フィリシア・ミローバの逡巡
第35話 逡巡の始まり。私も一緒に悩んでいます
「みんなごめん、またちょっと行って来る」
「こちらの事は任せて下さい。お気を付けて」
この間帰って来たばかりのハルさんがまた、
「キノ、無理しちゃダメよ」
キノの手をギュッと握り締め、キノの金色の瞳を真っ直ぐに見つめます。分かっているのか分かっていないのか、キルロさんのようにニカっと笑って頷きました。心配とか不安とか言ってはいけないのかも知れませんが、この出発の瞬間の不安は拭えません。
前回
エルフのみなさんは何であんなに綺麗な顔立ちなのでしょうね?
それにハルさんのエルフへの苦手意識は無くなったのでしょうか?
この間の妖艶なエルフさんと違って、今回参加される方はエルフ然としたエルフさんですって言ったら、妖艶なエルフさんに怒られるのかな? でも、あの妖艶なエルフさんのおかげで、ハルさんの苦手意識が少しでも解消されたのであれば、良かったって思います。今度聞いてみようかな。
「そんな心配な顔するな。大丈夫だ」
背中越しの声に反射的に振り返ると、キルロさんが、いつもの笑顔を見せていました。
「はい⋯⋯」
「ちょっとイスタバールって東の国に荷運びに行くだけで、道も整備されているし余裕、余裕。イスタバールは一番東にあるリゾート地だって、知っているか? ミドラスとは雰囲気が随分と違うらしい。ちょっと楽しみなくらいだ。だからエレナ、いらぬ心配なんかしなくて大丈夫だぞ」
「そうなのですか⋯⋯荷運びだけなら大丈夫そうですね」
「だろう。余裕、余裕だって」
大きな道を進むだけでしたら危険は少なそうですが、キルロさんの言葉に一抹の不安を覚えるのはなぜでしょう。
東の国イスタバール。どんな所なのでしょうか? ミドラスだけでもこんなに広いのに、世界はどれだけ広いというのでしょうか⋯⋯今の私には想像すら尽きません。
◇◇◇◇
フィリシアの療法士としての腕は、【ハルヲンテイム】随一とみんなが口を揃えます。何でも、誰より体の作りを熟知しているとの事でした。
フィリシアは一頭ずつ体に触れ、筋肉の付き方や骨の異常など入念にチェックしていきます。普段とは違う真剣な眼差しと、柔らかな瞳で優しく接していました。
「エレナ、来てごらん。この仔の右脚と左脚を触ってごらん」
私は掃除の手を止め、言われた通りに少し怯えを見せる
フィリシアのマネをして、軽く握る動きをしていくと左膝のあたりでビクっと体を硬直させて、悲しい瞳をこっちに向けて来ました。
「ご、ごめんね」
「どう? 違い分かった?」
「左膝の両脇が少し腫れているのかな?」
「正解―ー! この仔、膝の皿が割れちゃったんだよね。今はもうだいぶ良くなっているけど、まだ腫れが引かないのよ。ラーサに抗炎剤頼もうかな⋯⋯」
「膝の皿! 痛そう。割れちゃうとどうなるの?」
「痛いのと、膝がうまく使えないので動けなくなっちゃう。兎の場合は跳ねる事が出来ないのでズリズリって痛い脚を引きずりながら動くようになっちゃうのよ。無理しちゃうと治らないから早めに治療してあげないと。脚を痛そうに引きずって、膝の周りが腫れていたら皿の異常を疑うのがマストかな。膝が腫れているってのが、ポイントよ」
「なるほど」
私は腰のポーチからメモを取り出し、フィリシアの言葉をメモしていきます。貰ったこのメモも随分と書き込みが進んで、早くも一冊目を使い切りそうです。知らない事ばかりで、覚える事が多いという事ですね。いやはや。
「ほらほら、頑張って⋯⋯よしよし、昨日より歩けたじゃない」
細い脚でよろよろと拙い足取りを見せる小型犬。チワニッシュのビビ。
クリクリと大きな瞳が印象的なこの仔は、飛び出した先に運悪く馬車が飛び込んで来て、前足の骨が飛び出すほどの大怪我を負ってしまいました。元々、大人しい臆病な性格らしく、怪我した恐怖も相まってか、完治したはずの今も歩こうとはしません。細身の小さな体のせいもあってか、生気があまり感じられないのも心配です。怪我は治っているので、もう歩いても問題ないはずなのに、一向に歩こうとしないのです。
なまじ賢いからなのでしょうかね?
轢かれてしまったショックが未だに払拭されていないのか、ビビの脚は止まったまま。
フィリシアも根気よく付き合ってはいますが、どうすればいいのか頭を抱えていました。
「う~ん。ビビ、あんたもう脚は痛くないでしょう? どうしたの?」
フィリシアはビビの頭を撫でながら、自分の額をビビの頭にくっつけていました。私はその姿からフィリシアのもどかしさを感じ取ります。
フィリシアが、リハビリをしている横で、私は掃除の続きをしていきます。私も一頭気になる仔がいました。ビビの兄弟であるビオです。いつ見てもケージの中で丸まっていて、私達が近づくと寂しげな瞳をこちらに向けてきました。飼い主さんのお話しだと、大人しいビビと違って活発な仔でいつも元気に走り回っていたそうです。
ビオもビビと同じタイミングで馬車に轢かれてしまいました。乗り上げた車輪はビオの右後脚を引きちぎり、連れられて来た時にはもうその脚をどうする事も出来なかったとの事。走り回るのが大好きな仔に待っていた厳しい現実。
体の割に細長い手足を持つチワニッシュの場合、三本脚で立つのはバランス的に難しいらしく、脚の代わりになる車輪椅子を試したのですが、思うようにはうまくいきませんでした。
「ビオ。あなたもビビも元気ないね。どうしたらいいのかな⋯⋯」
私はビオの頭を撫でながら話し掛けました。話している間は顔を上げてくれますが、ちょっと目を放すとまた丸まってしまいます。その姿に私は嘆息しながら、他の仔の掃除をしていきました。
「フィリシア、ビビはなかなか元気にならないね」
私の言葉にフィリシアは大きく嘆息します。
「本当よ。普通ならもう歩き回っているはずなんだけどさぁ。わっかんないよねぇ」
「でも、酷い事故だったんでしょう?」
「そうね。元気なワンコが飛び出すなんて話は良くある話だけど、この仔達は運が悪かったね。最悪のタイミングで馬車が通った。飼い主さんの話だと、まるでビオがビビを守るように突き飛ばしたってさ。偶然なんだろうけど」
「仲の良い兄弟か⋯⋯」
「ずっと一緒らしいからね。ビオもビビも元気になって欲しいわ」
ビビをケージに戻すと前脚を失った猫、オルンカールに車輪椅子を括りつけます。機能を失った左の前脚にクッションの付いた板を括りつけます。その板には前脚とほぼ同じ長さになるように車輪が着いていました。後ろ脚で元気よく地面を蹴ると床をゴロゴロと勢い良く車輪が回り、オルンカールは床の上を走り始めます。
『ニャア、ニャア、ニャア』
長い尻尾をピンと立て、フィリシアにまとわりつきます。フィリシアは苦い笑みを浮かべ、優しく頭を撫でました。
「ごめんね。上に登りたいよね。これ着けたまま上には行けないのよ。ちょっと我慢してね」
オルンカールも諦めたのか、また床を駆けずり始めました。フィリシアはその様子を真剣に見つめています。普段あまり見せない真剣な横顔。その視線の先にいるオルンカールを私も見つめました。
「うーん⋯⋯もう少し低い? 幅は⋯⋯」
何かぶつぶつ言いながら逡巡していました。きっと、微調整をアウロさんにお願いして最適解を模索するのでしょう。まったく同じとは言えないけど走り回る姿に自然と顔は綻んでいました。
ビオもこんな感じで走り回ってくれると嬉しいのだけど⋯⋯。フィリシアと一緒に嘆息するだけです。
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