7-3 虹の下で

 旅を終えたセラはウェストフラムに身を置くことを決めた。

 そのことを報告しに行くとイーリスは娘の家庭教師にと、と言ってくれた。

 王女に教えられるほどの立派な知識ではないと言ったが、イーリスがぜひ旅の話を聞かせてやって欲しいと言うので、言葉に甘え家庭教師として王宮に住み込んだ。


 王女は自分と同じ精霊の混血児。でも、扱いにすごく困った。

 彼女の心が見えないのだ。

 精霊が時々やってきて触れ合っている時などは笑顔を浮かべるのだが、普段は極物静か。接するうちにそうか、幼い自分は森の人々にこんな風に見えていたのだとセラは気付いた。


 そして家庭教師にと雇われたけれど、セラは何も教えなかった。人はいつだって一人で学ぶ物。必要ないことと必要なことを見極めながら、大人になって行く。


 だからセラは城下町に行って国費で本を買った。王女が理解できそうなものから少し難しい物まで。教育を押し付ける意図は無い。自分が学んできたように静かに大人になってほしいのだ。

 司書である父はこんな気分で森の子供たちの情緒を育んでいたのかもしれないとふと思った。


 優しい日々は滑り落ちる絹のように柔らかに過ぎていく。だが、時々、城から町を眺めては自身が罪から逃れようとしているような罪悪感に襲われた。

 精霊の血を捨てようとしている。普通でないのに普通に生きようとしている。運命に抗おうとしている。


 この頃からセラに異変が起こるようになった。


 夜毎、夢で呼ばれるのだ。呼んでいるのは孤独を抱えた男の声。心に波紋を作るように、そっと潜在意識に入り込むように。深く深く。


 彼の主張は一つ。



――会いに来てほしい。北の地で待っている。



 起きるといつも耳にその言葉が残っていて、時間の経過とともに解けるように消えていく。

 セラの中にある戸惑いから生じるただの夢なのかもしれないし、もしかしたら何者かが彼の地で生きていてセラの深層心理へとメッセージを送っているのかもしれない。

 そしてそれはもしかすると未だ見ぬ父なのかもしれない。


 だからセラは迷っていた。


 美しい国に身をうずめながらも、心が北へと駆けてゆく。

 穏やかな物に囲まれているのにその恵みを心から享受出来ない。それはこの地が自分のあるべき場所では無いからかもしれないとセラは思う。


 森でずっと以前に読んだ本にこうあった。



――生き物には在るべき場所があって、どんなに気に入ろうともどんなに気に入らなくとも、自分がそこにピタリと当てはまればそこがその者にとっての在るべき場所となる。



 そして、この国はどんなに気に入ろうとも心が休まろうともセラの在るべき場所ではないのかもしれない。セラの人生にはまだ課題が残っている。自身の知るべきこと、受け止めなければいけない真実。


 正体を知らずとも生きていける。でも、それでは今後の人生で一生虚無が続く。満たされないまま生きてゆくことになる。


 何より真実を追求しないのは自分らしさでない。自身は非常に探究心が強く、元々知りたがりなのだから。


 世の中には知るべきことと知らざるべきことが存在する。自身のルーツを知るというのは知るべきこと。

 自身を知り、理解する。

 自分の一番の理解者は自分でなくてはならない。そして知ることは生きるということに繋がる。


 たとえ呼吸をしていても、食事をしていても、笑っていても、泣いていても、そこに魂が宿らなくては生きているということにはならないのだ。 


 王女の部屋から見える中庭は生を生きて幸せを見つけ、在るべき場所を掴んだ者の場所。どんなに焦がれても自身を知らぬ者にそれに交わる資格はない。


「セラは毎晩誰と話しているの」


 王女が不思議そうにセラを見上げた。考えに没頭していたことに気付く。


「誰かと話してた?」

「誰かが会いたいって呼びかけているじゃない」

「そうだね」


 セラは何と説明していいか分からず口を噤んだ。すると王女は真っ直ぐな目でセラを見つめた。


「私は大切な人なら会いに行く」


 その真っ直ぐな偽りのない言葉にセラの心は決まる。今は止まるべき時ではない。


 そう決意するとセラはイーリスに願い出た。




「そう仰ると思っていました」


 謁見するとイーリスが優しく頷いた。


「ここでの暮らしはとても心休まるものでした。ですが、自身を知ることを諦めることはやはり出来ません」


「当然です。生まれた意味を知りたくない者などいませんから」


 そう言って傍仕えしていた召使いに声を掛けた。召使いが書状をセラへと渡す。


「心に正直にお生きなさい」


 セラは頷く。


「この国の北にルースの湖という大きな湖があります。ルースの湖に浮かぶ島が極地です。とても寒いところなので身支度をするといいでしょう。城の者に用意させましょう。ヴーアの人々は基本的に他者を寄せ付けませんが、精霊の血を含む者であれば違うかもしれません。あわよくばあなたの真実を教えてくれる」


「湖はどのようにして渡れば良いですか」

「湖岸に一艘小舟を置いています。それをお貸ししましょう」


 深く礼をして立ち去ろうとするセラに王女が駆け寄る。


「お願いされても引き受けてはいけないよ」


 セラは意味が分からず、でも頷いた。


「ありがとう、気をつけるよ」

「セラ、時に知ることは辛くもありますが、それ以上に感動に満ちたものであると私は知っています。あなたの人生に虹の加護がありますように」


 セラは美しき精霊と王女に深く一礼をした。


 

       ◇



 王宮を出ると空を彩る虹を眺めた。


 この虹が見えている限りこの国の安泰は続く。それは美しく賢い精霊イーリスの力。国を支え、王を支える。ここが彼女にとっての居場所。在るべきところ。


 優美な虹を眺めていると心が満たされる。だからこの国の人々は皆幸せそうな顔をしているのだ。彼女の言った虹の加護という物の存在を本当に信じたくなる。こんな自分でも助けてくれるのだろうか。


 心で呟いて視線を下ろした時、それが突如セラの胸に真っ直ぐ飛び込んできた。


「セラ!」


 夕日のような橙の癖っ毛。いつも聞いていたあどけない声。首筋を抱きしめる手から命の熱が伝わる。懐かしさで心がいっぱいになった。


「トニヤ!」


 セラは信じられず驚いて顔をまじまじと見た。森にいるはずの弟がここにいる。背が少し伸びて日に焼けて少し大人びた気がする。


「会いに来たんだ」


 トニヤがセラの首に抱きつき、放すまいと力を込める。


「セラに会いに来たんだ」


 なお一層言葉を強くする。その言葉がセラの心へ深く刻まれていく。


「一緒に帰ろう」


 トニヤは涙を流しながら言った。セラはそれを受け止める。二人は虹の元でひしと抱き合った。

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