第九十話:花それ麗しくも、香りが過ぎれば息苦しい・1-1

 各々目覚ましい活躍を見せたアリアメルの社交界は、宵が深まる頃合いにお開きとなり、三人はまた是非にと、大変な歓待と、次の機会への意欲的な姿勢を大勢に示された。


 帰るときはアズ、クイン、クララの順で会場を後にして、付き人リリィも含める五人は途中で合流し、これもクインの進言で結局しばらくそこを拠点とすることにした、シィライトミア領域入口付近に位置するお宿へと帰還した。――宿は今日も、当たり前のように貸し切り状態であった。


 様々な知見を得た晩餐会であったが、予想外な出会いもあり、その邂逅を経て得た情報は……また予断許さぬ深刻なものであった。


 国を代表する三人の令嬢を見て学んだ様々。

 社交界で発見した、己の姿。

 そして、セラフィの憔悴と、共には歩けないと言い渡された、その意味。


 考えることは果てなくあったが――お宿へ帰還してすぐ、気を抜く暇もなく直面したのは、そのどれを紐解くことでもなかった。



 視線を遠くして、深刻な表情で行く末を見つめていたリプカに待っていたものは――アズナメルトゥからの、教育熱の義に燃える子供部屋付きメイドの怒りもかくやという鬼の角が見える、であった。



 内容は社交界においての失態といった話ではなく、意外なところから飛んできた、過去のことについての言及だった。


「んだからね、どーーーしてリプカちゃんは、クインちゃんに、エルゴール家における家令の役割を、ハイと渡しちゃったのかな?」


 表情に“怒りマーク”を浮かべながら微笑む、凄まじい顔つきのアズに、リプカは自然と正座の姿勢を取って、縮こまって震えさえしながらアズの表情を見上げていた。


 おそるおそるに口を開く。


「え、っと……あ、あの……――」

「うん?」

「ひゅぅい!?」


 リプカは膝を正した姿勢のまま飛び上がった。


 そこにあったのは、この世で最も恐ろしい表情――影に染まった、温度の失せた微笑であった。


「えの、あの……、いま……そ、そのお話、ですか…………?」

「なにか言った?」

「言ってません」


 腰に手を当てたアズにぐいと顔を近付けられると、リプカは首をブンブン振りながらきっぱりと自己否定を返した。


「あ、あの……でも、それには考えがあって……」

「フランシス様なら絶対に負けないからとか、そういう考えでやっちゃった? フランシス様が戻ってくれば、どのみち家の状況は平定されるだろうってカンジで」

「え、あの、えと……は、はい……。信頼しているところは、そこです、はい……」

「アホタレチャンッ!」

「ヒュウっ!?」


 今度こそ本格的に怒りの表情を露わにしたアズに、リプカは仰け反って涙目を浮かべた。


 アズは暗雲と雷を背景にして、野ネズミのように震えるリプカへ説教を始めた。


「いいっ? 信頼することは大変な美徳かもしれないけれど、今回の話のそれは信頼ではなく、皮算用というものですッ! ……お家の格というのは、本当に最後の最後にしか賭けてはいけないものなの。それを、ツジツマ合わせの算段で放り投げるなんて、言語道断ですッッ!」

「ふぉ、――で、でも、でも……!」

「うん?」

「クイン様が置かれた状況を考えると……その……!」

「――それは、クインちゃんの能力が、“リプカちゃんの想像範囲に収まっている”と、確信している、というコト?」

「――――! ――……そ、それ、は――……」

「クインちゃんの能力が想像範囲外のステージにあったら? 意外と意識できないことだけれど、世界は無限に広がっている。――自身の視点外に抜け穴はないと、そう言い切れちゃうの?」

「――あ、あ……」

「それに。もしかしたらアクシデントが起きて、フランシス様が本当に長い間、帰ってこれないという状況も、あり得るでしょ。呼び戻そうにも天文学的な事故が起こり――例えば大陸が突然真っ二つに割れたりして――フランシス様といえどお屋敷に帰還できない状況が作られる可能性も、ゼロじゃない。その間に、エルゴール家の乗っ取りが完全なものになってしまう運命だって、ある。でしょう?」

「――…………」

「――今回の事は本当に、お家の格をかける、最終段階だったかな?」

「――ぁ、っぁ――」

「ボコボコ空いた穴ボコに目もくれず未数値の未来に確信を持つ。――それは世間一般で、なんと言うのかな!?」

「――――――私が“愚か”でしたぁああああッ!!」


 リプカは真っ青な表情で、涙を浮かしながらアズに平伏した。

 アズは小さくため息をつき、リプカの元へしゃがみ込むと、まだ眉を逆ハの字にしながら、肩をポンポンと叩いた。


「もー、そういうことは、幾万回と筋を確認するくらいの気構えで、ちゃんと考えないとダメだよ! 他人が集う歴史の品格が賭けられた交渉は、本当によくよく、考えないと!」

「ハイ……」

「心に刻み込むように! ――ハイ、お説教終わり! らしくもなく、立場も考えずお説教しちゃった……! でもリプカちゃんには、ちゃんと考えてほしかった――」

「ハイ……!」


 アズに優しく手を取られ、その人情に染み入り、じんとしたものを感じてグチョグチョになった少女の表情を見て――事の要因である当の本人は。


「子供かお前は」


 他人事に、そんな無慈悲極まる一言を投げかけるのみであった。


「ルップタ・ダップノグラン、奴がそうか。スカーシャ・ラヴロイ。奴はだったな……。アルタ・スペノグラス。――若いな、乾坤一擲たるチャンスに貪欲の炎を立ち昇らせていた。その意気込みは注目すべき価値があったな――」


 あれからまだそれほどの時間は経っていないというのに、社交界での可憐はどこへやら、クインはベッドに膝立て胡坐をかいて座りながら、幾枚もの名刺を一枚一枚確認しながら、シーツへ放り投げるようにして広げていた。


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