ミーナの時間・2-2

 リプカは思わず、情緒が溢れて――感情の流出を堪えるように眉を寄せた、切ないリプカの表情を前にして、ミーナは平常の冷静で話を進めた。


「――この度の案件における予測損害ですが、彼等の躍動によって、裏のミスティア様を救うために必要な行動に、妨害が入ったことと思われます。暴力沙汰もあり得なくはないけれど、お貴族様ですから、政治的な側面、実務的な妨害が多く振るわれていたでしょう。それらは後々に障害となる事態であり、それを考えると早急を要する案件ではなかったようにも思えますが、事態の根を断てたことはこの先、大きな意味に繋がる事と考えます」


(――――そうか、破れかぶれとはいかない、立場の問題があるから……信望者たちと違って、凶行に及ぶというのは、一番最初に来る選択肢じゃなかったのか……)


 また暴力沙汰かと頭を痛めていたが、それはどうやら、まったく見当違いの憂慮であったようで。


 褒められたばかりであったリプカは、その気付きに思わず顔を赤くて恥じ入った。


「シィライトミア領域内にも彼等一党に同調する個人が幾人かありましたが、その者らは彼等の尋常でない様子を見取って、事態の全容を把握しないままに一応、何事かに対する準備だけ進めていたってふうでしたね。まあ何が起こってるのかは分からないけど、損失が見込まれる場合は彼等と同調するその準備をしておこう――って感じです。彼等については、事態に対する警戒は怠らないでしょうが、こちらを邪魔してくることもない事と思われます」

「なるほど、分かりました。――そしてミーナ、あなたは……その問題にどのような対処を取ったのでしょうか?」


 これに関しては冷静とはいかず、言葉端に心配の情を滲ませながら問うと、ミーナは「たはー」と頭を掻いて作り笑顔を浮かべた。


「いやー、それなんですけれど……エルゴール家の御旗みはたを振って立ち回るやり方では限界がきちゃいまして……。なので実際的な妨害工作に走るために、MEの行政プール金に手を付けて立ち回っちゃいました」

「行政……プール金とは――?」

「委託金の逆ですね。アルファミーナ連合特有の制度でして、機関、団体が行政実務を通して、国へ財源の何割かを還元しなければならないというシステムがありまして、そのための積み立て金が行政プール金です」

「ちょっ――――。ミ、ミーナ、それは……大丈夫、なのですか!?」


「実はちょっとマズいです。行政プール金は元々、とあるレベルの非常時にその活用が認められた、『危機エマージェンシー対応資金リソース』としての側面も併せ持つ特殊な財源なんですけれど……今回のことが非常時の程度に抵触しているかというと、それは絶対にノーでしょう。――でもまあ、そこはフランシス様になんとかしてもらうつもりです。エルゴール家名義の貿易活動と称して、相手方を大きな負担で圧する妨害工作に走るためには、どうあっても実弾(実際の金銭)が必要でした。早期に根を断つという構想におきましては意外と状況が切迫していたため、相談する余裕もなく、そのような判断に踏み切りました。大丈夫っ、フランシス様なら絶対なんとかできますから! それよりも、それで相手方の存在規模が一時的にも縮小したことが、なりよりです!」


「――無理を押し付けてしまいましたね。無茶に振り切らせてしまった」

「いいえ。自分で言うのもなんですが、今回のことは完全に私の暴走です。後悔なんてチョビっともない、個人事情の決断でしたから。だから――そのことを受け止めてもらえると、一番嬉しいな」

「――――ミーナ」


 ミーナの感情を受け取ると、目を瞑って何かを思った後に、リプカは――。


 そっと、両手を広げて。

 静かに、彼女の名を呼んだ。


「来なさい」


 そのように告げて、ミーナを胸内へ誘った。


 リプカを見つめた僅かの後、ミーナは膝を擦り合わせてリプカの元へ寄って――優しく抱き留められて、リプカの胸内へ収まった。


「ミーナ、あなたのことを決して忘れません。昨晩のことをもう一度繰り返すけれど、それは誓って真実でしょう。あなたはロコ・ミーナナナイ。そしてまた逢う時があれば、そのときは別の名であるかもしれません。でも――私にとって、貴方はミーナ。別の名で呼ぶことがあっても。――私はあなたを忘れないように、あなたもそれを忘れないで」


 抱き留められたミーナは、リプカの肩越しにあちらを向いているから。


 ――――いま彼女が浮かべているのがどんな表情であるのかは、誰にも見えない。


「リプカ様……昨晩のお話、覚えてる?」

「はい、覚えていますよ」

「頭を撫でて。いっぱい撫でて」

「――分かりました」


 優しく抱き留めた体勢のまま、まるで何かを願うように、伝えるように、――ある部分では似たような境遇にあったかもしれない彼女を安心させるように――ゆっくりと、その小さな頭を撫でた。


 何度も。


(――――……あら?)


 常人離れした嗅覚が、それに気付く。


 撫でることを続けるうちに、ミーナの髪の内側から……? 僅か、酒精に似た香りが立ち上がったことに。


「ミーナ、今日もお酒の社交場に、同席を……?」

「…………。――はい、あちこち飛び回る中で、少しですが、やむなく……。正直、大変な一日でしたぁ……」


 苦笑のような声調子で言うと、ミーナは少しくたびれた声を漏らした。


 リプカはそっと、彼女のことを殊更に抱き寄せると、胸内に抱いた少女へ真心の言葉を伝えた。


「ミーナ、ありがとう。本当にありがとう。あなたがそうしてくれたことを忘れません。この想いが伝わっているか分からないけれど、あなたのことをとても近くに感じて、愛しく思います」


 胸内の中、無言でまた僅か近くへ寄り添ったミーナの頭を、優しく撫でる。


「……今度は。一人の友人として、一緒に、どこかへ出かけましょう……? いつか……確かないつかに。――――約束して」

「はい、リプカ様――。――ねえ、リプカ様。私……ズルだけど……もう一つだけ、お願いしたいことがあるの……」

「なんでしょうか?」

「今日だけ……今日だけ、あの、一緒に……隣で、寝てくれませんか?」


 今日だけ――。

 そう気弱な小声で漏らして――ミーナは胸内の中、リプカを見上げて、濡れた瞳を向けた。


「駄目かな……?」



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