第四の王子・1-2

「………………」


 今すぐここから逃げ出すべきか。

 真面目な話、それが懸命な判断だろう。どう考えてもまともな相手ではない。


 しかしリプカは恐る恐るの歩みで、ビビの傍に寄ることを選んだ。鏡のように輝くダリア色の瞳には、悪意も狂気も宿っていないように感じ取れたからだ。


「失礼があったなら謝る。しかし更に失礼を重ねることになるが、貴方に一つの問いを向けることを許して頂きたい」


 若干距離を開けて腰掛けたリプカに、ビビは間を取らず語りかけた。


 リプカは未だ、品性を失わない程度に警戒心を剥き出しにしながら、それに応じた。


「問い、ですか?」

「そうです。あなたは国外の事情にはあまり精通していないのでは?」


 今更思い出したような中途半端な敬語を織り交ぜながらの、それこそ失礼に当たるような歯に衣を着せぬ問い掛けに、リプカはうっと呻いた。

 確かにそれは、その通りの事であったから。


「は、恥ずかしながら……」

「我が技巧の国アルファミーナ連合では」


 リプカの赤面など意に介さず――それは意図して無視しているような悪意ではなく、ただマイペースな純粋で――ビビは話を続けた。


「礼儀作法というものがほとんど存在しません」

「えぇっ!?」


 そんな馬鹿な。

 リプカは今日何度目かの、その叫びを内心で漏らした。


 リプカの瞳をじっと見つめながら、ビビは語った。


「アルファミーナ連合が、どのような特性を持っているかはご存じで?」

「え、ええと、……様々な技術に秀でている国だと。卓越した技術を持つ職人が作り上げる調度品や様々だけではなく、科学技術においても先を行くお国だとか……」

「その通り。我が国の特性は、専門知識を必要とする様々な『技術』に秀でていること。例えば時計、自動車、電子機器などの、精密機械産業は我が国の要です。先の戦争で活躍したドローンなども、我が国にしかない技術の発明。そしてそれだけに留まらず、科学研究の分野に関しても、アルファミーナ連合の専売特許とするところです。……これについては、規制が敷かれているので詳しくは話せない。まあつまり、技術畑の国であるということです」

「はあ……」


 よく分からなかった説明に、曖昧に頷きながら、いつだかフランシスから聞いたアルファミーナ連合の超常技術、お伽話のようなそのいくつかを、リプカは思い返していた。


「本当に、貴族も含め皆が皆、何かを創ることばかりしか頭にない連中で。だから礼義作法というものはいまいち浸透しない概念でして」

「はぁ……」


 なにがなのか分からないまま、また曖昧に頷いた。


「で、でも、失礼ながら……、領域や国同士を繋ぐための社交世界に顔を出すお人には、備わっているはずの教養では……? ――ええと、決して、婿候補に選ばれるはずのお人には備わっているはずの概念であるとか、そういう話ではなくて。その、ただ単純な疑問として――」

「いいえ、私の国に、国同士の社交界に顔を出すような人間はいません」

「嘘ぉ!?」


 リプカは思わず、はしたない声を上げてしまった。


「え……え? で、ではどうやって他国と貿易を……?」

「品物や技術を売り捌く、で終わりです。領域同士が顔を見せる集まりはありますが、そこでも礼儀作法というものはほとんど存在しません」

「そ、そんな馬鹿な……!」


 リプカの青褪めた顔を見て――ビビは、ほんの少し、おかしそうに口角を持ち上げた。


「本当にそれだけで存続している国でして。今回、婿候補というお題目がありながら私が選ばれた理由もそこにある――ありまして」

「ど、どういった理由で、貴方様が……?」

「我が国の男をフランシス・エルゴール様の姉君の元へ送ったとあっては、我が国が攻め滅ぼされる原因になりかねないという意見が、多数出たからです」

「そ、そんなに酷く言っては、失礼では……?」

「分かりませんか? な私が選ばれ、送られてきたのですよ。私が映り込んだ貴方の瞳の困惑から察するに、貴方から見て、私は相当の変人なのだろう? ……しかし、これで一番マシだから、私が選ばれたんです。どう足掻いてもアルファミーナ連合の男が婿に選ばれることなどないのだから、それならまだしも、その姉君と縁談を通し、程々の友好を結べそうな私をと」

「…………」


 確かに。

 これ以上の変人が送られてきていれば、リプカは一も二もなく逃げ出すか、怒りに任せ昏倒させていたかもしれない。


 しかし、理解できたこともあった。


 意思疎通が取れなかったのは、国を跨ぐ環境の違いのせい。彼女は特殊なように感じるが、狂人であるわけではなかった。

 それが理解できただけでも、恐怖が安堵に変わった思いだった。


 それにリプカは、彼女が口にする、敬語の成り損ないのような奇妙な言葉の端から、彼女がこちらに歩み寄ろうとしている意思を感じ取っていた。


 …………正直、それを理解して今の一連を振り返ってみても、いまいち現実味が感じられない印象は拭い切れないけれど。

 それはこれから、お話を重ねていけばよいことなのだろう。


「……喋り慣れた言葉で話して頂いても、私は気にしませんわ、ビビ様」


 ぼそぼそと言ってから、リプカの言葉に瞳を見開くビビに、リプカはおずおずと手を差し出した。


「リプカ・エルゴールです。どうかお見知り置きを」


 言って、上目遣いでビビを見つめてみれば――ビビもじっと、無言でリプカを見つめていた。


 そして戸惑うリプカが身動ぎをし出した頃になって、――やっと、出会ってからずっと変わらなかったその表情を変化させた。


 柔らかな表情だった。まるで日に照らされた鮮やかな花のような明るい顔を浮かべ、差し出された手を、しっかりと取った。


「――部屋を物色していたのには理由がある。私たちは、神やら政治やらが理由で科学の前進を止める、心性愚かな連中とは絶対に仲良くなれない。一丸となって唾棄すべし――アルファミーナ連合唯一の掟だ。お前がそうでないことを知りたかった。――見た通りの、それこそお前から見れば愚か極まりない私ではあるが、どうか仲良くしてやってくれないか。私の世間知らずのせいで、今すぐには無理かもしれないが、私はお前と、友達になりたいと思っている」


 リプカは、思わずビクリと飛び上がってしまった。


 友達。


 ビビは確かに、そう言った。


 見るところ、ビビの澄んだ瞳には、僅かな含みも見受けられず。

 ――だから、リプカは緊張で上ずった声で、それに答えたのだった。


「よ、よろしく……」

「こちらこそよろしく頼む」


 無理だと諦めていた、小さな奇跡の一つ。

 ――見れば、ビビの手は令嬢にしては荒れた、細かな傷の目立つ、職人のものだった。


 リプカはその滑らかとは対極の手に、どうしてか温度確かな人間味というものをどうしようもなく感じ取り、不思議な安心感を覚えながら、その手を握っていた。



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