第百九十六話:ミーナの時間・2-1
空はいつしか、燃える茜から帳の藍色へ。
日が沈み、夜も更けて。
選択猶予とされた最後の一日、その終わりに、リプカはミーナの姿を待っていた。
へこたれるまで勉学に励み、重い脳みそを持ち上げるようにしてなんとか立ち上がって。そしてミーナがまだ帰還していないことを知って、しばらくの時間が経っていた。連絡もつかず、思わずリプカは軒先に出て、夜闇の中に彼女の姿を探した。
日付を回る時刻に差し掛かってもミーナは帰ってこない。時刻が刻まれる都度に心配が募り、頬辺りに這ってきた冷や汗の悪寒に息を飲んだ。
そわそわと浮足立つ中――やがて、この夜に走ってきた馬車があって、それを見るとリプカは我知らず、安堵の息を漏らした。
馬車から出てきたミーナは少しくたびれた様子を見せていて、出迎えたリプカに気付くとフニャっと力のない笑みを浮かべて小さく手を振った。
「たーだいまですぅ……」
「お帰りなさい、ミーナ。遅くまで本当にお疲れ様。大事なかったですか?」
「はい、リプカ様。少し大変でしたが懸命の甲斐あって、万事抜かりなく始末をつけることができました」
「――もしかして、とても大きな無茶に踏み切りましたか?」
「んー……まあ、少しです」
言葉端に滲んだその苦労を受け止めると、リプカは心情深く微笑んで、一度だけ頷いた。
「――そうですか。お疲れ様、無事に帰ってきてくれて嬉しいです。……手が冷たい。とりあえず、お宿に入りましょうか」
そうしてもう一度、心からの労いを言って手を引いたリプカの心遣いに、ミーナは「みへへ」と頬を染めて笑顔を浮かべた。
今日のミーナの装いは、執事服に近いフォーマルな礼服で、社会のどこにいても違和感のない服装であった。
(パリッと折り目正しく美しいけれど、その人の個性を感じない平坦な印象を視るに、この礼服は
リプカはそのことを視て、ミーナへ特別な心情を寄せて大きな感謝を覚えた。
「ごめんなさいリプカ様、ちょっとはしたないですけど、お洋服のほうを脱いじゃっても大丈夫でしょうか? 肩凝っちゃって……」
「ええ、どうぞ。楽な恰好でいてね」
承諾を得て、案内された部屋で下着姿になったミーナは、「ふう」と息をついてぱたぱたと顔を仰ぐと、苦笑するみたいに笑った。
「特急で取り寄せた一式でしたが、こういったカッチリした礼服は少しサイズが合わないだけで、体に負担がかかっちゃいますね、ちょっとした拷問具を外した気分です。――さて」
「ん」と気持ちを切り替えるように表情を改めると、慣れた所作でリプカの正面に座り、今晩もまた、膝を付き合わせての対談姿勢を取った。
「では、ご報告を。――例の、シュリフの出現という事実のひた隠しを願った一党についての事ですが……お話しした通り、手足が何本あるのかが分からないので、その大本を絶つという形で解決をつけました。だいぶに乱暴な方策ですけれど、比較的、波風の立たない落着を見れたことと思われます」
「本丸を――直接? それを今日という日の一日で――。む、無理が過ぎませんでしたか……? そのことでミーナが危険に晒されることはありませんか?」
「いやー……、そのことについては、私も驚きましたけれど……。アリアメル連合の情報保護体制は……本当に……ザルでしたねぇ……」
頬に汗を浮かべて、ミーナはしみじみと告白した。
「アルファミーナ連合では、組織の最上層に属するような人間に関してはまず、なかなか顔も知れないことが常識です。名前を知ることすら一苦労という場合だってあるけれど……アリアメル連合ではそれが、街の掲示板で知れるレベルで明かされているんですね……。あっちでは全身の骨が何本折れるかも知れない、そのレベルのお偉い様と接点を作るという苦労も、こっちでは、友達ん
「ええと……、どのような処置を取ったのか、という話の前に教えてください。シュリフの存在を隠蔽しようとした一党とは何者であったのでしょうか?」
「仔細を順に報告いたします。――まず、シュリフの存在を隠蔽しようとした一党ですが、その
「なるほど……。彼等の、実際の動向はどのようなものでしたか?」
「彼等は【
「えっと、どういったことでしょうか……?」
「つまり、【
「そっ、それは……確かに、あまりに知の付け入る隙のないお話しです……。彼等が立ち上がってきたのも、自然な流れであったのか――」
「今まではシュリフの少女が、その知と慧眼をもって致命的な波風を立てず、全てを穏便に運んでいたのです。けれど、モロにその存在がバレるとなると全く話が変わってくるわけで……。実際の動向とそれに至った理由は、このくらいですかね」
「ふむ――。――それによって引き起こされたる凶事とはどのような事であったか、推察があれば聞かせてくださいますか……?」
「――ワォ……」
「ん――、どうしました……?」
「いえ、なんだか……リプカ様、今日一日で顔付きが変わられましたね。なにかしらがありましたか……? あなたの冷静が、安心感を覚えるくらい頼もしく思えて……失礼ながら驚いてしまいました。――とても素敵で、カッコいいです」
心からの本音と分かる、ミーナの尊敬の視線と明け透けな言葉に、リプカはポッと表情を赤らめた。
「そうでしょうか……?」
「はい、本当に素敵です、リプカ様。――――ねえリプカ様。貴方様はついにここまで歩み至ったのですね。他人事です、しかし、なんだか私も、それがとても嬉しい」
奇妙な話の転がし方だった。
話の脈絡としては少し飛んだ、不意に距離の近づいた台詞。
しかしどうしてか――突然情に満ちた表情で口にされたその言葉に、胸中に直接触れられたような人肌の温度を感じて。
虚を突かれたように触れて届いた体温に、自分が独りでないことを知ったような感慨を覚えた。
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