第九話:第四の王子・1-1

 どこを目指すでもない、無意識に任せたふらふらとした足取りが向いた先は、自室へ向かう廊下であった。


 一端腰を落ち着け休み、この短い時間で怒涛のように畳みかけた奇妙な難事を整理したい。リプカは無意識が選んだ逃走を幸いと判じて、その機に息を落ちつけようと思い見たのだが――しかし、そういうわけにもいかなくなった。


 自室には、見知らぬ先客がいた。

 怒涛のように畳みかける難事は、どうやらまだ続くらしい。


 この屋敷で唯一リプカの色が見て取れる自室には、無遠慮に部屋中の物を物色する女性があった。

 女性はリプカが硬直している間も手を止めず、今はリプカの下着を漁り、それを手に取りしげしげと観察していた。


「なっ!?」


 すわ、強盗であるか?


 リプカは一瞬そう考えたが、相手は耽美な薄黄色のドレスに身を包んだ、どこをどう見繕っても強盗を働く身分とは見受けられぬ女性であった。


「――い、いったい誰ですッ!?」


 リプカの上げた大声に顔を上げ、扉の前に立つ者の存在を認めると、女性は下着を元の場所に戻し、悪気の一つも感じぬ澄まし顔でリプカに近寄った。そして礼だかなんだか分からぬちょいと頭を下げる所作を挟むと、堂々と名乗りを上げた。


「技巧の国アルファミーナ連合、ロライキス領域から遣わされた王子、ビビ・アルメアルゥだ。貴方あなたの人となりを調べるため、部屋を見させてもらっていた。よろしく頼む」


 言って、やはり無表情じみた澄まし顔で、リプカに手を差し出た。


 再び硬直したリプカを見て、女性は小首を傾げた。情報過多で働きを止めたリプカの思考が解凍するまで、しばらくの時間を要した……。


 ――無音の時間が続き。


(――――なっ)


 再び動き出した思考で真っ先に思ったのは。


(ま、また――また女性!?)


 やはり、それであった。


「――失礼。リプカ・エルゴール殿で間違いないか?」


 ビビは濁りのない瞳で、リプカの目を真っ直ぐに見つめながらそう問うた。

 どうしてそんな所作ができるのか。リプカは信じられない思いを抱いて、僅か身を引いた。


「あ、あの、貴方、貴方は今、私の部屋を物色していましたよね……? 間違いでは、ないですよね……?」

「ああ、間違いない。言った通り、貴方の人となりを調べるため、部屋を見させてもらっていた。失礼でしたか?」


 リプカは口をあんぐりと開けた。


 恐る恐る問うた質問に対する、混じり気のない真っ直ぐな返答。

 怒りを覚えるより先に、まず恐怖を感じた。ティアドラのときとは違う、会話の行き来は成立しているはずなのに、意識が微塵も共有できない意思疎通の断絶。

 正直、全身総毛立つほどの恐怖を覚えた。


 リプカは一歩下がり、ビビの人となりを見極めようと彼女を見つめた。


 可愛らしい、という言葉が似合う女性だった。少なくとも外見の上では……。


 首筋を妖艶に見せる、後ろで綺麗に纏められた髪。瞳の輪郭の鮮明、そして、あくまで女性的なプロポーションを崩さない範囲で引き締まったスタイル。

 その立ち姿からはむしろ、リプカと対極の、自然と世に馴染んだ印象が見て取れた。

 その人の自然体で、臆するところなく、人一人として確かにそこに立つような――リプカにとって非常に眩しく映る類いの、そんな明るささえ備えて……。

 気になる点といえば、綺麗なドレスに身を包んでいるのに、額にずり上げた無骨なゴーグルがアンバランスだった。装飾にしては妙な着飾りである。


「……ふむ」


 差し出した手を引っ込め、ビビは顎に手をやり、表情一つ変えぬまま思慮に及んだ。


「失礼があったようだ」


(――――そりゃあそうでしょうよ!?)


 ビビは、更に身を引くリプカの手を無理矢理取ると、強引な握手を交わした。

 そしてスタスタと部屋の奥へ歩を進めると、許可も取らずリプカのベッドに腰を降ろし、そしてあろうことか隣をパフパフ叩き、「こちらへ」とリプカを誘ってきた。


 

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