第百九十一話:封解かれたような一等星

「ミスティア様、私と結んだ約束を、覚えていますね?」


 次の場所を目指す道すがら、シュリフと繋いだ手を意識しながら、リプカは考えた末に、その話を向けた。


「もちろんです」


 シュリフは微笑んで頷きを返した。



『不肖私を巡る、此度のアリアメル連合での騒動が一つの落ち着きを見せた、そのとき。歩みの先、終着点に立ったそのときも変わらず、リプカ様が今と同じ思いを確信なさっていたのなら――私は、見様によっては自死とも取れる、お別れの意思を捨てて、生き残る道を模索することに懸命を尽くすことを、約束致しましょう』



「あのときの――私が今と同じ思いを確信していたのなら、という文面は……」

「そのままの意味でお伝えしました」

「…………。約束は、無くなってしまったと。私が今抱いている思いは、あのときと同じとは、言えないからと。が絶対で、貴方様が間違っているだなんてことは、もう、思えないということを。私が今ここでそのように言う未来を、視ておられたのですか?」


 問い掛けると、シュリフはフッと、微笑を漏らして。


 そして彼女は、形容しがたい品格を纏った今までの微笑みではなく、不思議な色香は薫るけれど、それ以上に感情へ目の行く、苦笑の情を浮かべた。


 今までで一番人間らしい表情を浮かべて、シュリフは供述するように述べた。


「正直に明かしますと、前回貴方様が作ってくれた機会にお話しの叶ったあのときから……貴方様との逢瀬の時間幅に関しては、もうすでに予期とはだいぶ違った現実が更新され続けているのです。今回ばかり何故、予期の眼から外れた現実ばかりが多発するのかと首を傾げておりましたが、ティアドラ・フォン・レイデアル様との雑談の中で、それは肩透かしのように呆気なく明らかになりました」



『――ゴツい覚悟はあるのにそれを発揮する機会がまるでなかった稀有な例であるから観測情報に不足が生じてるんじゃねえの?』



「――言われてみればその通り、そこから逆算して考えれば容易に浮き彫りとなった明々な理由で、今更ながら、私は知育の脳という意味で頭が良いわけではないのだと、つくづく自覚し直したものです。正直に言いましょう、私には貴方様が企てている事が何であるのか、貴方様が何をしようとしているのかということも、その時間だけ、ぽっかりと穴が空いたように、予期できないでいるのです」

「……本当に? 私が画策することが、何も……?」

「その口ぶりからして、例えば未来視の素質を持たない人であっても、予期できておかしくない内容なのでしょうか?」

「つ、つ、つまり、その、生まれの場所の事情によって、私の観測が追い付かなかったという、そういう意味なのでしょうか?」

「そうですね、情報の不足が生んだ不首尾と捉えていただいて間違いないです。行動を起こす際の実例事情があまりに片寄りすぎていて、その人の観測というには頼りない情報であったということですね」

「…………」


 暴力事を指してのことであろう、その片寄りの事情という指摘にリプカは頭を抱えた。


「そして貴方様には、世界に波紋を落とすだけの潜在能力があった、だからこその蹉跌、そういったことです。――ともあれ、あの時に結んだ、約束のお話しでしたね」

「――心情に変わりはありましたか?」

「……いいえ」


 シュリフは静かに、首を振って否した。

 彼女は視線を落とすと、気弱な微笑みを浮かべて語った。


「願いを叶えたい。けれど、私の視えていなかった隣人たちの感情を知った今、貴方様が願ったであろう迷いも混在している。――それでも私の目指す先は変わらない。そのことをもって、貴方様を失望させてしまうかもしれないことが、……何故だか悲しいです」

「失望なんて思いません、私の願いはそこにはない。――それでもそこを目指す、その理由をお聞きしても?」

「やはり、私は【病気】だから」


 シュリフの口調はさっぱりしたものだった。


 前を向いて、いつも通り、微笑んでいる。


「そこに人間性の類似が宿った私にとって、皆が前向きに歩んでゆくという奇跡は望みうる限りの切望です。だから――――」


 シュリフはそこで言葉を切って。

 改まった口調で、その一言を漏らした。



「表のミスティアのためにも」



 シュリフの表情――。


 リプカはその言葉を受け止めて、じっと考えを巡らせたけれど……、今はそれについて考え及ぶところになく、機会を待つ賢明を選んだ。


 目的地まではまだ時間がある。


 リプカはまた少し悩んでから、それも機を見ることであるかと、様子を窺うようなことは問わずに。


「シィライトミア領域の空は、驚くほど青いです。ミスティア様はこの空を、どのような色の景色で望んでおられるのでしょう?」


 そんな、なんでもない暖気なことを話に上げた。


「――私が大空を見上げれば、どこまでも見渡せるような、透明な景色が望めます。青と紫の入り混じった透明に星の光が良く映えて、大変に美しいです」

「星々の光が望めるのですか!?」

「青と赤、そして藍色の静けさに満ちた満天の輝きも良いものですが、と共に輝く一等の光もまた、趣き深いです」

「はぁー……」


 想像する景色に息をつくリプカへ、シュリフは微笑みを向けた。


「気付いていますか、リプカ様。貴方様は今、全てを手にしていることに」

「え……?」

「澱の溜まった闇のかご、その箱庭の中で懸命して、良くここまで辿り着きました。貴方様は、偉いです」


 そう言って――。


 立ち止まると、リプカの手を引いて屈ませて――シュリフは、リプカの頭をもう片方の手で撫でた。


 親がする意味とは違う、見守った者がするのとも異なる、もちろん恋人のような愛情もない――あえて近しい事を挙げれば、友がそうするように。


 親愛で撫でるのではなく、ただ、敬意で近しく讃えるように。


 痛みみたいな刺激が走って、目と脳の奥がツンとする。


 リプカはどうしてか涙が溢れてしまいそうになったけれど、その感慨を噛み締めた後には、意識して油断ならない表情を作って、シュリフの顔を見つめた。


「なんだか、嬉しいです。ありがとう。――でも、手心や油断は持ちませんよ?」

「フフ、それは中々、こと難しいです」


 シュリフと二人、微笑み合う。


 正直、『全てを手に入れた』というその意味は分からずにいたけれど、リプカはどうしてか、それをして、無暗に褒められているとは思わなかった。


 無暗に褒められている。


 逆に言えば……今まではどうにも、わたしを称える賛辞を受けたそのときには、無意識の隅で、そのように感じていたということであった……。


(理解の及ばない賛辞にどう向き合ってよいのか分からず、突飛に遇したような、ワケの分からない焦燥すら覚えていたのだけれど、このたびは――)

(どうしてだろう)


 ――その答えは一拍の間で出た。


(そうか)

(良くここまで辿り着きました。――私はこの三日を通して、得るべきものを見つけて、然る理解に、実際、辿り着いたからか)


「私が遣わせた三王子、あるいはフランシス・エルゴール様の放った一手も含めた四人の中で、明日あす、誰を選ぶのか、選び取る道を見出されましたか?」

「――はい」


 シュリフの突然問うたことに、リプカは笑んで、頷いた。


 その答えに、彼女もまた、微笑んで一つ頷いた。


(全景を望んで、その絵に必要な色を推し量りながら、見えた欠損部分を埋めるため、あれとこれとと、それらを得る機会があることを知りながら一つ一つを数えるようにして)

(物事とは、こうして考えるのか)


 為すべき事柄を知って、そのための実像を描き、ハッキリと道筋を見出したその境地に辿り着けば、今は穏やかな冷静だけがある。


 きっと、フランシスはいつもこのような心境にあるのだろうと想像しながら――。


(でも、きっとこのような境地に辿り着けることは、私の人生においては稀だろうな……。なんだか、いつ何時も、終始ドタバタしていそうな予感がある)


 そんなことを思って、リプカはほんの小さく、苦笑いを浮かべた。


「リプカ様」

「はい?」

「その想像は、おそらくのこと、当たっております故」

「――どうしてそのような意地悪を言うのです……」

「いえ、まあ、言っておくべきかと考えたのです」


 そう言って微笑みを浮かべるシュリフに、小さく頬を膨らませて。

 しかしやがてのこと破顔すると、そりゃそうだろうなと、妙な納得を得て、行く先を真っ直ぐに見つめた。


(ああ、今はもう、結末が怖くない)

(私はそのために、出来る事を成せる、それを知っている。今は……それが視える)


 進む一歩すら知らずにいた箱入り娘の影が消えて。


 今は、爽やかな空の下を歩く、少女の姿がそこにあった。


 もちろん、箱の中の猫、明かされていない大きな不安が差し迫っている身で、まったくあんが見えないわけではなかったけれど。


 少女の輝きは封解かれたような一等星で、道行く人の目にも映って、世に存在を示していた。


「――――あのぉ」

「あ、はい?」

「あのぉ。よろしければ、私たちと一緒に、遊んだりしてぇ、その後、お食事でもどうでしょうかぁ……?」

(――しまったッ、ここにはソレがあった……!)


 後に最も恐れられる力を得たその少女を、シュリフはおかしそうに微笑みながら、薄目を開けて、その瞳で見つめていた。




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