戦鬼の娘・1-2

「しかしよく寝てるなァ、こいつ」


 クララと対面のもう一方である、リプカの隣に座るティアドラは、その寝顔を覗き込み、気和きなごみした空気感のまま、無防備な表情をじろじろと眺めた。


「マジで起きそうにないな。は持ってないのか?」


 そう独り言ちたティアドラの右手に――いつの間にか、大ぶりのナイフが握られていたことに気付いたのは、一人だけだった。


「よく寝ていらっしゃいますよね。しばらくは、このままにしてあげましょう……」

「お前、よだれ」

「二度は騙されません」


 和やかな雰囲気のままだった。


「狸寝入りじゃねえの?」


 ティアドラのそんな疑りの冗談に、一人を除く皆が、心の中でクスリと微笑した。


 狸寝入りじゃねえの?

 そう口にした、次の瞬間だった。


 ティアドラはごく自然な動作でナイフを鋭く振りかぶり――迷いもなく、それをリプカの顔面へと突き立てた。




「「「「「――――――――……」」」」」




 そのあまりに突発的な凶暴を正しく認識できた人間は少なかった。

 あのナニか大きなモノと対峙してしまったような絶望、明確な殺意がそこにあったというのに。


 凍り付いた車内。


 ――そして数秒遅れて、クララ、アズ、ビビ、そして運転を任されている屈強な体格の男までもが、為すすべなく冷や汗をどっと流し、硬直した。


「あー、やっぱ起きねえな。――こいつは生きることに関して強いわけじゃねえんだな。殺せるときは殺せる。またピーキーな強さだな……意外と令嬢向きの素質なのか?」


 別段変わらぬ調子で独り言ちるティアドラ。他の者は未だ身を凍らせて、極限まで神経を逆立てているというのに、ティアドラの口調は穏やかそのものだった。


「ふーん、破壊の才ねぇ。――ハ、ところで姫サン、そろそろそれを下ろしてくれるとありがたいんだがな」

「――ああ、わるいわるい」


 肩を竦めるような声色で返答したのは――ティアドラの凶暴を唯一察知した、例外の一人。


 クインはティアドラの腹に押し当てたオルエヴィア連合式軍用ナイフを鋭く立たせたまま、ティアドラと同じ平時の調子の声で言った。


「だがその前に、そやつから刃を引いてくれ。いや分かっている、おちゃめだよな? ちょっとしたジョークだ。――この距離なら私の命と引き換えにお前を殺せるぞ」

「はいはい」


 ティアドラは素直に、リプカの顔面から刃を引いた。


 ――刃は、リプカの表皮一ミリのところで、ピタリと止まっていた。

 幸いなことに、その寝顔のどこにも、傷はない。


「ま、ジョークだよ。空気悪くしてすまんね」

「ハッハッハ、じゃよなぁ。……まあ、あれだ」


 ティアドラの腹から切っ先を引きながら、クインは別段深刻な色を含めず、ティアドラのほうを見ないままに言った。


「私はな、こやつには、いてもらわなくては困るのだ。私にとっての要である、死ぬようなことはあってはならない。だから、無いとは思うが、一応言っておこう。――こやつを殺せば、我が骨を削ってでもお前を殺す」

「ハ。悪かったよ、俺も、雑には対決するつもりはないんだ」

「…………」


 ティアドラの不穏に、しかしクインは特に言葉を返すことなく、ティアドラの納刀を確認した後、ナイフを服のどこかに仕舞うと、「フン」と不機嫌を漏らして、窓の外に視線を移した。


 クララとアズは、二人まったく同じく、まるで人間の皮からずり剥けて突然現れた怪物バケモノを目にするような心象でティアドラへ視線を注ぎ、未だ現実が信じられないという表情を顔にして凍り付いている。


 ビビは二人よりは立ち直りが早く、深くため息をつき、背もたれにずり落ちるようにもたれかかっていた。


「いやしかし、いい胆だったなァ。そういえばお前も、この乗りもんの速度を恐れていなかったな」

「馬鹿か。あのな、私たちは戦時中、こういう技術の様々と、正面から対決していたんだ。今更怖いわけあるか」

「なるほどな。…………なあ、楽しかったか?」

「は? …………はァ?」

「あの戦争は、楽しかったかって」

「…………侮辱してるのか?」

「ハ。いや、悪かったよ、忘れてくれや」

「……楽しいわけがあるか」

「そうか」


 相槌を打ち、ティアドラは目を細めた。


 どうして普通に喋れるのか――知り得ない、理解不能の存在を恐れるクララとアズへ、ティアドラは気和みする声を向けた。


「お嬢さん等も、悪かったね。これからはこういう驚かせ方はやめるよ」


 軽い口調であった。

 だというのに、なぜだかそれに、彼女ティアドラの芯がはっきりと見える不気味があった。


 つまり――彼女はふざけて言っているわけではなかった。


 下に見てからかっているわけでもなく、無価値なものに投げかける適当でもなく、それは、本当にただの謝罪だった。


 戦鬼の国、イグニュス連合の代表、ティアドラ・フォン・レイデアル。

 王子たちは、彼女の素顔に近づいたとき――はっきりと隔てられた、彼女との人間的隔絶を理解した。


 ティアドラは一貫して、ヘラヘラ笑うことなく、遊びなく凶暴を働いていた。故に、王子たちは皆、それを理解できた――。


 彼女はきっと、常識から忌み嫌われる剣と血を、心の底から好いていて。


 そして彼女は、悲劇に喜色を示さず、凄惨を笑う下卑た心を持ち合わせぬほどの純粋で――戦争が大好きだ。


「……こやつ本当に死んでるんじゃないか?」


 ……そんな恐ろしい空気の中でも、起きる気配もなくすやすやと眠りこけるリプカへ、クインはむしろ、ティアドラに向ける以上の奇異の視線を向けるのだった。

 


 

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