第八十七話:導きの鳥

「楽しかったです。クイン様、アルタ・スペノグラスの名を忘れないでください」

「こちらこそ、楽しませていただきました。ええ、必ず覚えておきますわ」


 二曲目が終わった。

 この頃になるとリプカにも、辺りを広く見渡すだけの余裕が生まれていた。


 依然、社交界の流動中心は間違いなく彼女、相変わらず、クインが凄まじい求心力を見せていることは一目瞭然であった。

 しかしよくよく全体像を観察してみれば、状況に変化が生まれ始めていることが分かる。それは時間経過による必然流動で、つまり、クインへ挨拶を終えた者の幾割かが、他の者の席へ、場合によってはまた改めて挨拶に伺うという成り行きであった。


 そしてその支流的な大きな流れは分かりやすく、二つに分かたれて形成されていた。クララとアズを中心とする流動である。


 といっても、その人心をくすぐられるような輝く明るさで、周囲の皆を情緒満たされる陽気な感慨で魅了するアズも突出していたが、さすがにホームとも言える地で実力を遺憾なく発揮するクララが生み出す求心の引力に対しては分が悪かった。


 クララの振舞いは、“つつがない”のお手本のようであった。

 つつがない。その語感からどこか冷たいものを感じてしまいがちな表現であるが、クララの処世術は、温かさの宿る人情味に溢れたものであった。


 品格に富んだ美しい言葉遣いをもって、人柄を存分に表現する。

 単純なようであったが、それがとてつもない難度であることは見ているだけでよく分かる。品格を損なわぬためには、機知に富んだ明晰な頭脳と、柔軟で幅広い見識を駆使して立ち回ることが必須であることが理解できた。


 それは社交界における模範解答のような立ち回りであるように感じさせられたが――かと思えば、逆にアズは品格を十全に体現したとは言い難い、砕けた言葉遣いで、踏み込めど失礼にならぬ絶妙な距離感覚をもって、周囲に自然と表情綻ぶような笑顔を与えていた。

 よく観察すれば、口調は砕けたものであっても、その立ち振る舞いの気品が軽い雰囲気をカバーして、結果、心地良く距離を縮められる雰囲気が生まれていることが分かった。所作一つ一つが本当に美しい。それで確かな友好を築き上げている様は、社交界の目的を十全に達しているものであり、見れば見るほどそれもまた、模範解答のように思えた。


 そしていまや多くに囲まれているクインは、それこそお姫様のような、気品の中に可憐が見える魅力的な微笑みを浮かべて歓談に興じていたが――クララとアズが浮かべる表情には、なるほどその色の中に彼女たちがあったが、正直に言ってクインのその微笑みには、普段の彼女を連想するような表情はまったくなかった……。


 だというのに、クインの表情は不思議と彼女の心をそのまま表しているように思えて――だからこそ、心を揺さぶられるほど魅力的に思えるのであった。


 よく見るうちに、彼女の立ち振る舞いにも規則性があることに気付いた。

 ユーモアを交えながらも、よく聞けば一つ一つのお話に対し、話をよく聞き相手を立てた上で、はっきりとした自分の意見を返答するということを、立ち回りの基本としているように見受けられた。

 もちろん臨機応変に機知の冴えを随所で見せるのだが、スタンスとしてはそれが基盤であるように思えた。それはなるほど、その一部を取り上げて見れば、とても彼女らしい。


 人間は一面性のみにあるものではない。

 クインの立ち振る舞いから、リプカはそんなことを感じ取った。


 ――そして、三人の王子から様々な学びを得て、そこまで考えた、そのときであった。


(――――え?)


 内心で、呆けた声を上げる。



 会場に姿が現れ、リプカは目を見開いた。



 髪を後ろで、馬の尻尾のように縛った、小柄な姿。

 その横顔まで鮮明に見える。――だがそれが現実の光景ではないことくらい、すぐに気付いた。


(――あれは……私――!?)


 驚愕を浮かべながら、その確かな輪郭さえ見える幻を目で追った。


 幻視であるリプカは色香的な派手はない、中性的なイメージのある女性服に身を包んでいた。


 その横顔に笑顔はなかった。内に秘めた暴力性を、やや目を引く奇妙ではあるが場違いではない出力調整で存在感オーラに変えて、たいの揺れぬ確かな足取りで会場を歩んでいる。


 とある男性の前で立ち止まり、笑みを浮かべた。

 派手はないが媚びたところの無い、颯爽とした力強さが窺える微笑みであった。


 そして、瞬きの間もなく、フッと唐突に幻は消え去った。


 ――リプカの茫然は短かった。



 理解したのだ。

 あれは、追い求めるべき、この社交界の学びから導き出した、自身の答えそのものであることに。



 学習し、その頂きにあるものを、輪郭として垣間見る。

 リプカは今この瞬間、その段階ステージへ到達したのだった。

 幻の消えた景色を見つめながら胸に手を置き、今見たものをしっかりと意識へ焼き付けた。


 ――と、そのときであった。

 コテージ風の大別荘、その入り口の一つから、一羽の白い鳥がはためいてきた。


 もう夜だというのに迷い込んできた来訪者に、視線が集まり、ちょっとしたザワザワが起きる。

 使用人が長い棒を使って天窓を開け放つと、白の鳥はその場で一度旋回してから、夜空へ飛び立っていった。和やかな笑い声と歓声が上がり、パラパラと拍手が鳴った。


(…………)


 

 リプカはそっとその場を後にして、白い鳥の示した屋敷の外、入江の望める屋外テラス場へ足を向けた。


  

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