第百七十五話:青空劇場

 予定されていたらしい青空公演に立ち会ったのは、昨日のサプライズ演奏と同じ、たまたまタイミングの良さからだった。


 広場で『まもなく公演』の看板が掲げられていたその舞台ステージは簡素で、まあそこそこの立ち見料を徴収してはいたが別に広場のどこからでも劇自体は見れるという、緩いイメージのある劇場であった。


 エレアニカ連合とアリアメル連合においては、突発の演劇とはよくある催しであるらしかった。せっかくだし見ていきましょうか、とサキュラの興味津々を見取ってオーレリアが提案した。


 最低限の装飾が施されたステージ、そしてこのたびの舞台はなんと、演者一名で話が進行するのだというのだから、リプカとサキュラは驚いた。


 開演、そして――。

 始まってすぐに、皆、そのクオリティに度肝を抜かれた。


 唯一の演者である青年が、ただ直立しているところから話は始まった。


 棒立ち――。


 しかしその立ち姿の、雰囲気のあることといったら。

 表情は影がかり、瞳は何を考えているのか見透かせない幾重層の闇。人間的な生気はあるのに、まるで人間でないような――。


 類にすれば。

 それは、シュリフの気配に分けられるような――。



「私は劇を演じる人形」



 そうして、観客がじれるほど長くただ立っていた青年はやがて、口をぱかりと開いて台詞を謡い始めた。



「私は劇を演じる人形、私は役割を演じる人の形。アネモネの花、その赤を齧る三葉虫。海底を這いずることもあれば、丘へ上がり人知れずの温かさを享受することもあり――」



 台詞が自分の脳内で反響して聞こえるようだった。引き込まれる――。


 と、そんな中で。ふと、辺りの様子が意識の片端に引っかかり、気になってちらと見てみれば――。

 あっ。あー……。といったような表情が、ちらほらと散見された。


 最初はそれがなぜだか分からなかったが、話が進むと、そのワケも察せられた。


 ――演者の様子が変わり、今は、始まりは男性的に、次の瞬間には女性の柔さを、刹那に人形のような中性的を目まぐるしく繊細に演じる、演者の技量がいかんなく発揮される見せ場の場面へと移行していた。



「――私は、私の役割を演じているだけなのだ、そのことに必死であるのです、アハハ。人の中にアネモネの赤がある、そのことを誰が否定できるというの? 私は三葉虫、泥を啜って吐き出すムシケラの分際ではありますが、貴方たちが大切にしている、その真珠の銀河がココロを救わないことは、理解しております。どうして皆それを分かってくれないのか、――いや分かっているはずなのだッ! そうだろう!?」



(……あれ。これ……アルメリアの【シュリフ】を題材にしている……?)



「ああ、ワタシはワタシの役割にニンゲンを見出しております。だってそのときだけ呼吸できるの、ウフフ。でも――信じて。アタシの手から溢れる赤は、アネモネの赤なのよ。それだけは、それだけは――」



 暈かされてはいるが、やっぱりそうだと確信するには十分であった。

 なるほど、劇の題材としてはいかにも魅力だし、芸術の世界である、それを主題として私は演ずるのだ、という気骨者きこつものも居ようというものだ。


 この劇に妹やそれに類する近しい者は登場しなかった。ただ独白するような……それ故に観客を劇の世界へ引き込む演者の技量が試される、そんな構成の挑戦的な大筋。



「夜風が肺を満たして踊る。私はワタシ、そう――アタシは――――役割を演じる、人の形」



 夜の澄んだ空気が肺の中に満ちて、気分が踊るような感慨を覚えた――。

 青年は人物であり、風景であり、そこらに満ちて広がる空気や匂いとなって――そしてやはり、演者だった。演じる人形。


 決して派手な演目ではなかった。しかし青年が魅せる世界はいつしか観衆を虜にして、そして舞台が終わると――困惑するような一瞬の静寂の後、ハッと皆一斉に現実を思い出して、大粒の雨のような拍手を青年へ送った。


「上手いな。誰でしょう、彼」

「エレアニカ連合のほうでも見たことがありませんね。私たちはタイミングよく、特別なものを見たのかもしれません」


 アンとオーレリアの会話を片端で聞きながら、リプカとサキュラは夢中で拍手を送っていた。


「すごかった……ねっ……!」

「はい! 人の演じる舞台とは、こんなにも鮮やかに世界を描けるものなのですね。すごかったなぁ……!」


 そんなことがあって、広場近くの喫茶で劇の感想を交わし合ったり、また楽しんで。

 そしていくらか落ち着いてきたところで、ふと思った。


(でも、【シュリフ】の題材……、裏のミスティア様のイメージとは、だいぶに異なっていたな)


「しかし、私たちの知る【シュリフ】の顕現その人のイメージとは、だいぶに異なっておりましたね」


 そう考えた丁度のタイミングで、オーレリアもそのことを苦笑気味の表情で話に上げた。


「劇中の彼あるいは彼女は、あれはあれで、とても神秘的でしたが――私の知る彼女は、もっと、人間くさい」

「うん……。だから私は……シュリフのお姉ちゃんのことが、大好き……」

「人間の形を失わず不可思議。まあそうですね、だからこそ崇拝みたいに畏怖されもするし、なにより、際限なくムカついてくるわけですしね」

「アン様、カップを握り潰しちゃってます……」


 人間の形を失わず不可思議。

 言い得て妙だと、リプカは小さく頷いた。


 夜の顕現であるような存在でありながら、人を感じさせるから――だからこそ、抜きん出て特殊な存在に見えるのだろう。


 そして、だからこそ……夢幻と思うには、悲しすぎる。


 ――さて、そろそろ行きましょうかということになって、皆して席を立った。


 そのとき。

 オーレリアが目配せを向けてきた。


 友人の距離で教えを説くように、また何事か話してくれるのだろうか。そうだといいな。――リプカはその機会が与えられることに感謝して、場所柄多く見られる聖槍のシンボルに視線を向けながら、心の中でアイリーンへ礼を述べてみた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る