妖精の微笑みと令嬢の出陣・1-2

「は、はい」


 リプカが返事して、付き人リリィが扉を開けると、そこにあったのはお宿の従業員であった。


 姿勢正しく礼をして顔を上げると――その若い男は目を丸くして、着飾った王子たちに見惚れた。



 ――これは、見違えるように美しくなりまして……! 皆様、益々に輝いて見えます、本当にお美しい……。



 男はうなされるように賛美を口にした後、ハッと正気に戻るとバツが悪そうに微笑み、リリィへ三枚の封筒を手渡した。



 ――昨晩、ご予約主様から預かっていたものです。このお時間にお渡しするようにと。



 男の言葉に、一同の間に僅かな緊張が走った。


 男は礼をして退出した。退出し扉を閉める最中、再び礼の姿勢を取りながらも、男は分かりやすく、アズへ熱い羨望の視線を向けていた。


「イエーイ、一点獲得」

「フン、本番を見とれ」


 ちょっとしたコントを挟み、一同、リリィの手元へ視線を向けた。


「で、それはなんだ?」


 クインの問い掛けに、無言で王子たちへ歩み寄り、――リリィがそれを、各々の名を呼びながらに、一枚ずつ配った。


 眉を傾げていたクインの表情が、僅かばかりの驚きに染まる。


「これは――」

「え……?」

「三人、の……?」


 三人に配られたそれは。


 昨晩リプカがシュリフから受け取ったものと同一の、クリスタロス家が主催する社交界への招待状であった。三人それぞれに宛てられた封筒である。


 ――皆、不気味を目にするように、それを見つめた。


「……ダンゴムシ、お前のほうの封筒に、三人分の招待状が入っているのではないのか?」

「え、あっ。――そういえば、まだ封筒を開けていませんでした……」

「なんでじゃいッ」

「あの、それは……。……――――。――あ、あれ? 私どうして、中身を検めなかったのでしょう……?」

「…………。その内容への興味を薄れさせるデザインか。そういうのが心理学であっただろ、アルファミーナの」

「見せてくれ。…………。【絵画文字】だな」


 ビビは鮮やかな発光色の水色が踊るような書体を描く封筒のデザインを一瞥しただけで、即答で答えた。


「かいが文字?」

「そう、芸術を指す絵の文字で、絵画文字。――こんな実験報告がある。ある被験者二人を、同じデザインの部屋でそれぞれ自由に生活させた。被験者は趣向の近い二人を選出し、生活空間は家具、冷蔵庫に入っている食事、室内温度までもをほぼ同一に揃えながら、唯一、一冊の書だけ別のものを与えた。一冊は普通の本、一冊は【絵画文字】と呼ばれることとなるデザインが表紙に施された本だ。それを、寝室の枕元に置いた」

「はぁん、それで?」

「二人は生活リズムや食事の時間、食事の内容や趣味に当てる時間までもが近しかったが、唯一、一人は寝る前に、枕元に置かれた書を夜通し熟読し、もう一人はそれに興味を示さなかったという大きな違いが出た。――本の内容は、二人が興味を持ちそうなものがセレクトされていた。違うのはデザインだけで、タイトルも内容も同一であったはずなのに、途中、観測者が本を枕元へ戻すという不自然を働いても、五日間もの間、【絵画文字】が表紙に施された本を渡された被験者は、それを読もうとしなかった。脳波と電流走路を解析するに、被験者は開かれてもいないその本が、表紙を見せてそこにあるだけで、『完成している』と認識していたようだ」

「あん? どういうことだ?」

「それ以上は興味を持たないほど、完成していると、そう認識していたんだ。美しい絵画を目にして、その裏側はどうなっているのだろうなどとは、なかなか思わないだろう? 【絵画文字】が描かれた表紙を表にして置いてある、紙が挟まった厚みのあるもの――それがそれの姿であると、そのように自然と認識し、納得していたんだ」

「なるほど。被験者は深層心理ではそれを、本としてすら認識していなかったということか」

「そういうことだ。まあ長々と語ったが、クインが言っていたことで間違いないよ。【絵画文字】とは、その内容への興味を薄れさせるデザインのことだ」

「フン、手が込んでるのぉ。――んで、ダンゴムシのやつには何が入っておるんだ? 一人分の招待状か?」


 言われて、リプカは慌てて、彼女から手渡された封筒を開けた。


 ――――そしてリプカは絶句した。


「リ、リプカちゃん?」

「どうなさいまして……?」


 アズとクララに問われても、リプカは愕然から解けずにいた。


 フンと鼻を鳴らし、クインは硬直するリプカへ歩み寄った。


「見せてみろ」


 言われて茫然のまま、皆のほうへ一枚の手紙を見せれば、そこには――。

 控えめで品の良い、金の装飾模様が素敵な余白の中に、このようなことが書かれていた。




『遠くの国からお越しいただけるという王子様方の、付き人様へ。

 貴方のご来訪も、祝福をもって、心からお待ちしておりますわ。

 美しい景色も望める夜です、きっと、楽しい思い出になると確信しておりますの。弾む気持ちが伝わればと思い、書にしたためました。きっと、挨拶に来てくださいまし。貴方にお会いできる夜を楽しみにしております。


 幸いを込めて。

 ラリア・クリスタロス』




 ――そんな、温かな心遣いに溢れるふみが綴られていた。


 ……さすがに、皆、ぞっとしたものを感じていた。

 勘が良いとか、そういう次元ではない。それは不気味そのものだった。


 リプカはまた、妖精が笑うのを見たような気がした。


「……フン、どこまでもおちょくるような真似をしてくれる。まあいい、こちらに利がある限り、思い描くように踊ってやろうじゃないか」


 怪奇的な能力の圧倒を見せつけるような仕込みに、クインは腕組みして言い放ってみせた。


「いまはそれより、社交界っ、これだ。お前らくれぐれも私の邪魔はするなよ」

「もちろんっ!」

「どうかご心配なく」

「そしてダンゴムシっ、お前はひたすら私たちを見て、社交界の常勝手段を学べ!」

「は、はいっ」

「うっし、行くぞ己ら、順番はパレミアヴァルカの、エレアニカの、そして私だ」

「馬車はどうしよっか? 手配をお願いするなら、もうちょっと時間がかかっちゃうけど」

「心配いらん、どうせそれも用意してある」


 その言い捨てるような予期に驚き、慌てて窓際へ駆けてみれば――クインの言う通り、外には四台分の馬車が今まさに到着して、待機していた。


 その手際にリプカは寒気さえ覚えた。


(本当に、まるでフランシスのよう……)


「疑問は後あと、先に目の前のことだ! なんとなく分かってきたが、この筋書きを描いている輩は、私たちに利をチラつかせて物事を誘導しておる。それが真に有益であるうちは従っとけばよろしい。ダンゴムシ、お前に言ってるんだぞ!」

「は、はい……!」

「どこかでレールを切り替えるように、己の利に直結する路線に乗せてくるだろう。だから行動したその理由、胸内に抱いた信念は、いつ何時でも忘れず、絶えず燃やしておけ。そうすればレールが切り替わる瞬間、違和感に気付ける」

「はい――気をつけておきます」

「そうしろ。さて出発だ、忘れ物なんかするなよ」

「クインちゃんもね~。――ってそうだ、大事なこと忘れてる! 同伴、同伴!」


 アズの慌て口調に、クインは前もって決めていたのであろう指示を冷静に飛ばした。


「エレアニカのはパレミアヴァルカの付き人、パレミアヴァルカのはダンゴムシに付き添わせろ」

「えーっ」

「えーじゃない! それが一番良いだろうことはお前も分かるじゃろがッ」


 クララへ激した声を飛ばしたクインへ、アズが尋ねる。


「それで、クインちゃんはティアドラさん? ていうかティアドラさん、どこ行っちゃったんだろ」

「――いや、私は一人でいい」

「え――えっ?」


 アズとクララは驚愕を表情にした。


 アズは、クインの正気を確かめるような雰囲気さえ思わず匂わせながらクインを窺った。


「い、いいの、それで……?」

「よい、そのほうが都合がいい」

「まあ……なら……」


 納得の得られなかったアズだったが、クインに迷いはなかった。


 出発の機を察し、リプカもフードの衣装に手早く着替えた。化粧は自前のものをすでに施している。アズのようにはいかなかったが、なかなか上手くいったと自負していた。


「さて、そちらで私にできることはもうないようだな」


 そんな出来栄えを鏡に映していたリプカの肩を、ビビがぽんと叩いた。


「では私も役立てるよう行動するとしようか。――この国の図書館で、【シュリフ】とやらのことを調べてくるよ。しばらく別行動だな」

「えっ……あの、しかし、お一人の行動となると、安全面の問題が……」

「大丈夫だ、これでもアルファミーナのだからな」


 ビビはリプカにはよく分からないことを言ったが、これにはクインが「あやつなら心配いらない」と口を挟んだ。見れば、アズもクララも納得を表情に浮かべていた。


「そ、そう、ですか……? で、では、くれぐれもお気をつけて!」

「ああ。では行ってくる」


 手を振って背を向けたビビの後ろ姿に、「ビビ様、ありがとうございます!」と声をかけて、リプカも手を振って見送った。


「よし、行くぞ。各々己のさまを見せつけろ!」


 クインの号令をもって、令嬢一行は決戦の舞台へ赴く、一歩を踏み出した。


 ――それにしても、眩しい。


 令嬢三人の後を追いながら、彼女たちが通る道が比喩ではなく眩く照らし出されているように見えて、矮小な自分との間に明確な壁があるような隔たりを感じた……。


 ロビーの前、エントランス、馬車へ向かう道中、男女問わず、三人を視界に捉えた瞬間ピタリと動きを止めて、皆が彼女らに注目した。荷物をドサドサと手落とす者さえあった。その者に三人が微笑みかけると、顔を真っ赤にして、しかし表情に至福を浮かび上がらせていた。


 遠すぎる。


 距離すら計れぬ彼方の向こう岸を思いながら、しかし拳を握り締め、リプカは自身の理想というものを初めて、現実に即した明確をしてイメージしたのだった。



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