第百七話:リプカの大宣言・1-1

 幽霊に驚かされるような経験。


 リプカはどちらかと言えば、霊魂の存在を信じていないという見かたをしていたが――今ほど身体しんたいから飛び出た感覚のあった、根源の生命力とも言うべき自分自身という不可思議な心霊体験は、それまでの見かたに待ったをかけるに十分な証明であるように思えた。


 体から意識が飛び出た一瞬間、たった刹那を希釈するようにして、リプカは意図せず、そんな感慨を意識のどこかで抱いていた。


「ヒっ、ヒっ、ひっ、ひ――――」


 生涯を振り返ってもかつてないほど心臓を脈打たせながら、真後ろを振り返ってみれば――はたして、そこにはシュリフの姿があった。

 あの部屋の光景を見て、もうこのお屋敷の内では会えないだろうと、どこかで確信の予感を抱いていた彼女が、すまし顔で。


「ヘタレた云々より、さすがに品がなかったということもありますが、それにしても。――を選択しましたね」

「ヘ、ヘ、ヘ、へぁぁ…………」


 ボロボロの表情で腰の抜けた声を漏らすリプカに、シュリフは品良く微笑みかけて――普通間を置くところのその場面であったが、リプカの有り様に構う様子は見せずに話を続けた。


「先程お話したことを覚えてくれているでしょうか? 色々と、常人とは在り方の異なる私ですが、しかし、たった一人の姉であるところの妹、セラフィの姉妹という自覚を持つ私は、特異の存在点という難しい事情の外にある、ただ一人の俗人です。故に、セラフィをできうる限り助けたいと思う気持ちもある。――だから今一度、私は私のため、セラフィのため、そして貴方様が迷わぬために、私の特異で貴方様に未来を伝えたい」


 人為が成す託宣の、今一度。

 今日二度目となる、未来視の助言の――まさか。


 リプカは脈の不規則を整えられないままに、驚きを交え、意識を切り替えそれに備える体勢を取ろうとした――が、無理だった。


 リプカの準備を待たずシュリフが告げたことは、今度は説教ではなく、分かりやすい単純な情報で、そして――この度の告げ事も、たった一言二言だった。



「貴方様がセラフィと再びまみえる、次の機会は、貴方様が様々を経てセラフィという人間と対面する、その時になるでしょう」



「…………え?」


 戸惑いの声が漏れる。

 セラが去っていった方向を見つめた。


「……そ、それは、少なくとも長い間、セラ様とお会いできる機会に恵まれなくなる……ということ、でしょうか……?」


 混迷の色の滲む声音で問い掛けたが――。

 返事は無く、待てども、辺りはただ静寂に包まれていた。


 戸惑い、隣を見てみれば、すでに、シュリフの姿は跡形もなかった。


 人がいた痕跡すら見当たらない。化かされたみたいに、リプカ一人がぽつねんとそこに立ち竦んでいた。


「――――なんなんですかっ」


 リプカは小さく地団駄を踏んで、顔をほんのり赤らめながら声を上げた。


 たった十数秒、一方的に話したと思ったら……正直、多分な悪趣味を交えた悪戯であるとしか思えない。


「ミ、ミスティア様、ミスティア様ーっ!」


 辺りに呼び掛けてみたが、声は虚しく響くばかりで、返事の一つも返ってこない。


 リプカは頬を膨らませて、やきもきとした気持ちを持て余した。


 心臓は未だ不規則を刻んでいた。深呼吸を繰り返す――。……その隙に、また声をかけられることもあるかと予感したが、さすがに二度目はなかった。


 冷静を取り戻し、考える。


 ……告げられた助言は、その重要は理解できても、今後どう役に立つのか、その肝心がまったく分からなかった。

 ただ、そんなことを言われれば――。


(本当に、今後、会える機会に、多く恵まれないのだとしたら……)

(…………)


 セラの後を追おうかどうか、再び悩む。

 思うより、今が貴重な機会であるのかもしれない。


(…………)


 本来生じなかったはずの迷い。

 不安が、じわりと、靄のように広がる。


(…………)

(…………――大丈夫)


 しかし、結局。

 リプカはすぐに、その不安を振り払って決断した。


 怯えに似た不安も、セラへの心強さを伴った信頼を思えば、霞も晴れる事であったから。


(大丈夫。思いは伝えた。今ここですべきことは済んで、成せることは成したのだと、思慮ではなく心の気持ちで、曇りもなく頷ける)


 リプカは拳を柔く握ると、視線を上げて、前を向いた。そして気持ちに整理をつけると、今度の今度こそ、王子たちの元へと戻ろうと、背を翻して後ろを振り返り――そこに立っていたシュリフと、間近の距離で対面したのだった。


「やはり、今度も、戻ることをお選びになりますか」

「……………………」


 白目を剥いてへたり込んだリプカ。シュリフはそんなリプカを、眉を下げた微笑みで見下ろしていた。


 一瞬だけ呼吸運動を完全停止させたリプカは、ガクンと首を落とし項垂れると……力のこもらない、蚊の鳴くような声を漏らした。


「――――な……なぁに……? ほ、本当に――……な、なんなの……?」

「ごめんなさい、リプカ様」


 シュリフは苦笑の微笑みを浮かべて、リプカへ手を差し出した。


「どうか許してください、最低な言い訳ですが、私も意思があるという意味では人間なんです」

「……ど、どぉぃう意味でしょう……?」


 震える手を取り、体ごとでリプカを引っ張り起こしながら、シュリフは滔々と語った。


「時々、自身の見た未来が外れることを期待することがあります。それが稀にしか起こり得ないことを知っていても、願う度、何度も。今回も熱に浮かされ、だいぶに馬鹿なことをしましたが――私一人の尽力は、やはりどうしたって、空回りでしたね」


 なんとか二の足で立ったリプカの両手を取り握りながら、身を寄せ、リプカの胸元に頭を預けた。


「どうか、許して。私の、ちょっとした企みを」

「――私の選んだ選択は、間違いであったのでしょうか……?」


 シュリフのげんを聞いて、リプカは息を呑んで問うたが、顔を上げたシュリフはそれに首を振って、はっきりと否を返した。


「いいえ。間違いである選択など、存在しません――なんてレトリックは不誠実であるとしても、私と貴方様が望むものは別物であると、それだけのお話です。ごめんなさい、馬鹿な躍起は、これでもう最後……お約束致します。もっとも、もうこの先で、私が介入できることなど無いのだけれど」

「……もし、私がセラ様の後を追っていたならば、どうなっていましたか?」

「どうなっていたでしょう……? それが知りたくて、私は様々を企んだのかもしれません」

「…………」


 好奇心で尋ねたことに対するその回答が、はぐらかされたものであったのかは、判然としなかった。


 気にはなったが一旦置いておいて、リプカは次いで、明確な答えを必要としている困惑の問いを向けた。


「セラ様と次会う機会が、セラ様と、その……対面するときだという、あの助言の意味は、いったい……?」

「そのままの意味です。事が順調に進むなら、セラフィと次に会うのは、旅も終盤に差し掛かった、そのときであるでしょう。だから、セラフィとの邂逅の機会が長くの間得られなくとも、迷わずに、その時々のことを懸命するため向かい合うことをお勧めします。――セラフィには私も付いているという事情もありますから、そこは、信じていただきたいところです」

「あの、でも……セラ様が、社交においての責をあまりに負い過ぎるというところも、あの、心配であるところでして。…………いまの私には、あまりできることも……ないかもしれませんが……」

「苦労すればいいんです。他人に頼ることを知らない頑なさを、存分に後悔すればよろしい」

「そ、そんな」


 あながち冗談でもなさそうな突っぱねに、口元をもにょもにょさせたリプカへ、柔らかな微笑みを向けて、シュリフは断ずる力強さで続きを語った。


「大丈夫。というより、それは手を貸すことなく、体験させてあげてください。これからセラフィが直面する様々な苦難は、この先あの子のための、大きな糧になるから。大丈夫、軽々けいけいに手を差し伸べるつもりは毛頭ありませんが、いざとなれば、力になるつもりではありますから。――それに、間接的に、貴方様に協力する王子方様のお力に助けられることも、多くあるはずですから」

「そっ、そうですか……」


 不安の晴れない様子が明々に見られたが、リプカは一応の納得を浮かべた。王子方の協力自体は成るというのなら、社交方面においての心配は晴れる。


 そんなリプカを見つめると、シュリフは明るい微笑みを浮かべて、促すように、リプカの背を押した。



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