3-3 ムルティカの夜

 船は初めの寄港地、ムルティカへと到着した。ティエリア海に浮かぶ島だ。

 港に接岸するとたくさんの乗客が船舶を降りた。ただ、荷を持って降りた乗船客はほんの一握りで、ほとんどが羽伸ばしと観光目的に船を降りた。

 皆、相当陸地が恋しかったに違いない。


「ああ、陸地」


 マーティスが恨めしそうに呟く。積荷の仕事があるので彼には自由時間がない。仕方なくセラは一人で島を巡ることにした。


「お土産に官能本を探してくるよ」

「ホントか、ホントだぞ」

「嘘だよ」


 二人で腹を抱えて笑い合い別れると、セラはムルティカへと降りた。 


 港を離れ、すぐ近くの蛇のように長い市場へ足を踏み入れた。独特の香の匂いがする。大変に信仰の厚い島のようで、道の至る所に祈りの花が奉げられていた。


 ムルティカは溶岩で出来た島のようだった。

 露店の裏手にそびえる黒いごつごつとした岩山。その岩山の手前には信仰対象となる立像が立っていて、祈りをささげている現地人も沢山見られた。


 観光客と現地人は一目瞭然だった。現地人の男性は焼けた褐色の半身をさらけ出して腰元に単色の布を巻き、女性は色とりどりの大判の布を体に巻きつけて木造りのアクセサリーを首や手首、足首に身に着けていた。


 歩きながらセラは咽返るほどの熱気を感じていた。声が飛び交い、至る所で値段交渉が行われている。

 市場の入り口で多く売られていたのは多色織りの絨毯、ガラスの吊るし飾り、木彫りの人形、観光客向けの民芸品が多かった。買う気はなかったけれど時々足も止めて商品をよく見た。


「お兄ちゃんこれ要らないかい」

「金持ってないんだ」


 そう言うと商売人は皆身を引く。マーティスに教えてもらった便利な挨拶だ。

 だが、売っている物はどれも丹念に作られた物のようで素晴らしく、なのに値段を聞くとそれほど高い物ではなかった。


 奥へ進むと次第に民芸品の店が無くなり、代わりに食料品店が軒を連ねた。野菜、果物、魚介類、島民の生活の基盤を支える場所のようだ。

 頭に大量のフルーツが乗ったかごを乗せて運んで行く女性、それを追いかける小さな子供、荷車を引き魚を売り歩く男性、煩雑だが非常に活気があった。


 捲るめく露店に気を取られ、気付けばいつの間にか市場を抜けていた。人は途端に少なくなり音が途切れる。代わりに目の前にそびえる荘厳な石造りの建造物、思わず見上げ圧倒された。


「少年はクルタスの神々を御存じか」


 隣で声がして見降ろすと白髪で杖をついた背の低い、品のいい老婆がいた。


「知らないな」


 セラが首を振ると老婆がゆるりと話し始めた。


「世界の始まりの日、北の地にクルタスの神々が精霊の生き血を播いた。精霊の血から生み出されたのは最初の精霊、精霊王だった。精霊王は血脈を星に張り巡らし、その血脈を経脈というが、経脈とこの星の意思が混ざり合い、数多の精霊が誕生した。

 精霊はいわば精霊王の分身。そしてこの神殿は全ての始まりであるクルタスの神々を祀る場所。信仰の始まりはその昔、クルタスの神の一人ヤットがこの地で逗留した伝説にある。この地を幸運にも訪れたのだからクルタスの神々に感謝していくといい」


 そう言うと持っていた一輪の花をセラに手渡した。セラは花を手に石造りの古びた社を潜った。


 経脈という言葉は副船長から借りたスコットリドリーという学者の本にもあった。この世界に精霊王の生き血である経脈が流れていて、経脈の上に万物が蓄積すると偶発的に精霊が発生するという考え方には賛同できる。

 実際、精霊が見えるセラには経脈という物の存在が強く感じられた。


 命の森、海の上、行く先々で不思議な魂の流れを感じてきた。だが、神が云々ということに関しては正直首を傾げた。セラは無神論者だ。精霊王を播いたのがクルタスの神であるとか、彼がこの地を訪れたとか、もしここが精霊の加護を受けた島であるならば精霊は姿を現すだろう。


 花を祭壇にそっと奉げるとセラは手を組んだ。偉大な精霊が居るのであれば姿を現してほしい。自身の身に起こったことを教えて欲しい。


 そう願ったけれど、結局精霊は姿を現さなかった。


 人々の信仰と精霊の意思は違う所にあるのかもしれない。船へと戻りながら何となくそんなことを思った。神々を祀ったからといってそこに精霊が宿るわけじゃない。実際この島に精霊はいない。


 その理由はたったひとつ。


――恐らくこの島には経脈が流れていない。


 この島は精霊の加護を受けた島では無い。経脈と言うものがはっきり見えるわけではないが、森や海で感じた微妙な感覚がこの島では感じられなかった。


 だが、それを指摘する必要もなければこの島の人々が真実を知る必要もない。クルタスの神が訪れたこと自体は本当かもしれないし、それとこの島に精霊がいないのは関係の無いこと。


 信じることで救われる人もいるのだからそれでいい。祈りを奉げる人々を眺めてそんなことを思った。


 船に戻るとマーティスが抱擁してきた。


「仕事終わったんだ、女遊びしようぜ」


 セラは呆れ顔をした。


「おいおい、まさか女に興味無いって言うんじゃないだろうな」


 セラは声を出して笑うとひと言「ないよ」と言った。


「去年の旅で見つけたいい店があるんだ。今夜一緒に行こう」


 余り気は進まないけれど、マーティスの頼みだ。セラが「いいよ」と言うとマーティスは喜んで肩を組んだ。




 夜、マーティスと島の如何わしい店へと繰り出した。布を簡易に張った屋根の下に高さの無いソファがあってそれに座って若い女性の接待を受けた。

 マーティスの隣に一人、セラの隣に一人。

 セラの相手をしたのは同年代くらいの魅惑的な女性だった。


 酒が深くなりマーティスが同伴女性とどこかに消えて残されると、セラの同伴女性がセラにより近づいてそっと言った。


「あなた精霊と深く関わったのね」


 小さな唇で言うのでドキリとする。セラの襟を少し開けて文様を認めるとほのかに笑った。


「初め見て分かったわ。私と一緒なんだって。ワタシそういうの生まれつきちょっと分かるの」


 そう言って、自身のくびれた腹を見せた。


「ワタシは母の腹の中で呪詛を受けた。母はこの島に家族で渡ってくる前に呪詛で死んで、もうじきワタシも死ぬ。日に日に大きくなっていくこの文様を見つめながら恐怖と闘っているの」


 女性の腹にはセラとは比べ物にならないほど大きく禍々しい痣のような文様があった。


「呪詛を取り去る方法を知らないか」


 セラはそう言って酒を煽った。


「知っていたら今頃こんなことをしていない。もっと希望を持って生きてる。ワタシに出来ることはないわ」

「そうかもしれないな」


 可哀そうな女性を気遣うことも出来ない、自身が同じ運命にあるからだ。


「あなたの物言い好きよ」


 女性は首に掛けていた紺碧の石のネックレスを外した。


「ワタシのような人が現れたら渡そうと思っていた。クルタスの神々のお守りよ。毎日、これを握り締めて祈ったけれどワタシにはもう必要ないから」


 そう言うと女性は自身の身の上を話した。

 呪詛を持つ体であることを隠して兄の借金の形に好きでも無い富豪の家に嫁入りすること、本当は愛する人を見つけ幸せに暮らしたかったけれど、どうせもうじき死ぬからと笑って話した。


 別れ際、女性はセラの手を握り「航海の無事を」と祈ってくれた。




「旅の醍醐味は旅情にある、自身を知りたいという好奇心を満たすためにただひたすら私は旅を続けるのだ」


 船舶の甲板でセラはサリスの旅情の一文をそらんじた。


 貰ったネックレスを月明かりに掲げる。とても深い青と少しの黒を含んだ奥深い石で、だがこんなもので人生が変わるとは思わなかった。

 それでも彼女の同情が嬉しかった。

 旅をするということ、今感じている物が旅情ではないか、セラはそんな風に思う。


「たぶんまだ受け入れられないんだ」


 自身の運命を突き付けられて戸惑う気持ちと生きたいという気持ちが綯い交ぜになる。


 神に縋るのは意味の無いことだと思ったけれど、祈りたい気持ちは心のどこかにあった。呪詛から逃れたい。

 そう思うと胸の文様が痛む気がして服の上から胸を押さえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る