ走りして確認して来て。カラウズさん、調教店テイムショップの代表として言わせて頂くと、今のマイクの状態はとても家に帰せる状態ではありません。何でしたらお会いになりますか?」


 カラウズは一瞬の躊躇を見せた。使用人に振り返って見せると、使用人はゆっくりと頷き小さめのトランクを受付に置く。流麗な手つきで開いていくと、現れたのはぎっしりと詰まった金貨。


「ぉ~」


 ラーサが小さく感嘆の声を上げ、モモとフィリシアは少し驚いた顔を見せる。

 ハルは眉間に皺を寄せ、あからさまな嫌悪を見せるとカラウズを睨みつけた。


「あんたねえ、真っ当なやつだと思っていたけど何これ? 舐めている? こんなんで帰すとでも思ってんの?」

「⋯⋯!?」


 爆発寸前のハルの後ろで目を剥くフィリシアが声を押し殺し、一点を凝視していた。その射抜く瞳に気が付く者はいない。

 ドクンとひとつフィリシアの心臓が高鳴りを見せた。


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