第二十四話:あと僅か数ミリの決定的
馬車でやってきたクララを、リプカは出迎えて待っていた。
素敵にドレスアップされた姿で、できるだけ胸を張ることを意識しながら、しばし彼女の到着を待った。
『いい? まず第一に姿勢、そして相手の目をちゃんと見つめること、視界が狭まってきたら注意、緊張しちゃったら必ず一息を入れて! 無理にならないことを心掛けて堂々と、そうすれば臆さず感情も出せるよ! ――頑張れッ!』
馬車の姿が見えると、なぜか急に不安が込み上げてきて、弱気を乗り越えんとアズの言葉を思い出しながら、殊更に姿勢を意識した。
姿見に映った、いまの自分の姿を思い出す。そうすると、自信が胸の底から湧き出す心持ちになった。
馬車が止まり、扉が開く。
神性を感じさせる、ローブのようなドレスに身を包んだクララが現れる。
リプカは緊張の面持ちで、馬車から降り立ったクララのほうへ歩み寄った。
「――リプカ様。お出迎え頂き、ありがとうございます」
クララもリプカに気付き、光射すような微笑みを浮かべてリプカのほうへ歩み寄ろうとした。
「またお目にかかれて光栄です、リプカさ、ま――」
はたと、クララの歩みが止まった。
目を見開いて口を小さく開き、リプカをぼうっと見つめている。
何か妙な点があったのかとリプカは不安に駆られ、酷く焦りそうになったが、そこでアズの助言が思い出された。
一息を入れる。――若干だが心に落ち着きが取り戻される。
「ごきげんよう、クララ様。私もまたお会いできること叶い光栄でございます」
自然と、微笑みを浮かべることができた。
「――ありがとうございます。あ、あの……恐悦至極に存じます」
対して、クララは少しぎこちなかった。
先程まであった彼女特有の余裕が、なぜか失われている。何が原因であるのか、リプカには想像つかない。
やはり妙に映る点があったのではないか……?
心折れそうになりながらも、アズがくれた尽力を思い、リプカは卑屈に落ちず踏み止まった。
「よければこちらへ。少しお庭を散策しませんか?」
「は、はい。是非に」
クララの手を取ると、ビクリと驚くように震えられた。――心に氷のハンマーが打ち付けられる。
――これはもう駄目かもしれない、とリプカは内心で涙を流しそうになった。
何故でしょう……?
絶望に片足を突っ込み、心を引っ掻く疑問が頭の中に溢れかけながらも――リプカはそれを思考の隅に追いやり、装える限りの微笑みを表情に添えた。
クララの手を放し、二人、庭先のほうへ歩き出した。
「あの――リプカ様」
「は、はいっ」
「今日は、一段と素敵な装いなのですね」
「え、ええ。クララ様がいらしてくださるということで、友人に装いを整えていただいたんです」
「――……。とてもお似合いです、リプカ様」
「あ、ありがとう、クララ様」
クララの語りに嬉しみが秘められていることに、リプカは気付かない。
「…………」
その代わりというわけではないが、リプカは、クララの歩みが少しふらついていることに気付いた。
馬車に酔ってしまったのだろうか? 少し体調が悪いのかもしれない……。
「少し座りませんか? あそこに座れる場所がありますから」
「ええ……ありがとうございます」
そして二人は、かつてフランシスが、罵倒されたリプカが父をタコ殴りにする様子を眺めるために設えた、景観と合う石製のベンチに腰掛けた。
綺麗な長方形のそれに並んで座ると、リプカはクララの顔色を窺った。
別段、優れていないようには見えないが、具合を我慢しているのかもしれないと心配は募る。
「冷たくはないですか……?」
「いいえ、大丈夫……。――冷たい感覚はあるのですが、不思議と温かです。石の腰掛けというものも、趣き深く、良いものなのですね」
クララは一呼吸置いてから、柔らかな微笑みを浮かべた。
「少し足取りがふらついていたようだったので……大丈夫でしたか?」
「――――! え、ええ。すみません、少し馬車に酔ってしまったようで……」
「そうだったのですね」
「お気遣い、ありがとうございます。少し座れば良くなると思いますので――」
クララは変わらず微笑みを浮かべていたが――それも、次第にどこかぎこちないものへ変わっていた。
それでもその微笑みにどぎまぎするものがあり、リプカは思わず視線を伏せてしまった。
(あ、相手の目をちゃんと見つめること、相手の目をちゃんと見つめること……!)
再び顔を上げ、クララの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「体調が悪かったら、すぐに言ってください。時間は、これからたくさんありますから」
「は、はい。……今日も良い日和に恵まれ、なによりですね」
「ええ、本当に」
「ええ。…………」
奇妙な沈黙が生まれた。
リプカは小首を傾げた。
クララはいま、リプカから視線を外し、俯いていた。何か心配事があるのか、視線を上げようとしない。
「クララ様……?」
リプカは心配になり、クララの顔をよく見つめようとした。少しだけ顔を近づけようとする。
すると――。
「…………あ……」
クララは、中途半端な微笑みの表情のまま、顔を赤く染めて、言葉を詰まらせた。
見覚えはないが、見覚えのある表情だった。
――その意味を察せないほど、リプカは鈍感ではなかった。
クララと今日顔を合わせてからいままでのことを思い返す。クララの様子がおかしくなり始めたのは、思えばリプカをその瞳に収めたあのときから――。
態度と笑顔がきこちなくなったこと。
手を取ったとき震えたこと。
足取りが不安定だったことまで――。
赤面の意味を察した瞬間、突然、自分のことのような理解で、それらクララの心情を悟った。
(ア……ッ!)
(――――アズ様ああああああああああああああああ)
内心で大絶叫を上げながら、信じられない心持ちで、いま起こっている摩訶不思議を理解した。
頬に灼熱のような熱が宿っていることに気付いた。その灼熱も含め夢なのではないかという思いが拭えない。だが現実に、クララはリプカに負けぬほど赤面し、いかんともしがたいように視線を伏せている。
良い夢?
だが、アズはリプカに心からの尽力を向けてくれた。あれが夢であるとするのは不誠実が過ぎる。そして、その痛みが現実を教えていた。
(落ち付け、落ち付け)
わけの分からない心持ちになりながらも、なんとか驚愕を収めようとする。同時に――。
『決めてこいっ!』
アズの力強い声が、頭の中で木霊した。
どうして、自分のどこにそんな勇気があったのか?
気付けばリプカは、俯くクララの手に、そっと自分の手のひらを重ねていた。
「クララ様、今日は貴方にお会いできて、本当に嬉しいんです。――私にあのような言葉をかけてくれた人は、貴方が初めてだった。告白の言葉を送ってくれたことも、本当に嬉しかった。まずはそれに、心からの礼をお伝えしたい。――ありがとう」
言葉が、スラスラと出てきた。
脳髄のどこでそれを考えているのかも分からない。
――正気に戻ってはいけない。
本能が警告していた。
その警告に従い、リプカはあえて気持ちを浮き立たせ続けた。
そして。
クララは、リプカから言葉を受け取ると、ようやっと視線を上げた。
その瞳は熱を帯び、虹彩に踊る光は上擦っている。
「リプカ様」
クララは頬どころか表情全てを紅潮させたまま、熱で輪郭を象った言葉をリプカへ向けた。
「どうして今日に限り、そのような装いで私に会いに来てくださったのですか……?」
決めてこいっ!
もう一度、その言葉が頭に響き渡った。
――実際、もしその先があれば、リプカはそこで決め切ることができたかもしれない。
「それは――」
いま持つ意思、思想、感情の全てを込めて、最後の一言を発しようとした、そのときだった。
「――オイ。お前、なにをやっている」
地獄のように低い声が、背後から響いてきた。
飛び上がり、泡を喰らって振り返ってみれば。
そこには、青筋を表情に浮かせ、二人を見下ろしながら腕を組み仁王立ちしている――クインの姿があった。
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