8-3 出生の秘密

 セラの出生の秘密、セラはそれを精霊王の傍らで聞いた。

 十七年前、一人の女性が突然小舟でこの地に迷い込んだ。名はレティスと言った。儚い美しさを持った女性だったという。


 ヴーアは最初レティスを追い返そうとした。だが、レティスの腕には虐待されたような跡があり、とても疲弊している様子でこのままでは命が危ないと判断した老人は彼女を暫く世話することにした。

 元気になったらこの地を離れるよう言い聞かせればいい、そう判断してのことだった。


 レティスを精霊王に会わせたのはレティスの美しさに心酔した混血児の青年だった。この世界の秘密を見せよう、そう言ってレティスを誘ったのだという。

 精霊王を初めて見たレティスがどんな気持ちを抱いたかは分からない。だが、それは殆ど恋慕の情のようなものだったのだろう。


 それからレティスは精霊王の元へと一人で通うようになった。


 御元に一日中座り、眺めては言葉を掛けていたという。老人はいつだか、王はおしゃべりにならない、と声を掛けた。するとレティスは笑んで「私と話すのを楽しみにしていらっしゃるわ」と言った。


 どういうやりとりがあったかは老人たちも分からなかったという。何しろ混血児である老人にさえ途絶えた王の心は読めなかった。

 だが、レティスは子を身ごもった。その後男の子が生まれ、その子がセラだという。


 レティスは子を精霊王の子だと主張した。

 だが、ヴーアは認めず、精霊王を恥辱する行為としてこれを糾弾した。

 子を殺せと主張する者も多く、それを恐怖に感じたレティスは子を連れてこの地を去った。それが老人の知る真実だ。


「あなた様の文様を見ました時に、レティスの言っていたことが本当なのだと我々は思い知りました。敬愛すべきお子と女性をこの地から追い出した。私はどのように罪を償うべきか」


 セラは手の甲の文様に触れた。


「その文様は精霊王を象った聖なるものです。この地では古くから知られている物。レティスが子を成したと知った時誰もが嘘であると疑った。ですがあなた様の文様、大地を揺るがす程のお力を目にした今、これだけは確実に言える」


 セラは精霊王を見上げた。


「あなたは王が最後に残した光です。この世界を救うためにこの地に王が招かれたのです」




 氷の天井をじいっと見ながらセラは考えていた。


「何かさあ、セラここにずっと居ろってことじゃない?」


 薄い布に包まったトニヤが呟く。とても、いい部屋を用意された。客室という訳ではないだろうがそれなりに細かな配慮は感じられる。

 と言っても、周囲が氷なので温かい訳じゃない。


 小さな火を焚いてくれているが手足は冷えたままで寝心地も悪い。ヴーアの人々は毎日こういう場所で暮らしているのだ。


「明日には帰るよ」


 トニヤが「皆泣くよ」と笑う。


「精霊王の血が途絶えるとどうなるんだろうね」

「大地が枯れて、精霊が消えて、川は消える。湖が枯れて、空気が淀み、あとは精霊学者は仕事を無くす」


 トニヤがけらけらと喉を鳴らす。


「スコットリドリー先生どうしてるかな」

「さあね」


 スコットリドリーはセラの本を書くと言っていた。如何程まで進んだだろう。


「ヴーアの人々はさ、この冷たい地で精霊王を守って来たんだよ。それってすごいことだと思わない?」

「命の森が続いてきたことと一緒だよ」

「そうかな」


「人は神聖なるものを見つけては崇拝する。崇拝するうちにそれ以外の選択肢が無いような気がしてそれ以外の信仰を受け入れられなくなる」

「難しいね、どうしてそんなこと知ってるの」


「宗教学の本で読んだ」

「ボクもね、セラが森を出てから沢山読んだんだ。でも、殆ど頭に残ってないんだ」


「読書は時間で無く知識を埋める物、父さんが言っていたね」


 トニヤは思わず苦笑いになる。


「ヴーアの気持ちも少し分かるんだ。大事な物が無くなろうとしている時の焦る気持ち。でもそれをセラに要求するのは少し間違っている気がするんだ」


 セラはそれに答えなかった。


「精霊王の跡をついでこの地に残れって言われたらどうする?」


 トニヤが泣きそうな目でセラの目を見つめている。


「帰るって言っただろ」

「でも、不安なんだ。セラが心のどこかでここに残りたいって思ってるんじゃないかって」


「思ってない」

「本当に?」


 セラはふっと笑うとトニヤの方へと向き直り、すっと手を伸ばして肩をぽんぽんと打ち始めた。


「さあ、眠りなさい。坊や眠りなさい」

「坊やじゃないよ」


 セラの子守唄にトニヤが涙を拭く。


「あなたは私の宝です。その笑顔、その涙。見るたびに心が温まるのです。あなたを愛した日々は私の宝です。あなたを愛した日々は宝です……」


 トニヤが肩を打っていたセラの掌をぎゅっと握る。


「セラ、明日一緒に帰るよ」

 セラは頷く。



「絶対だよ」

 セラはまた頷く。


「ちゃんと返事して!」


「分かったよ」


 セラは思わず笑みをこぼす。


「旅を終えたら、母さんとトニヤと三人でステラの町で暮らす。オレは占いして、トニヤは料理人で母さんはパンを焼く」

「あっ」


「え、違う?」


「そのことだけど。やっぱりボクは本屋さんでもいいかな、と思って」

「また、夢が増えたな」


「真剣だよ、本当に真剣に考えてるんだ」

「いつもね」


 トニヤは、はあっとため息を吐く。


「どうして夢ってこんなに増えるんだろうね。体は一つしかないのに」

「じゃあ、オレはトニヤの夢を一つくらい分けてもらおうかな」

「いいよ、どれにする」


「幸せな結婚して子供を育てたい」


「好きな人いるの!」

「いないよ」


 ちょっとがっかりした様子でトニヤは目を伏せる。


「夢ってどうして増えていくんだろうね」

「それはトニヤじゃないから分からない」


「夢って少ない方が選びやすいのかな」

「そんなことないよ。夢はいっぱいある方がいい」

 トニヤの手を握り返し、優しく囁いた。


 その晩二人は子供の頃のように手を繋いで眠った。



       ◇



 暗闇に男がいた。白い肌に新緑を思わせる腰までの長い緑の髪。ああ、父か。そう直感した。周りに人はおらず孤独。ああ、これが彼の世界なのだなと理解した。


 精霊王はすっと手を伸ばすとセラに握手を求めた。セラは戸惑って握れなかった。するとセラの体を突き抜けて一人の女性が後ろから歩いてきた。

 セラと同じ黄金色の髪の女性、母だ。

 彼が呼んでいたのは自分で無く母だった。


 二人は手を握ると求めるように抱きしめ合った。細い母の腹に精霊王がそっと触れ、祈りを込めると腹が明滅した。命が宿ったのだ。

 母の腹はゆっくりと膨れ、幸せそうに微笑む彼女に精霊王はそっと寄り添った。

 愛に見守られ誕生した命。二人は子にセラという名前を授け、玉のように可愛がった。


 セラは逞しく立派に育ち、ヴーアを率いた。ヴーアに持ち込まれる争いを退け、精霊王と母を守りながら群の長として成長していく。


 やがて大人になると精霊王から王位を引き継ぎ新たなる精霊王として君臨する。誰もに好かれる賢王となり、セラの治める大地には花が溢れた。


 極地は花の大地へと化し、精霊が再び集う場所となった。そしてその地で精霊王と母は命枯れるまで幸せに暮らした……


「これが私の描いた夢だ」


 精霊王の声で暗闇へと引き戻される。花は消え何も無い空間に戻った。精霊王が一人佇んでいた。


「永遠に続くはずの命を私は終えようとしている。私を枯らしたのは絶望という名の死病だ。他者と触れ合えぬこと、どこへも行けぬこと、愛されないこと、永遠という名の寂しさが私の魂を枯らした。精霊は死なない。でも、他者から害された時、生きることを望まなかった時、その生は終わりを迎える。精霊王である私もその例外ではない。

 枯れゆく孤独な私の心を救ってくれたのはレティスだ。彼女はこんな老木を愛してくれた。愛されることで私は救われた。だが、進行してしまった病はどうしようもなかった。私の命はもうじき終わる。愛を知り、愛ある世界を築くことの重要性を知った。

 だが私がいなくなればそれらは全て消えてしまう。世界への使命を放棄する悲しみに暮れる私に彼女は懸命の愛情を注いでくれた。彼女が子を望んだのは、力を継承する者を育てたかったからだ。力になりたい、とそう強く望んでくれた」


「力を継承するつもりはない」


「お前は世界について何も知らない。だから教えよう」


――会いにおいで。


 その声が耳に木霊して、セラはゆっくり夢から覚めた。

 不思議な気分だった。毎日見ていた夢がここで終ろうとしている。


 目の前では、セラの指を大事そうに握り締め、すやすやと寝息を立ててトニヤが眠っていた。セラは起こさぬよう慎重に指を抜くとトニヤの毛布をそっと掛け直して、氷の部屋を出た。

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