ミスティア・シィライトミア・1-2

「あの、どちら様でしょうか……?」


 リプカがそう問い掛けても。

 少女は無言のまま、リプカの顔を見つめるばかりだった。


「あの……?」


 声をかけても反応はなく、両者しばし無言の間が続いた。


「…………」


 そしてリプカがどうしたらいいのか分からず戸惑いを浮かべ始めたところで、ついに少女は口を開いた。


「――まあ、可愛い人ね」

「え……?」


 小声で呟き、何事かを納得したように頷くと、少女は美しい所作で二人に頭を下げて、澄んだ声色で敬意の込められた儀礼を口にした。


「失礼致しました。わたくしはアリアメル連合シィライトミア領域の遣い、ミスティア・シィライトミアと申します。どうぞお見知り置きを」


(アリアメル連合の遣いの方……!)


 直感の圧が更に胸の内側で膨らむ。

 どうにも正当を射た予感である気がしてきて、リプカは直面する事態に対する覚悟を決め始めていた。


「シィライトミア領域! チョータイムリーな名称じゃんっ」

「そ、そうですね……。え、ええと、私は、リプカ・エルゴールと申します。こちらのお方は――」

「アズナメルトゥ・リィンフォルン・リリーアグニス! よろしくね、ミスティアちゃん」

「よろしくお願い致します。友好を結べれば嬉しい限りです」


 再び礼を向けたミスティアは、続けて何かを言おうとしていたが、迂闊なリプカはそれを遮るように口を挟んでしまった。


「あ、あの――貴方様が、シィライトミア領域からお越し下さった王子様なのでしょうか?」


 直感の内実をそのまま口にすると――。


 まるで空白が生まれたように、時が止まった。


 アズもミスティアもしばし、ポカンと口を開いてリプカを見つめていた。


 ――火で焼かれるような恥を晒したことに気付いたリプカの表情は、見る間に色の無い蒼白へ染まっていった。


「――可愛らしいお人ですが、とても変わったお人ですね」


 ミスティアの、飾りのない率直な感想に、蒼白だった表情を一瞬で深紅に変えて、リプカは思わず飛び込むべき穴を探すように俯いてしまった。


 ……大体、己の直感というものは当たった試しのない、鈍いにも程があるものだということくらい、これまでの人生でよくよく分かっていたことのはずなのに。頬の熱にうなされながら、内心で悶え、激しく内省した……。


「ダハハ、リプカちゃん、それはいくらなんでもカモ! ミスティアちゃんはお嫁にしたいくらい可愛いケドね」


 場の空気を弛緩させる、アズの明るい笑い声が響いた。慮りが含まれていたかどうかは不明だが、それに少しだけ救われた気分になる。


 ミスティアも、ふむと宙に視線をやると、アズに釣られて笑顔を浮かべた。


「まあ、女性として褒められたと思えば悪い気はしません。リプカ様、ありがとうございます」

「い、いえ」

「私はシィライトミア領域の代表王子であるお兄様の付き添いとして付いてきた、お兄様の妹です。ご安心ください、お兄様は私よりも格段、素敵ですから」

「そ、それはそれは……! ――あ、あの、失礼致しました……」

「いえ、嬉しかったです」


 ニコリと笑うミスティアは、どうやら自分よりも数段社交術に長けているらしいと思わせるに十分な、そつのない品格を備えていた。


(それに比べ私ときたら……)


 また内省を思いながらも、リプカは先程ミスティアが口にしたことの一つに気を引かれていた。


 シィライトミア領域の代表王子である、お兄様の付き添い。

 ――どうやら今度こそ、男性の王子が現れるらしい。


「お兄様も、もう間もなくこちらへ到着する頃でございます」

「そ、それはそれは……。と、とても楽しみに思っております」

「ミスティアちゃんは先着してたの?」

「はい。付き人としてどうかという話ですが、先にどうしても、件の令嬢様、リプカ様のことをこの目で見たく思いまして。優しそうなうえ、可愛らしいお方で安心しましたわ」

「そ、そんな……」

「少し変わったお人ではありましたが」

「う、うぐっ……」


 ミスティアの冗談に、アズはまた朗らかな笑声しょうせいを上げた。


「シィライトミア領域の王子様かぁ。どんな人だろ? ――イケメン?」

「はい。それはもうイケメンでございますよ」

「ふぃーっ! リプカちゃんどうする? 超イケメンだって!」

「わ、私は、なんとも……。私を見てがっかりなさらなければよいのですが……」


 間違いなくそうなるだろうという、確信の諦観を込めそのようなことを漏らしたのだが――。


 その言葉にミスティアは少しだけ態度を固くして、目を瞑ると、純真の窺える熱を込めた言葉を口にした。


「お兄様は、一見した人の外見で価値を決めつけるようなお人ではございません。貴方様の手の甲に触れるお兄様の口付けは、断じて嘘偽りない敬意と誠実を示すものに違いありませんわ。それがお兄様の人柄なのです」

「――うわぁお! いい人そうじゃん! ね、ね、リプカちゃん、シィライトミア領域の王子様との顔合わせ、楽しみだね!」

「え、ええ……楽しみです」


 リプカはこくこくと頷きながら、どんな感情を浮かべてよいのか分からず、俯いてしまった。


 ――なぜか今、クララの顔が脳裏に浮かんだ。


 男の王子、クララ、緊張、少しだけ高まる鼓動――様々が混迷し、頭が一杯になった。


「……アレ? でも、アリアメル連合の王子って――」


 だから、口に手を当て何かを呟こうとして――意図的に言葉を切り、何もなかったような表情を作ったアズの、妙な態度にも。

 リプカはひたすら感情の整理に掛かり切りになるばかりで、まるで気付くことなく、を逃してしまった。


「さて、ではそろそろ参りましょうか。フランシス・エルゴール様が予定した、縁談を望む王子との顔合わせも、おそらく私たちで最後です。お兄様はトリに相応しい素敵なお方ですよ。リプカ様、よろしければお手を」

「あ――は、はい……」


(これ、フランシスが仕組んだものだったの……)


 ミスティアの手を取りながら、リプカは今更にそれを知り、何とも言えない感慨を抱いた。


(縁談を申し入れてきた王子はどうやら、六人なのね)

(…………)

(…………あれ?)


 リプカはそこで何かを思い出しそうになったが。

 先を急かすミスティアに手を引かれ、その閃きは消えてしまった。


「お早くお早く」

「ま、お待ちになって……っ」

「シィライトミア領域の王子様、私も一目見たいなー。あとで挨拶に行こう!」

「わ、私、大丈夫かしら……」

「リプカ様、あまり自身を卑下なさると私まで悲しくなります。リプカ様が私を王子だと勘違いしてくれたこと、私、結構嬉しかったのですよ?」

「う……は、はい……」

「――いいなぁ、ミスティアちゃん可愛いなぁ。私もこんな妹が欲しかったなぁ……」

「生憎ですが、私にはお兄様が唯一の一人です。――ああいえ、結果次第ではリプカ様が姉になるのでしたね」

「いーいーなーっ、リプカちゃん!」

「あと、……フランシス様も、姉に……」

「…………」

「…………」

「…………」

「みょ、妙な沈黙生まれたしっ! い、いいじゃん、賑やかそうでっ!」

「フランシスに……妹……。ある日からいきなり、フランシスが姉に……」

「――正直、想像を絶しそうですね」

「ちょぉ、フランシス様の耳に入ったらヤバイって! ほらリプカちゃんも、そんな何とも言い難い表情かお浮かべないでっ!」

「フランシスが、人の子の姉に……。上手く想像できないわ……」


 道中姦しく話を続けながら。

 三人、来た道を戻り、大広間のほうへ歩いていった。


 

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