リプカ・エルゴール・1-3

「…………」


 三人、重い沈黙を浮かべた。


 さすがのティアドラも、境遇の陰惨や生理的な嫌悪感に、暗く表情を歪めていた。


 セラは茫然と書を見つめている。


 クララは――。


 三人の様子を窺い、クインはため息を吐き出した。


「まあ、どこの世界にも、救い難い屑がいるようだな」

「ハ。――つーかこれ、誰が筆記してんの? こんな露わにしちゃいけねえことまで詳細によ」


 ティアドラの疑問に、セラが答える。


「――おそらく、代々エルゴール家に仕える家系の者が綴ったのだろう。一般的であれば、執事長がその役割を担うのが通例ですね。お家の未来のために、過去の記録は詳細に記しておくものなのです。成功も、失敗も――先々の者が、それを参照し活かすために」

「活かすために、ねぇ。ハ」


 その皮肉に、ティアドラはおもしろくもなさそうに噴き出した。


「…………だが妙だな」


 クインが声を漏らす。

 それに、セラが伺った。


「なにがでしょう?」

「あ? なんにもねえよ。あンだコラ」

「い、いえ、無理に仰らなくても……」

「……フン」


 クインは鼻息を吐き出し、セラから顔を背けて、結局、胸中の疑問を明かした。


「これだけのことがあって、なぜリプカは壊れなかったのかということに疑問を思ったのだ」

「…………」

「潜在的な強さが心を支えたのか、それとも他の理由があるのか……」


 ――クインの語りを意識の隅で聞きながら。

 クララは書に記された、ある綴りを指で追っていた。



 ××年。

 フランシス・エルゴール生誕。



 クララは立ち上がった。


 エルゴール家の歴史書に背を向け、書架の聳えに向かい合う。


「どうしたんだ?」


 クインの問い掛けに、クララは背越しに答えた。


「もう少し、探しものを……」

「探しもの?」


 それには答えず、クララは書架に一心不乱な視線を走らせ始めた。


(――このお家が抱えている闇については分かった)

(だけれど――あの書だけでは、ただリプカ様の事情を明るみにしただけの……尊厳へ踏み込ませただけの無意味であるように思う……)

(まだ――何かがあるような気がしてならない――)


 クララはそう予感していた。


 何故なら――フランシスは、姉の幸せを心から願っているから。


 鍵というなら。

 もっと分かりやすいものを用意するはずだ。――彼女は、遠回りは好まない性質だ。


 息を荒げるほどの必死を浮かべる。


 あの人の傍に駆け寄りたい。


 あの書に記された地獄に眩暈を起こしながら、わけも分からずそんな感慨を迸らせる。


 だがそのためには、彼女の影を瞳で捉える程度には、彼女のことを知らなければならない。今のままでは虚像を追うばかりになることを、認めたくない意ではあるが、予感していた……。


 抱える闇を、覆い隠していた。きっと、光届かぬところに。手の届かない、触れること叶わぬ場所に……。


 駆け寄って、その手を取って。

 早く、速く……! あの人の傍に――。


 思い人が苦しみを抱えている現実に、焦燥に似た胸の締め付け、少しだけ切ないような痛みを感じている。


 どうすればいいのか。

 ヒントが欲しい。


 それはきっと、ここになければ、リプカの内にしかないものだ。


(リプカ様の……その人の内にしかない、感慨……)


 熱暴走を起こしたような脳内で、しかし矛盾するようだが――冷えるような冴えを感じていた。


 そうして――はたして、思考は結実した。


(――――リプカ様の手記!)


 閃くと、クララは手帳サイズの蔵書に目的を絞り、視線を走らせた。

 一列、二列、三列、――十列……。


 ――――そして。


「あっ……た」


 奥側の書架の下段に差し込まれた、赤色の手帳。


 クララは小さく呟きを漏らしながら、それに手を伸ばした。


 表題はない。縦二十センチ程の赤色の手帳に、安物の紙の手触りを感じる。


 震える手で、表紙を開く。


 はたしてそれは――リプカが綴った、彼女の日記であった。



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