4-3 星空の約束

 騒ぎを聞きつけてディードが甲板に顔を出すとジャンクが馬乗りになってトニヤを殴りつけていた。


「おい、ジャンクどうしたんだ」


 ジャンクは血走る目をディードに向けた後、怒りをぶちまけた。


「こいつが舐めたことぬかしやがるんだ。漁が嫌だとよ」

「漁が嫌なんて言ってない。船が嫌だって言ったんだ」


 腫れた顔でトニヤが叫んだ。


「一緒のことだろが」


 そう言うとジャンクはまたトニヤを殴りつけた。乗組員で協力し何とかジャンクをトニヤから放すと、青あざを作ったトニヤにディードがそっと話しかけた。

「トニヤ、船に乗るのが嫌になったのかい」


「嫌だ。飽きた」

「舐めたこと抜かすんじゃねえよ。オレ等が何年乗ってると思ってるんだ」

「ジャンクは黙って」


 うんざりした様子でジャンクを制するとディードはトニヤにそっと語った。


「船に乗るのが嫌なら次の港で降ろそう」


 するとトニヤの目から涙が溢れる。


「降りたくない」

「降りろ」


 ジャンクが乱暴に吐き捨てる。


「……降りたくない」


 そう言うと声を上げてうわあんと泣き始めた。


「どっちなんだよ」


 ジャンクが呆れたようにこぼした。




 その夜、トニヤはやっぱり星空を眺めていた。良く晴れて綺麗な夜空だった。昼間泣いたせいか頭がすっきりする。


 少し小さい頃のことになるがセラは星に詳しく、よく小さなトニヤを森で一番高い展望台へと連れて行ってくれた。夜空を眺めながら、星の名前をたくさん教えてくれた。殆ど忘れてしまったけれど、その煌めきは今もトニヤの心にある。


「あ、イシュファー」


 イシュファーは騎士の星だとセラが言っていた。騎士のまたがった馬の尾の付け根にあたる星で、良く見ると赤い。とても年老いた星なんだよ、とそれだけはなぜか覚えている。


 きいと背後で木戸の音がして振り向くとジャンクが酒瓶片手にやってきた。

 黙ってトニヤの隣に座るとぐびぐびと酒を喉に流し込んだ。


「殴って悪かったな」


 そう言うと酒瓶をドンッと甲板に置いた。少し酔っているのだろうか。長い沈黙の後、彼は徐に語りだした。


「世の中にはよう、なんでこんなこと頑張ってんだ、って人間が居るんだ。いや、それが大半か」


 トニヤは顔を向けた。自分に何かを語ろうとしている意図が感じられた。


「毎日、毎日漁をして漁港に運んでそれを売って。こんなこと頑張って何になるんだ、って思う時もまあ、三年に一回くらいはある。でも、考えてみろよ。オレたちみたいに魚獲る人間が居ねえと皆魚が食えなくなっちまうんだ。楽しみにしている人たちが居るのに何もあげられなくなっちまうんだ」


 トニヤは静かに頷く。


「お前の着ているその服、靴、魚、肉、野菜、果物。お前の生活はそういう『馬鹿らしい』を乗り越えてきた人間の仕事で成り立ってるんだぜ」


 トニヤは言わんとしていることを感じてハッとした。自分の浅はかな我儘はそれに関わる全ての人たちを馬鹿にしたのだ。急に心が空くを感じた。


「華やかに映らないものが時につまらないこともあるだろう。でも、人生ではそういったものの中に喜びを見つけることが必要になる」


 トニヤは目頭が熱くなるのを感じた。目を懸命に擦り、泣くのを我慢する。ここで泣くのであれば自分はやっぱり子供だ。


 その様子を見ていたジャンクが頭をぽりぽりと掻く。


「ああ、説教臭くなるが何事も一流になるには三年が必要だ。一流の漁師になりたいなら三年は乗らないと……」


 急に照れ隠しで話題を逸らしたのがトニヤには伝わった。可笑しくてつい笑ってしまった。ジャンクはトニヤから視線を外すとすっと眼差しを上げて星空を見た。


「頑張れるな」

「はい」


 トニヤは小さな声で頷いた。


「ごめんなさい」


 堪え切れない涙がほろほろと零れてくる、それを懸命に拭った。


「構わねえよ」


 そう言うとジャンクは残りの酒飲み干した。




 次の日からトニヤは懸命に働いた。


 興味の無かった魚の名前も積極的に覚えたし、ジャンクに師事して船の仕事も覚えた。以前はよく理解していなかった動作、それらに全て意味があることにも気付いた。

 そうして日々は過ぎ、セレス号は丁度ノーザンピークとドムドーラの真ん中の海域へと入った。


「ムルティカに寄港してクルタス神を拝む」


 皆の前でディードがそう宣言した。端々で「ついに来たか」と呟く声が聞こえた。


「クルタス神」


 トニヤは呟いた。


「トニヤ知らないのか。この精霊の大地を作った神様のことだよ」

「知らない」


「クルタス神が大地に精霊の命を播いてそれが北の地で芽吹いた。それが精霊王となり精霊王の血が星を巡って……まあ、とにかく精霊を作り出した偉大な神様のことさ」

「へえええ」


「この海域では時々船が消えるんだ。原因は分からないけれど恐らく精霊の力によるものなんじゃないかって言われている」

「だから、クルタス神を拝んで精霊が船に悪させぬように祈る」


 ディードが力強く言った。


「安全な航海が出来るようお前たちも祈れ。間違っても加護を疑うんじゃないぞ」

「船長はムルティカの出身なんだ。だから信心深いんだよ」


 ノアがこっそりと耳打ちするのでトニヤは「なるほど」と頷いた。




 ムルティカへと上陸したトニヤはノアと共に市場を歩いた。


 色とりどりの民芸品に目を奪われて再々足を止めた。

 店主の腕に子猿が巻きついている店や色鮮やかなトカゲが売られている店、豪快に焼かれた豚、これまで見てきたどの島よりも個性的で、情緒に溢れ、ノアとはしゃぎながら歩いた。


「お兄さんたち」


 呼び止められて立ち止るとアクセサリー店の女性店主が声を掛けてきた。


「お兄さんたち船乗りだろう。セイレーンの伝説は知っているかい」

「セイレーン」


 トニヤは聞き返した。


「海の魔物さ。この海域の船の遭難はセイレーンが関わってるって噂なんだ」

 ノアがしたり顔で教えてくれた。


「このネックレスはセイレーンの邪気を払う特別な力を持った石だ。これを持ってクルタス神を拝礼するといい。きっとクルタス神がお守り下さる」


 女性がそう言って二人の前に突き出したのは紺碧の小さな石が先端についたネックレスだった。


「いくらなの」


 ノアが問うた。


「一つ二千五百ディルのところ二人で三千ディルにオマケするよ」


 三食食べられるほどの値段だがこれで安全が買えるのなら安い。結局、二人で金を出しあってネックレスを購入した。


 購入したネックレスを首にかけ荘厳な神殿を参拝する。


 神殿の中に佇んでいた石像の御神体はこの町にあるどの建物よりも高い。彼が覗いているのはティエリア海に浮かぶ全ての船なのかもしれない。

 どうか無事海を渡れますように、石を握り締め航海の無事を祈る。


 真摯な気持ちで参拝した後、ノアが飯に行こうと誘ったので地元の屋台を探すことにした。美味い食事を楽しんでいると、肉料理を運んできた女性店員が「あんたたち騙されたね」と笑った。

 トニヤとノアは意味が分からず女性を見た。


「セイレーンの伝説だとか何とか言ってその高いネックレス売りつけられたんだろ」

「えっ」


「あの店はずっとそうやって漁師相手に商売してるんだよ」


 そう言って女性は皿を机にドンと置く。


「この二年セイレーン何てこの海域で出ちゃいないよ」


 トニヤはあんぐりと口を開けた。


「それ本当ですか」


 ノアが叫ぶ。店中に響く声だ。


「二年前にね、とある船舶がセイレーンを見たという噂だ。けれど船舶も乗員も無事。それきりセイレーンに遭遇した船の噂はないよ」


そんなと零した後、二人とも二の句が継げなくなった。

食事を終えた二人は鬱屈した気持ちで市場を歩いた。


「コレどうしような」


 ノアがネックレスをぐるぐると回す。トニヤは首にかけているがどうも信じる気持ちは湧いてこない。


「お守りだ何だって他の人に売りつけちゃおうか」

「お守りをそんなことにしていいのかな」


「ああ、損した」


 ノアはそう言うとネックレスをズボンのポケットへと仕舞った。

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