第九十八話:セラフィ・シィライトミアの告白・1-1

 二人は階下の廊下を歩いていた。


 廊下をゆくセラとリプカに、立ち止まり脇に捌け、頭を下げる使用人たち――すれ違うたびに、違った顔が見える。

 すでに前述したところではあるが、改めて、シィライトミア家は本当に大所帯であった。


 貴族が養う使用人といえば、普通多くとも十数人程度である。


 事務、家事、庭師、料理番といった、お屋敷のあれこれを任せられる執事(性別問わずの呼称)と、夫妻の身の回りの世話、子息子女の面倒見、そして勉学の手ほどきなどを任されるメイド(こちらも性別問わず)と、それくらいのものである。


 しかしシィライトミア家は執事だけで数十人はある。


 よくこれだけの使用人を養えるものだと、リプカはシィライトミア家の財政に驚嘆した。


「とても大勢が見えますね」


 何気なく口にしたことであったが、セラはそれに、困ったような情の、儀礼の笑みを浮かべた。


「シィライトミア家は元々、大所帯ではありませんでしたが……ミスティアに拾われた者が多くあり、いつの間にか、大勢が住まうようになりました」


 聞いてはいけないことだったか、と焦りの汗を浮かべたリプカだったが、セラは特に言外の暗黙を醸し出すこともなく、事情を詳らかにした。


「まるで犬や猫のように拾ってくる。みなミスティアのことを心から慕っていますが、中にはミスティアに悪感情を持つ者もある。――けれど、そんな者とも良く折り合い付けて、仲も良く慕わせているのだから、あの子の人柄は計り知れません」


 話を聞くほど、シュリフに対する印象が、一転二転と塗り替わっていくようであった。


 不思議なだけではない、周りと独特の協調を築く人間性は、新たに見えた、意外な彼女の一側面。


 また、自身で気付いているかは分からないが――、という呼称を自然と強調するように口にしていた、セラの取り繕いも、また新たに見えた意外な一側面であった……。


(なるほど……だから、御者を装っていた彼女も、出迎えてお屋敷を案内してくれた彼女も――ミスティア様のことを、と呼んでいたのか……)


 抱いていた疑問に合点がいき、リプカはその事情に感じ入るところがあって、情感の吐息を漏らした。


「あの、ところで、どちらへ向かっているのでしょう……?」

「シィライトミア家の美術品収納室コレクトルームです」


 やがて廊下の終わりに見えた部屋はセラの言う通り、中に入ると見事な保存で美術品が展示された、さながら個人宅の美術館といえるスペースであった。


「わぁ……!」


 リプカは思わず感嘆の声を漏らした。


 個人宅の美術館――美品、その点数の多いこと。

 絵画を中心に、彫刻や焼き物なども数多く収められている。

 絶妙な配置で展示場所が分けられているとはいえ、同じ部屋であるので少し雑多なイメージがあったが、それもちょっとしたニュアンスになっていて楽しめた。


「見て回ってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」


 儀礼ではなく心底から楽しむ心を持ちながら、ゆっくりと、絵画が架けられた場所から見て回り始める。


 リプカも貴族娘である、見る眼は備えていた。

 なにも難しいことではない。


 高尚な趣味を思わせる、難しいイメージが憚っているが、美術とは案外、知ってみれば単純なもので。

 意外に思われるかもしれないが、それは複雑極まる崇高な思想から始まるものではなく、例えば木の生え形が女性の股に見えたり、そんな本能的な目視に美しさを見出して、絵に投影し表現したりと、出発点はそんなものである。


 なぜそれを絵に投影したのか?

 思わず木々が女性の股に見えたその美しさを、表現したかったからである。


 またもう一つ例を取ってみれば、例えばリプカがいま見ている、景色をモザイクにした芸術作品。


 というと御大層に聞こえるし、知識のない多くの人がそれを一見しても意味が分からない作品であるかもしれないが、こちらだって、その本質は実のところ、単純である。


 なぜ景色をモザイク状にしたのか。

 それは、景色にモザイクをかけたかったからである。


 もちろん単純だけではない、一個人の感性と蓄積された感性、歴史が積み重ねた様々な手法というものもあるわけだが、それら一つ一つを紐解いていくと、案外とその発端は、この世のなによりも単純だったりする。


 然るところ美術とは、歴史が積み重ねた手法の本質たる単純をどこまで理解し、自身の感性を表現するかというところにある。

 それを理解すれば、案外、美術品を見ることは難しくなく、その価値を自然と瞳に映すことができるものだ。


「どれも素晴らしいですね」


 やがて一通り見終えると、リプカは微笑みと共に称賛を明かした。


 そして一つ、気付いたことを口にした。


「これらは全て、寄贈品ですね」


 ばらばらな趣向。


 テーマといえば強いてそう言える、それを見抜いての指摘であった。

 セラは頷きを返した。


「ええ。これらは――そう……謝礼として、シィライトミア家に寄贈されたものです」


 礼としての、寄贈品。――含みのある言いかた。

 これら全てがそうだとしたら……やはり、シュリフは多くの者に、助けの手を差し伸べていることになる。


「ミスティアの力は、ご覧になりましたか?」

「え、ええ。とても驚きました。フランシス以外に、あんな驚嘆を意図して起こせる者がいるとは……正直、思っていませんでしたから」

「――なにはともあれ、まずは謝罪致します。きっと、本当に迷惑をかけたことでしょう。誠に申し訳ございません」

「い、いえ、そんな……!」


 リプカは慌てて手を振ったが、さすがに、先程聞いてしまったミスティアの悪戯よりもマシですよ、とは和ませられなかった。


「あの、セラ様。どうしてここを、話し合いの場に……?」


 美術品の収納室である。話し合いに向いているとは、いまいち思えない。


 するとセラは、また、あの透明な微笑みを浮かべて、美術品、主に絵画の方へ顔を向けた。



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