第九十一話:【妖精的基盤症状】・1-1

 結局アズの仕切りによる進行の末、アズもリプカの部屋に滞在するという、解決になっているんだかどうなのか微妙な落とし所で、話は一応の落ち着きを見せた。


 夜も更けていたが、その後はアズが教鞭を取る復習の時間となった。


 今晩学んだことを、忘れないうちにもう一度、座学で学ぶ。


 それが終わったのち、やっと寝床についた。リプカは無理矢理にでも横になり、目を瞑った。寝つきの良さには定評があるのだ。


 そして朝方は、まだ日が稜線に顔を見せたところである早くに起きて――身支度を整えるとそっと部屋を抜け出して、ビビの部屋へ赴き、扉をノックした。


 ――昨晩ビビは、リプカたちより早くに帰っていたようだったが、リプカたちの帰還後少し顔を合わただけで、おやすみの挨拶を残して自室に戻ってしまった。


 リプカはそこに深刻を感じ取り、正直――不穏、不安な気持ちに苛まれていた。


「誰だ?」

「あ、リプカです」


 ノックの音に変わって返ってきた、意外にも硬質な声色に返答すると、声色はすぐに柔和なものになった。


「ああ、リプカか。昨日は大丈夫だったか?」

「は、はい。学ぶこと多く、それに、正体に気付かれることも――あの、昨晩少し話した通り……肝心なところでは、ありませんでした」

「そうか。――今開けるよ」


 確認するように一つ会話を挟んでから、ビビは扉を開けた。


 ビビの表情は早朝だというのに寝ぼけたところもなく、最低限の身支度も整っていて、しゃんとしたものだった。

 リプカが来ることを予期していた、というふうでもなかったが、ビビは特に気分を害した様子もなく、快い普段通りでリプカを迎え入れてくれた。


「まだ日も登り切らない早朝からすみません」

「いや構わない。アルファミーナでは毎日早朝早くてな、この時間に起きるのが習慣になってしまった。健康的かもしれないが、時々、どこか損している気分にもなる」


 夜遅くまで起きているときもあるしな、と笑って言いながら、ビビは景色が見下ろせる窓辺へリプカをいざなった。

 そしてリプカがなにかを問う前に。

 ビビのほうから、話を切り出してきた。


「【シュリフ】という病名についてだったな。――調べがついたよ。やはり【シュリフ】は、アリアメル連合独特の俗称だった」


 リプカは思わずこくりと息を飲み、僅かに身を震わせた。

 手の施しようのない症状であったらどうしよう。

 また手の施しようがあっても、完治見込めない病状であったら――。


 ……暗い穴の先を照らして覗くような恐れに慄いたわけではないが、リプカは真相が語られるその前に、一旦話を置くように尋ねた。


「すごい……。よく、ここまで僅かな時間で、調べがつきましたね」

「アリアメル連合は開放的だよ。その規律が、様々な自由を形作るのだろうな」


 リプカの感心に、ビビは眼下の景色を見下ろしながら、彼女も彼女で感嘆を織り交ぜて答えた。


「アルファミーナとは対極だな。外来人がいらいじんだというのに、国民IDも無しに国立図書館を利用できたぞ。在り方が平和すぎて、少し怖くなったくらいだ。――ああ、その際に、アリアメル連合への入国時に開示した、クララの身分を利用させてもらった。さすがにそれがなかったら入れなかっただろうけど……大丈夫だったか?」

「ええ、一応クララ様には、あとで私からそのことを伝えておきますね」

「ありがとう、そうしてもらえると助かる」

「はい。――ところで、国民ID? とは、なんのことでしょうか……?」

「あー……アルファミーナ連合には、そういったシステムがあるんだ。まあ、気にしないでくれ」


 ビビは苦笑いで答えた。


 リプカは聞かれては困ることだったのかな、と察し、話を戻した。


「【シュリフ】という病名の調べについて、お聞かせ願えますか?」

「ああ。――【シュリフ】というのはな、【妖精的基盤症状】の俗称だったんだ。“シィリフ”が訛った呼称だな」


 ビビはもったいぶるでもなく、すんなりとそれを明かした。


「妖精的……基盤症状。それは……どういった症状なのでしょうか?」

「大脳皮質の異形形態が原因とされる意識症状だ。電気信号の流動経路変質が、生まれて得た人格とは異なる意識を形成する、障害に分類されない、特殊な先天性症状なんだ」

「…………」


 それは、シュリフが自ら語ったこととほぼ同一の解説であった。


 俯き、視線をぼやかした――そんなリプカの様子を見取ると、ビビは視線を外して、再びアリアメルの景色をどことなく見渡しながら、どうしてか専門用語が多用されていたその解説に理解を示したリプカへ語りかけた。


「多くは問わない。だがリプカ、はっきり言っておくが――これはお前が思っている以上の難儀を孕んだ問題だ。解決の難しさを言っているんじゃない、それにまつわる歴史の因縁が、様々な厄介を引っ張ってくるだろうという、そのことこそが、事の深刻だという話だ」

「…………? どういうことでしょうか?」

「【妖精的基盤症状】の少女に会ったんだな? ――そいつは、どこか人間離れした性分を表していただろう」


 ビビの指摘に、跳ね上げるようにハッと顔を上げたリプカ。

 ビビは外に向けた視線そのままに、続きを語った。


「それを踏まえて聞いてくれ。私は、頼られないと力を貸せない。しかしな、誰に頼るのか、どのような解決を目指すのか――無数の道を選択するのは、きっとお前だろう。……私に頼ることが良い選択であるとは、限らないのかもしれない。それは覚えておいてくれ」


 話の深刻の予感が、あるいは想像を超える形で現実となったことを悟りながら、リプカはできるだけ気を静めて受け止めようと、努めて平静の声色で問うた。


「……ビビ様。【妖精的基盤症状】に纏わる歴史の因縁とは、どのようなゆかりの難事なのでしょうか?」

「俗称【シュリフ】、【妖精的基盤症状】は、ルーメリア大陸では歴史上、過去一度しか観測されていない。……俗称で語られるはずだよ」


 ビビは言葉を区切り、目を瞑った。


「唯一の観測報告であるそれは、歴史においての、公然のタブーだ」


 そして告げられたその事情は、確かに、想像を遥かに超えた深刻であった。



「【アルメア・アルメリア】。……【妖精的基盤症状】はそのまま、殺戮の限りを尽くしたその女の、人格を指す病名なんだ」




  

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