第七十一話:財力の国のお宿にて・1-1

 チェックインの時間はもうとうに過ぎていたが、アズがフロントで『リィンフォルン・リリーアグニス』の名を伝えると、ホテルマンは明らかに態度を改めた特別で、快い迎え入れを表してくれた。


「アリアメル連合の境とはいったけど、実は連合境界稜線までは、まだちょっと距離があるんだ。明日も車で移動することになるから、ゆっくり体を休めておいてねー!」


 フロントから戻ってきたアズが連絡事項を皆に向けたが――リプカは半分、上の空でそれを聞いていた。

 ホテルに一歩足を踏み入れたそのときから、呆気に取られたようにその調子であった。


 パレミアヴァルカ連合の宿泊施設。

 ホテルの中は清潔で――そして、信じられないほど明るかった。


 日の暮れた雰囲気はあれど、明度でいえば朝昼となんら変わらない。発光する電灯も、見知った灯りよりも自然色に近く、とても室内とは思えない。そこはホテルのロビーであるので、それでもリプカの知るものにやや近い、趣きある色合いの電灯がともされていたのだが、しかしリプカは自然色のが全面を照らすその景色に踏み入った途端、まるで異界に放り込まれたような情緒を抱いて茫然としてしまった。


 ふと、リプカはフロントの大時計が示す、現在時刻に気付いた。

 夜の盛り――まだ深夜ではないと思っていたのだが、実際はもう、夜更けの時刻であった。

 リプカは、街を灯す光さえも、この宿泊施設と同じく煌々と輝いていることを悟った。

 実際には夜を消すような、目に眩しいほどの灯火ともしびではなかったのだが、それでもリプカの常識からすれば、それは煌々たる光である。


「…………」


 さすがのクインも、お国の金銭豊潤の格差に黙り込んでいた。

 ビビはホテルのグレードに程々の感心を示すだけで、特に驚いた様子はない。

 ティアドラは、己の場違いに苦笑いを浮かべている。

 クララは驚きの程度に大きく差はあれど、リプカの反応と似たリアクションを示していた。その眩さに驚いている。


「はーい、注目ちゅうもくー! お部屋割りなんだけど、一人一部屋取れたから、個室としてお使いくださーい。出発は明日の早朝だから、早めの就寝をオススメするよー。いい? ! ハイ、ということで、引率のアズナメルトゥが連絡事項をお知らせしましたー!」


 真夜中ということで声を落としながら皆に諸々を伝えると、アズはフロントで預かった、なにやら高級感のある黒の札が付いた鍵を各々に一つずつ渡した。


 黒に精巧な金の模様が入ったその札を受け取ると、リプカを除く全員が「おや……?」という表情を浮かべた。


「んじゃこっちにー。エレベーターで移動するよー」

「エレベーター……?」


 問うたリプカに微笑みを浮かべながら、アズはリプカの手を引いた。


 エレベーターは小さな部屋だった。


 箱と表現するには豪奢な造りのそれに足を踏み入れると、僅かだけ床が沈み込んで、リプカは思わずアズの服の裾を握り締めてしまった。


「大丈夫だよ。それじゃ行こー」


 言うとアズは、エレベーター左側の差し込み口に、黒の札を差し込んだ。

 上部分の、階層を表す数字の一つが点灯した。


 点灯したのは、一番大きな数字だった。


「おいおい」


 それを見てなぜか、ビビが苦笑交じりな声を漏らした。


「う、わ……!」


 小さな部屋は、上階に向かって垂直運動で動き始めた。


 リプカは気味の悪い浮遊感に声を上げ、アズににじり寄った。


「おいエレアニカの、お前なーにを羨ましげに見ておるんだ」

「クイン様、静かに」


 やがて小部屋は、本当に僅かな揺れを最後に停止した。


 扉が開き、一行は外に出た。


 ――最上階の廊下へと踏み出したわけだが、もう、廊下からして特別感が演出された空間であった。


「ええとー、奥からクララちゃん、ビビちゃん、クインちゃん、リプカちゃん、私、ティアドラさんだね。部屋に入るときは、エレベーターでやったみたいに、ドアノブ下の差し込み口に札を入れてね。んじゃまあ、今日は解散ってことで。オヤスミなさーい!」


 ……ということで本日は解散となり、各々割り当てられた部屋へと足を運ぶのだが――部屋扉の間隔がまた、ホテルにしては奇妙に隔てられていた。


「リプカちゃん、オヤスミなさい。……それとね」


 アズはリプカの部屋前まで付き添い、そして別れ際、そっと一言を添えた。


「実は、リプカちゃんとクインちゃんの札だけ、双方の部屋のロックが開くようになってるの。クインちゃんの部屋は奥から三つ目だよ」

「あ――はい、了解しました」

「うんっ。それじゃ、オヤスミー」

「はい、おやすみなさい」


(アズ様……)


 リプカは笑顔で手を振って別れたアズの、配慮に満ちた心遣いに、じんわりと胸内を温めた。


 札をよくよく見ると、目の前の扉に刻印された『05』の数字ともう一つ、『03』の数字が、反射の鈍い金文字で刻印されていた。


 ドアノブを見ると、差し込み口が見当たる。


 えいと意気込んで札を差し込むと、『ピ……』という控えめな音の後、ガチャリと鍵の開く音がして、思わず飛び退いてしまった。


 おそるおそる、扉を開けてみれば――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る