7章 虹の国

7-1 虹の女神

 黄土色の断崖絶壁を二日間歩いている。日和はよく穏やかだ。


 天候が良いということはその地が安定しているということだ。

 棒になるほど歩いたけれど心は辛くなかった。セラは石の上に腰かけると革の水袋を取り出した。

 途中、せせらぎがあったのでそこで汲んだものだ。ステラの町で汲んだ水は既になかった。


 暫し休憩して立ち上がるとまた歩を進める。目前の高みを越えれば残りは下るだけ。

 ようやく頂上に立ち、窪んだ谷底を見下ろす。谷底に広がるのは白亜の城を中心に据えた赤レンガ屋根の円形の町並み。

 その空を目が覚めるほどの優美な虹がかけていた。


 ウェストフラム、半球で一番北にある小国だ。




 町に入ると音楽が流れていた。


 道淵で薄い衣を纏った女性がたおやかにハープを奏でている。

 あの女性は精霊か人間か。それが分からぬほど、精霊が自然に町に溶け込んでいた。決して活気がある訳ではないが、寂しくない。

 『調和』という言葉で表すのが適切だろう。


 精霊と人、二種族が手を取り暮らし合うことの行きつく先がこのような国であればいいとセラは思う。

 映る町並み、行き交う者の醸し出す雰囲気がとても優しく穏やかに心に寄り添う。


 道縁で露店を構え商売をしている人もたくさんいるが、皆気ぜわしくなく流れゆく時間を慈しんでいた。


 これまで訪れたどんな町よりも好きだ。セラは心からそう感じていた。


 露店の花屋でふと桃色の花が目に留まった。


「これをください」

「シュフランかい、いい趣味だね。一つでいいのかい」

「ええ」

「あんたも謁見かい。人気があるね、国王様は。おかげで食うのには困らないけれど」

「花が必要だと聞きましたから」


 王に面会する時は、隣に座る王妃に花を一輪贈らなくてはならない。国の入り口で女性同士が話しているのを聞いたのだ。


「世の中には国民に高価な献上品を求める国王もいるよ。でもこの国の王が望むのは愛する女性の為の一輪の花さ」


 花屋の女性店主はシュフランの花を紙で包んだ。


「王は王妃を心から愛されているんだよ」

「良い国です」

「ありがとさん」


 女性店主は花を渡すと代金を受け取った。

 歩きながらセラは思い出した。


――愛とは赦すこと。


 船で読んだ恋愛小説に書いてあった。でも、それは正直今のセラには分からない。ただ、人間と精霊が赦し合った国がここにある。垣根を越えて信じあった者たちの作る国。


 栄えるばかりが国ではないのだと思う。満たされるということの重要性。町並みを眺めながらそんなことをふと思った。


 王宮は国の中心に在った。国のどこからでもその壮麗な姿は見えるだろう。山の上からでも見えていたが、近づいてみるといかに美しい城であるかが分かる。

 陶器のように白い壁と青い尖頭。城の先端にはためくのは深紅の国旗。


 国旗を眺めた先に巨大な虹が輝いている。虹は普通雨上がりの空にかかると知っている。だが、山を越えてきた二日間、この地域に雨は降っていなかった。


 王宮を尋ねると長い人の列があった。簡素な服を着た庶民が花を手に、心躍る様子で並んでいる。王と会うのに皆普段着。どこかの国では王と会うためにドレスを新調する国さえある。そんなことを考慮すればいかにこの国の王が親しまれているかが分かる。


 並んでいると面会を終えた赤子を抱えた男女が列の横を通り過ぎて行った。生まれたばかりの子を王に見せに来たに違いない。有難い名など貰ったのだろうか。少しするとまた民が通り過ぎて言った。要件は分からなかったが舞い踊るように一人で破顔していた。



 一時間待ちようやく王宮に通された。城内は溢れんばかりの花で埋め尽くされ、香水を振りまいたように芳しい香りが漂っている。召使いがせっせと両手山盛りの花を運び、すれ違うたびに鮮やかな花弁が視線をくぎ付けにする。


 壺や鎧のような高価な品も全く無いわけではないのだが、それ以上に壁際に盛られた花が賑わっている。

 雰囲気を配慮して敷かれた落ち着いた赤の絨毯はとても品が良く、王室の趣味のよさを感じた。


 玉座の間へ入ると遠くに王と王妃が見えた。衛兵は扉の所に二人いたが、特に厳重に警戒しているという様子もなく、後は傍仕えが王と王妃の側に一人ずついるだけ。それがこの国の治安を如実に表していると思う。


 セラは二人の前へ着くと跪いた。すると王が慌てて立ち上がった。


「そのようなことをする必要性はないよ。立ち上がって」


 人好きのする柔らかい声に顔を上げる。王は髭を蓄えた恰幅のいい、赤毛の男性であった。


 セラが立ち上がり礼をして視線が合ったのを感じると王はホッとした様子で笑った。


「国民に平伏は求めていないんだ。王妃が嫌うから」


 そう言うと隣に座る王妃に恵愛を注いだ。


 白く綺麗な乳白色の肌。豪華な絹を素朴な物と感じさせるほどの美貌。波打つ淡黄の髪を大きく纏め上げて大きなパールが一つ。豪華な椅子の上に斜め座りして王妃は花のように微笑んでいた。


「要件を聞こうか」


 王が優しく声を滑らせる。隣の王妃も好意的に微笑んでいる。


「王妃様に御相談……したいことがあって参りました」


 あまりの美しさに呆気に取られていたが、言葉をようやく取り戻し、セラは手の中の花を献上した。


「まあ、シュフランの花。もう咲いているのね」


 そう言うと花の香りを嗅いで傍仕えへ「これも」と渡した。


「王妃に用とは。まさか求婚ではあるまいな」


 王が玉座に肘をついて複雑な表情を見せる。前置きも無しに問うては失礼ではないか、と考えながらも上手い表現を見つけられず要件を伝えた。


「王妃様は精霊だと伺いました」


 二人が少し驚いたような表情を見せる。やはりこんな無礼をいきなり切り出す者はいないのだろう。だが、それでもセラにとって問わねばならないことだった。


「いかにも。私は虹の精霊イーリスです」


 雄大な笑みで頷く。美しい虹はこの美しき御仁の加護による物に違いない。セラは覚悟を決め服に手を掛ける。


「イーリス様、国王様。御無礼をお許しください」


 そう言って上着をすっと脱いだ。二人は戸惑った様子を見せたが、セラの半身にのたうつ文様を見てさらに驚いた。


「私は罪深きことに精霊を殺めました。それはその時に出来た文様です。遺恨の類だと思いますが私には分かりません。この文様を取り去る知恵をお授け下さいませんでしょうか」


 イーリスは何も言わず整った顔立ちで穏やかに見つめていたが何かを考え込んだ後、傍仕えを呼んでそっと耳打ちをした。傍仕えは聞こえぬ位の声で返事をし、いそいそと奥室へ引いた。そのやりとりの後イーリスは玉座からふわりと立ち上がり、セラの眼前まで歩いてきた。


 セラの手を優しくそっと握ると微笑んだ。


「それは遺恨ではありません」

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