闇夜の襲撃者・1-3
「どうしてそこまで?」
「話し合いがしたい。座れる席を設けよう」
――いけない。
ここで話を聞いては、実質、負けたことになる。
刹那、リプカは内心で、己の声を聞いた。
暴力を振るった以上、得だけがあるという例外的局面を除いて――必ず、絶対に、なにがあろうと、最後まで暴力のスタンスを押し通さねばならない。――師シシリアの、最も重要な教えの一つ。
暴力を振るった以上、暴力のスタンスを一瞬でも解いてしまえば、実質負け。
負ければ――必ず、何かを失う。
「…………」
リプカは、僅かに沈黙して、男を見つめた。
そして。
「分かった」
見開いた瞳を、通常を大きさに戻した。
「――よく分かった」
その言葉と共に。
男の喉元を掴み上げて、軽々と持ち上げた頭部を、月明かりに晒した。
そして。
一つの言葉を発するよりも容易く、躊躇もなく。
無情に、吊るした手に万力を加えて男の首を握り潰した。
「――――コ゛コ゜ッ――」
空気が潰れたような音を漏らした男を見上げるリプカの瞳は、色の濁らないまったくの平静で――それは紛れもなく、暴力を信仰する人間の証。ブレた瞳でリプカを見下ろす男がそれを悟るに容易な真実だった。
「――私の大切な人たちを肉袋としてしか見なかった、あなた方のことが許せない。道理にかなわない非道に目を瞑れない気持ちがあるし、あなたにその理合いを直視してほしいのです。――首の骨が外れるように力を込めます。骨が折れれば死ぬし、外れれば生き残る。生き残ったそのときは話し合いの席に着きましょう。そのときは――あなたの運に敬意を抱けるから」
それだけ言うと。
男の首を掴むリプカの手に夥しい筋が浮かび上がった。異音と共に、男の骨が潰れ始める。
「運を祈っています」
煽りではなく、ただ純粋な言葉をかけて。
下から押し上げるようにして、首を肉ごと潰し上げていく。
「まッ――――」
首元を絞められた男の声は、当然、堰き止められて消えてしまったけれど――。
しかし不思議なことに、それでも、最後に男が口にしようとしていたその声だけは、今まさに潰されそうな喉の間から、掠れて小さく漏れ出した。
「――――シュリフ様万歳」
――リプカの万力が解かれた。
男の首は、奇妙な方向に曲がったところもなく、手形の痣跡だけを残して、無事、真っ直ぐに据わっていた。
リプカはため息を吐き出し、くにゃりと崩れ落ちた男を見下ろし、語りかけた。
「どうしてそこまで、シュリフたるミスティア様の生存を望むのですか?」
「…………」
男は虚ろな目で、だらりと成すすべなく唾を地面に垂らしていたが、それを聞いて、力の入らない体を、顔だけ、月明かりを望むように持ち上げた。
「特別だから」
酸欠の中、情だけが鮮明な、ぼんやりとした声が漏れる。
「特別?」
「呼吸しているのかどうかも分からない。そんな中……あのお方の存在だけが……月明かりのように眩しい……。全てが不確かだ、けれど……あのお方の存在だけが……唯一……確かだ……。私たちはきっと、月の明りを守りたいんだ……。そのためなら、死ねる……ハハ。他はあまり、意味がない……そう確信したそのときから……。――ハ、ハ……、きっとあなたには、分からないだろう……。だが私らにとって……それは、なによりも重大だ――」
リプカは息を飲んだ。
本気だった。
朦朧とした意識の中
愕然とした
(だって――これは――)
そう、それは――――。
アンヴァーテイラの推測、そのものであった。
(アン様の推測は、まさに正鵠を射ていた――……。この人たちは、暇だったから――それが理由で、それだけが理由で。シュリフたるミスティア様のために、命の価値を捨てて、倫理さえ踏み越えて献身していたんだ――)
『信仰の理由は、なんかすごく暇だからじゃないですか? ――いや真面目な話、暇だからとしか思えませんけれど』
(その通りだった……それ以外に説明のつかない本質だった――)
――若干浅くなった呼吸を、悟られぬよう整えて戻す。
リプカは男の目に映るよう立ち位置を変えると――短く、ため息を吐き出した。
「今回のことで、あなた方を許せなく思うその理由が、三つあります。一つ……年若い、私の大切な知人の者を付け狙い、凶暴を働こうとしていたこと。二つ、
男の瞳の靄が晴れかかって意識を取り戻しつつあるのを見取ってから、リプカは、無感情に告げた。
「三つ目。私たちがシュリフたるミスティア様を消し去る存在だと勘違いして襲ってきた、その間抜けのことです」
言って、リプカは指を鳴らし、背後の近衛に呼びかけた。
オーレリアに頼んだ手筈通り――近衛の一人がリプカの元へ姿を現し、数十枚が閉じらいちれた紙束を手渡した。
フランシスの報告書を、クインが手早く、分かりやすいよう要約した書面だった。
書面を受け取って、それを男に差し出す。
「――私たちは、【妖精的基盤症状】の治療方法を探し出していた。つまりシュリフたるミスティア様が存続することを願って動いていて――だから私たちは、あなた方の敵に成り得ないはずだった。違いますか? もうすでに、【妖精的基盤症状】の治療方法も見つけ出して確立させている、あとはそれを形にするだけなのに」
ぽかんと大口を開ける、立場ある男の呆け顔というものは見ものではあった。
男は正気を取り戻すと、慌てて手渡された資料を、月明かりにかざして読み込み始めた。
読み進めるうちに、男の顔が青黒く、次第に一旦の蒼白を経て、青白い顔、汗だくのものへと変質していった。
(分かるのかしら……?)
最後の懸念は杞憂だったようで、男は再び大口をかっ開いて、奇跡の証明式を目にしたような、驚愕と唖然の視線で、書面を見つめていた。
「理解しましたか?」
「――――だが、しかし……これは……資金の問題が……――」
「あなた方が邪悪の手を伸ばそうと不埒を向けた、あそこにおられるお方を誰と心得ますか? かのアーゼルアクスたる、フラムデーゼドール家の協力も、とうに取り付けていた。……あなた達の考えが実現していれば、それもご破算だった可能性もありますがね。この間抜けが」
煉獄のような黒い炎が見えるのに、どこまでも冷えた
「…………取り返しのつかないことをした」
「そうですね」
「謝って済むことではないし、どんな言葉を重ねても仕方ない。――私の名前はヘーゼリア。ヘーゼリア・ベックリー。フルフィウス家に抱えられている、アルメリア領域の代行外交官」
(代行外交官……!)
リプカは立ち眩みのする思いだった。
代行外交官。
その名の通り、主に国外における交渉事の代行遂行をこなすお役職で、分離戦争以降の時勢から緩やかに需要が高騰し始めた職は、現在における一流の代名詞であり、――貴族家に抱えられた代行外交官となれば、それは紛れもなく、社交の世において一つの頂きと認識される、天上の権威職であった。
(不当の世を能力だけで駆け上がったような
なにが驚きかと言えば、そんな人間が、こんな大したことのない人材に見えてしまう、最底辺――沼の底みたいな
(フランシスの信者でさえ……ここまでではなかった――)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます