第百三十七話:また騒がしい朝

 唖然の新展開から二日目、漫遊の中に数々の激動があった翌日の朝は、らしいっちゃらしい、騒動の様相で幕を開けた。


 春うららな曙の朝も、蓋を開ければ子の喧しさ。


 なんて、母親や部屋付きメイドの日常ではないけれど、それに近しい振り回されっぷりは、それらに通ずるところがあった。



 アンヴァーテイラが失踪した。



 一人でないと眠れないから、という理由で、例外として外れていたロコを除き、座敷部屋で川の字になり眠っていた幼年組だったが、朝になってみればアンの所在は、布団も綺麗に押し入れに片付けられて、まるせ最初からいなかったみたいに消えていた。


 置手紙があり、低い四つ足テーブルに置かれていたそれによると、間違ってもシュリフに会いたくないからというのが理由であるようだった。大局を読んで、何かを感じ取っていたのだろう。


 アダルト組は大変に慌てたが、一人、クインはくだらないという表情で鼻息を吐いて、事態の深刻を一蹴した。


「近衛に奴の捜索を依頼しろ」


 と命ぜられた通りに、リプカが近衛の一人にお願いすると、たった十数分の後、まるで馬車に轢かれそうになったヒキガエルのような顔つきを浮かべたアンが、見事、連行されてきた。


「どうして分かったんだ……?」


 シィライトミア領域入口へ向かう馬車に揺られながら、未だ茫然の表情でアンが呟いた。


「もう……。どこにいらしたのですか?」

「未成年可の飲み屋……。誰にも見られず店に入ったはずなのに……。……まさか、行きつけの店なんてことまで、洗いざらい調べられてんのか?」

『馬鹿かお前は』


 リプカとアンの会話に、少し声の遠い、クインの罵倒調子が割って入った。


『近衛はエレアニカの象徴を守護する、護衛職の最高峰だぞ。警護だけではなく、拉致された場合の捜索技術も現実離れしとる。八百屋に野菜を届ける業者みたいな手際で運送されてきたなお前』


 ――アンは『ぐでぇ』と座席から滑るようにだらしない体勢になると、呆け顔をやっと、起伏の激しい感情豊かな調子に戻して、ぐだぐだと喚き始めた。


「やだよもぉおお。あの女に会うと内臓がグツグツ煮立ってくるんだよォ想像しただけでイライラするゥ。間違っても会いたくないんですゥ」

「そ、そんなに嫌わなくても……」

「そう思います? ほら、サキュラお嬢、あの女があなたに話してくれたという、ちょっとした物語が何であったのか、リプカ様に教えてあげてくださいな」

「えっと……。アンの、昔のお話……。どうやって出会ったのか、とか……」

「――あの女にはね、デリカシーってものが理解できないんですよ。悪気がないってのがね、もうね、ほんとイライラする」

「ん……んー……」

「それでいて、故意にサプライズを演出しているらしい悪戯を仕掛けられた日にはね、脳内血管がはち切れそうになるんですよ」

「…………」


 ちょっとばかし覚えがあって、リプカは思わず沈黙してしまった。


「――で、でも、少しですけれどお話しした限りでは、デリカシーが無いという印象は目立って、抱きませんでしたが……」

「それはねぇ、私がネチネチ口うるさく、会う度そのことを言い募ってきた成果なんですよ。姉のセラフィは、主に自分だけに被害が及ぶ事であればと、そのことはとっくに諦めてましたからね」

「――本当に、思ったよりもずっと……あのお方とは、馴染みの深い親交があるのですね」

「親交! やめてください、ナンセンス! あえて言うなら、因縁ですよ、因縁。親交て……ウ、あヤバイ吐きそう」


 リプカだけでなく、サキュラとオーレリアもまた興味深げに、アンの話に聞き入っていた。


 距離を測りかね若干気まずそうな様子を見せていたオーレリアが、本当に吐きそうになっているアンに、機を見て声をかけた。


「正直、私はそこまで多くの交流が、彼女との間にあったわけではないのですが……アン様は、どれほどの間、彼女と顔を合わせる機会があったのでしょうか?」

「そんな長い期間じゃありませんよ。年月でいえば二年ちょっとしかないんじゃないですかね? そのかん、たびたび呼び出されて、チッ、さんざこき使われる機会があったわけですが、会話なんて、その間々あいだあいだでちょっとしたものがあっただけですよ。それだけです――」

「いいなぁ……。私も、シュリフのお姉ちゃんと、もっとお話しする機会が、あったら、よかったのに……」

「あぁ、ほとんど会ったことはないのでしたっけ、サキュラのお嬢は? まあ、滅多に人前に姿を見せませんからね」


 アンはそこで話を切り上げるように、肩を竦めて、締めの言葉みたいにそれを口漏らした。


「会うな、と予感しているときは、妖精かなにかみたいに、どこへだって姿を見せるくせに」


 予感。


 まさしくそれは、今リプカが抱いているものだった。どうしてか、まったく疑っていない空想みたいな予期、まるで確信みたいな予感。


 少々言葉は悪いが、「いるだろうな、どうせ」という妙な感覚がある。


(……今の自分であれば――……)


 今の自分であれば……ちょっとはまともに、相手取れるようになっているだろうか?


 漠然としたスケールを目の前にしたかのような、不可思議そのものを相手取るみたいな感慨は変わらずあり続けたが、前よりもちょっとだけ自分に期待を寄せて、リプカは気を引き締めた。


「アンは……シュリフのお姉ちゃんが、嫌い?」

「あまり好きではありません」

「ふぅん……。でも、あのね……。シュリフのお姉ちゃんは……アンのことを、友人だと、思ってるって……」

「…………。――どうですかね」

「あ、アン様、なんだか含むところの情緒多そうな、素敵な表情ですね」

「イジるのはやめてください、オーレリア様」

「本当に素敵な表情でしたよ、アン様」

「イジるのはやめろ」

「うぅ――っ! た、対応の、差……!」

「ハァ、もう寝ますから、あとは皆さんで盛り上がっていてください。……あァ、嫌だなぁ……」


 馬車はトコトコと走る。


 ある者は嫌そうに、ある者はどこかソワソワと嬉しそうに、冷静な表情の者もあり、そして、未来を望む顔付きの者が一人。


 誰もが共通の者を思い浮かべていて。

 リプカはそれこそが、であるように思えた。


 未来を望みながら――もうすぐ、シィライトミア領域、入口付近。



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