6章 追憶

6-1 備忘録1

『精霊という者は実に奥深い。多種多様な種類がいて、この世の精霊辞典なんて物を作ろうとしたら編纂だけで十年はかかる。そのほとんどは見えないけれど、この世にはそれらを見ることの出来る人間も確かに存在していて、私はそんな彼らから精霊について日々学ぶ。

 精霊学者である私が精霊研究に身を賭した過程について少し語ると、幼少期の祖母との暮らしがあった。

 老いた祖母は精霊の声を聞ける特別な人だった。時々、人のいない所を見つめてはぶつぶつと呟く。家族はそんな祖母の姿を呆けたと勘違いしていたが私には見えていた。目に見えぬ者の湛える小さな心の光。精霊信仰とは見えぬ者を慈しむこと。

 ステラの町に暮らして十五年が過ぎようとしている。私はそこで一人の少年に出会った。彼は……



「ああ、ダメだ! 格好悪い」


 そう叫ぶとスコットリドリーは書きかけの紙をぐしゃぐしゃに丸めた。部屋には丸まった紙屑が山のように転がっている。今朝から書き始めた文章はどうにもこうにも前に進んでいなかった。精霊が見えた偉大な彼との別れから二週間が過ぎていた。


 忘れぬうちに感動を認めようと執筆に今朝から取り組んでいるのだが始まりが上手くいかない。序文ではなく本文が重要なのは認めるが、それでも何かが始まる予感のようなものを演出したいのだ。

 今度の本は人生で一度きりと言えるほどの力の籠ったものにしたかったから。


 時計を見ると出勤の時間が近づいていた。


 文字との格闘を止めて、身支度をする。顔さえ洗っていなかった。髭を反り、子供たちに見せられる顔を作る。戸棚にあるパンを取り出すと少しカビていた。カビを流しで払い落し齧る。手短な朝食を終えると鞄を抱えた。


「スコットリドリー先生、お早うございます」


 上区の高台にある天文台に併設された子供たちの学校。スコットリドリーはこの町に住みだした時からここでずっと精霊学を教えてきた。背丈が自身の腰元にも届かぬ子どもたちは精霊学の授業をそれは楽しみにしている。彼らの中にもステラの精神は流れているのだ。子供たちに軽やかに挨拶をしながら職員室へと向かう。


 窓際の明るい席へと腰を掛け、荷物を降ろす。ここが、彼の居場所。自身の授業までは少し時間がある。紙の束を鞄から取り出すと意気込む。人生に悪戯に浪費すべき時間などない。空いている時間は大いに活用したい。


「リドリー先生、また本を書かれるんですか」


 声を掛けてきたのは算術の教師だ。それを聞いた対面の国語の教師が笑う。


「リドリー先生は私以上に国語を綴られておられる。私など論文を書くのが精いっぱいです」


 一年に一度、自らの学びを捨てず論文を書くこと。それがこの学校に教師として在籍する条件だ。


 この学校の教師は誰も彼も学者である。幼年学校に学者を雇うのは理事長の方針だ。学者と言うのは遊び心があり、必要以上に詳しく教える。それが子供たちの探究心を育てる。


 そうして育った子供は将来町の力になる。話す機会があると理事長はそれはもう自身の理想を交えながら教育方針について切々と語る。


 授業時間が始まり、半数以上の教師が職員室を出て教室へと向かった。邪魔者はいなくなった。やっとこれで執筆に集中できる。


 スコットリドリーは紙の束へと向き合った。 



『目に見える者を大切にすること。長く暮らしたステラの町で私はその文化を感じた。通りに砂糖菓子を飾り、目に見えぬ者を信仰する。すると彼らはそんな人々の気持ちを汲み取って、ささやかな贈り物をする。好奇心という名の贈り物だ。

 知らぬ間に減っていく砂糖菓子に精霊の姿を見る。どんなに食事を摂るのを忘れようとも砂糖菓子だけは忘れない。彼らもまた、人ともにこの町を支える生き物なのだ。そして不思議なことばかりが起こるこの町で私は一人の少年に出会った。

 その子のことはここでは『彼』としよう。これから彼の起こした奇跡を語る前にまず、私は彼の歩んできた旅路について語らなければならない――




 仕事を終え、帰宅しても暫く集中して執筆していたが、腹が減り急に集中力が途切れたのでスコットリドリーは紙の束を重石で抑えると外出した。既に辺りは日が落ちていた。


 ステラの町は夜輝く。まるでこの町を覆う天空の星のように。天文学者では勿論ないが、星の名前なども随分覚えた。これほど晴れていれば、同僚の天文学者などまた天体観測に勤しんでいるに違いない。


 道行く人々に会釈しながら、料理屋を目指す。執筆が随分と捗ったので歩調も弾む。


「おお、噂をしてると来た。リドリー先生、お客さんですよ」


 店主の言葉に首を傾げ、カウンターを見ると明るい橙の短髪の少年が座っていた。口の周りを少し汚して必死で骨付き肉のソテーに被りついていた。今思うと、これもまた奇跡の出会いだったのかもしれない。


「セラの弟!」


 同じく骨付き肉に被りつきながら少年にオウム返しした。この店の骨付き肉は絶品だ。


「兄を追ってドムドーラからここまで来たんだとよ。でも残念だったな、セラは行っちまった」


 弟は少し沈んだ様子で骨付き肉を黙々と食べた。


 店主が付け添えの野菜スープを二人の前に置いた。スープが冷めるのを待つ間に自己紹介をする。精霊学者のスコットリドリーです、と上品に感じよく。こう言った挨拶は最初が肝心だ。最初の印象でその後の扱いなどが随分変わる。

 ちなみにセラは自己紹介の翌日からスコットリドリーをぞんざいに扱った。


 

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