第百六十七話:あと三日のお終い

 クインとビビがお宿に到着したのは、星の輝きの最盛である、夜もとうに更けた遅い時間だった。


 状況が切迫していることは、出迎えてすぐに察せられた。


 侃々諤々の様相で話を止めず、二人、気を立てて廊下を歩いていたからだ。


「――クイン、やはり無理だ。【ジェイドリング】の入手だけで予算が足りない。あれは絶対だ、代替が利かない。そこはアズに頼むとしても、他は……」

「それはまた別に考える。今はとにかく理論構築を納得の水準まで持っていくことが第一だ、提案書を持ち込むという形になる以上、それこそ絶対、後はまた、後回しで考えればよい」

「そうはいっても、一桁ひとけた二桁ふたけたの話じゃあないんだぞ……」


 リプカの存在にも気付かないほど盛んな議論を交わしていた二人だったが、リプカが歩み寄ってきていることに気付くと、クインがビビの腹を裏手で叩き、話を切り上げた。


「今日はここまで。明日も大変だろうが、私も期待している、その聡明に。言うまでもなく私も全力を尽くす、最後まで進むぞ」

「……分かった」


 ビビは小さく息を吐いて答えると、「リプカ、おやすみ」と挨拶して、薄暗い中、手書きの資料に目を落として髪を掻きながら、割り当てられた部屋へ歩いていった。


「お、おやすみなさい、ビビ様。――クイン様、あの、私に――」

「お前は自分のことに集中していればよろしい。心配しなくとも、こちらは必ず結果に繋ぐ、むしろお前のほうが心配であるわ」

「うぅ……っ」


 私にできることがあればも言わせず、クインは不敵に鼻息を吐いた。


「で、今日一日、どうだったんだ?」

「はい――」


 二人でリプカの部屋に向かいながら、話を続ける。


「今日一日を通して――あのとき頼み事のように告げられた、ミスティア様のお話の意味を理解しました」

「うむ」


 クインは頷いた。


「お前に、なんでもいいから答えを出させるという催促の意味において、あの三人ほど適切であるメンツもないだろう。そして同時に、あの三人という役者の選出には、もある。なんだか分かるか?」

「サキュラ様ですね」

「そうだ。実感から得た己の哲学、その語りを通して、シュリフとやらのに焦点を合わせられる見通しを示唆する教示者。おそらくは、奴にとってどうでもよい意味しか持たない不必要な道筋であるだろうに、その分岐路を塞ぐどころか、可能性の一つとして提示してきた。


 お前が、無駄なうたぐりで時間を使わないように――結局のところ願わない未来に誘導されているという、本来なら当然抱くはずの不信感を取り除くため、その筋道も提示してきた、と考えるのが自然だ。示した道にそういった独善的思考エゴの絡む、多面的な意図はないと、そのことを明かす、公平性の主張のつもりなのだろう。姉のことを第一に考えているというのであれば、その筋で、一応の納得は見える」


「私もそう考えました。――でも、クイン様」


 扉を開けて、先にクインを部屋に通しながら、リプカは少し苦しい声を出した。


「やっぱり、ミスティア様が思い描く着地点というものが、分からないんです。憶測すらできない……。それが、少し……ならず、不安で……」

「んなもん関係ない、こちらの思い描く着地点の光景を、その上に上塗りする、そのために私たちは動いてるんだから」


 シャワーも入らず上着を脱いで、ふかふかな布団に横たわると、クインは足を組んで天上を見上げた。


「お前が目指す着地点の構想は、まだ私しか知り得ない。あちらだって不安で不気味に思っていると思うぞ、ほとんど絶対であるはずの未来を崩した相手が思い描く構図の想像なんて」


 話の方向をちょっと逸らすように、答えにはなっていないことを言って、一応頷く程度にはリプカを納得させると。

 その後に、ごろんと背を向けて、クインは言った。


「まあ、あるいは……いま私と話す中で、着地点、その片鱗を見出し気付かせる腹積もりであるのかもな……」

「え……? ……――クイン様は、ミスティア様の着地点とする構想に、察しがついている……?」

「まあな。――お前が分からないのは、結末の図ではなく、あくまで、シュリフとやらの心情だ。それだけが分からないから、深い謎に思えているのだ」

「――お話を聞かせてくれますか? クイン様」

「寝る前のちょっとした話として聞け」


 布団を持ち上げて穴倉のようにめくって、背をむけたまま、クインは言った。


 虚を突かれたけれど、誘いを受けてリプカもそこに入り、横になって天上を見上げて――今日一日の終わりを意味する、眠りの体勢を取った。


「ここで言う心情とは、信条と言い換えることもできる、つまり、矜持のことだ」

「矜持。……姉妹を一人残すことが、矜持――?」


「ダンゴムシ、人はお前が思う以上に様々である。心情は、人が共感したいと願う、己の内の良心だけでは語れないのだ。お前が妹を大切に想うように、人には、己だけの信仰というものがある。つまり矜持――。それを失うことに比べれば……死んでもいい、死んだほうがマシだ。だが一方で――他人にとってそれは、ごみ程度にしか映らないということもある。そんなことで死ぬなんて、せいと天秤にかけるなんてありえない……。個々人の認識の問題だ、言ったって仕方がない。


 そんな価値と、私にとっての最上価値である輝かしいそれを、天秤にかけるなんて。


 言いたいことは分かるがな、それはお前が見てきたモノで構築された世界においての話だ。人間はそれ一人が、一つの世界である。人の数だけ法則こころがある。価値なんて様々だ……」


「…………」


「私にも譲れぬものがある。故に、時に命を賭けて懸命する――。だが他人から見れば、それは、自身の世界の調和を乱しかねない、理解の範疇における外かもな。――リプカ。私はであれば、全てを捧げられる。だがそれは、多くの世界の良心から、屑だ不良だと罵られることかもしれない。


 私の矜持が間違いのように思うか?


 ――試しているわけではない、ただの、答えもどうでもいい問い掛けである。そのように言われてしまえば、というのであれば、無言でよい」


「――いいえ」


 リプカは、はっきりと答えた。

 クインは一拍を置き、続けた。


「矜持は様々――。私の目には、シュリフとやらの姿が、ただ運命と向き合う、偽りの無い真っ直ぐに見えた。――奴は、病気として生まれた自分のさだめみたいなものをくつがえして、一つの存在をこの世に残そうとしてるんじゃあないのか? ただなんとなーくそう感じただけだが、まあ、。神にシニカルな笑い顔を見せる、そんな心意気を感じたよ、奴からは」


 何気なく言っているけれど。

 それは、の言葉だった。

 たったそれだけで無敵を誇った集団は、規律だけでは説明のつかない、結束以上の強さがあっただろう。



『優秀な指揮者は、完全統制を示す規律が敷かれたまま、個々の人間を引き出します』



 いつかの日に、シシリアが語っていたこと。


 他者の心を推し量り、歩み寄り手を差し出す。それが彼女の成した大きな役割であり、あの日においての日常であったとするのなら――彼等の奮起を呼び起こした、その結果を見るに、それは、信頼に値する話であった。


「着地点というなら、皆が前を向いてるとか、そういったことじゃないか? いや憶測も甚だしい話だが」


 また何気なくいった言葉だが、それはまさしく――。


(ミスティア様が仰っていたこと――……)


「世界なんて個人の数だけある、群れで生きざるを得ない、そのための事情システムの強制はそれで一つの景色をかたどるが、しかし、本来、この世界は万華鏡である」


 そこで、説教は終わった。


 しんと静まり返って。

 少しの間、無言が続いた。


「私、間違ってるの……?」


 リプカのその声は、まだ舌足らずなぐらい随分と幼い言い方で、口から漏れた。

 その声に、クインは確かな声音を返す。


「間違ってはいない。間違いとはなんだ……? ただまあ、奴側にも確かな矜持というものがあるのだろうなと、そういった話だ。説き伏せるのなら、そのことも考え、向かわなくてはいけない」

「私、できますか……?」

「知るか。――いいんだよ、お前のやってることが、誰に『何やってんだコイツ』と思われていたとしても。歩む者は最終的な着地点に辿り着くことだけを考えなければいけない、悩みと向き合い背負いながら。なあ、もうとっくに覚悟を賭けた不安に関しちゃ、誰も手を貸せないぞ。誰ぞに悩みを打ち明けようと――不安の輪郭を確かにすることはできても、それを越えるための決意は必ず、自前で払わなければならん。不安を預ければ矜持は雲霞くもがすみ、臆せば矜持を見失う、矜持が揺らげばどこにも辿り着けない、不安であろうと立たなければいけないのだ、できるかどうか問うてくる内心があるなら殴り飛ばせ」


 そしていつの間にかリプカのほうへ顔を向けていたクインは、リプカの腹を平手ひらてでぶっ叩いた。


「頑張れ!」

「ぐふうッ……!」


 バチーンという結構な張りを受けて、リプカは息を噴き出した。


 そして――。

 きゅっと拳を握って、ぐっと奥歯を噛み締めて。箱入り令嬢であったリプカ・エルゴールの瞳で、世界の景色を見据えた。


「はい――。頑張る……!」

「ん」


 それからは、ぽつぽつと、今日あったこと、今日感じたこと、シュリフとの会話といった話をしてから、二人、その日は眠りに就いた。


 クインは最後に、「お前の目指す場所がどこに変わろうが、が私の、手を貸す理由だ」と、そんなことを告げた。


 先に寝入ったクインの横顔を見ながら。


 リプカは、クインの手をそっと握ってもよいものかどうか、ちょっとばかし迷って。結局伸ばした手を引いて「おやすみ」を言うと、そそくさと布団を被り、眠りに落ちた――。


 

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