3-2 出会い

 オミールの息子マーティスが帰省したのは夏のことだった。世界を旅する船舶で乗員として働いていて一年ほど航海していたという。

 店はマーティスの同僚で溢れセラは時間も忘れて給仕した。


 空いた皿を片づけようと腰を曲げた時、副船長の男が「でっかい刺青だなあ」と言った。セラはとっさに服を引き上げたけれど、彼にはしっかりと見られていた。

 副船長は煙草を燻らせた後、落ち着き払った声で「呪詛に似ている」と呟いた。


「呪詛?」

「精霊の呪詛だ。この世には善良な精霊と悪意を持った精霊が居て、悪意を持った精霊は触れた人間に呪詛を残す。呪詛はその人間を死ぬまで苦しめ、人生を奪う」

「……」

「と、本で読んだ」


 そう言って副船長は高笑いをした。


「何という本ですか」


 セラは思えば長らく本を読んでいなかった。


「あー、何だったかな。リド……いや、違うな。スコット……そうだ、スコットリドリーという学者の本だ。タイトルは『精霊学』と言ったかな。ああ、船に置いてある。今から持ってこよう」


 そう言ってよろめいて立ち上がるのでそれをオミールと二人で押しとどめる。


「何の冗談だい、副船長さん。本は明日にしてくれよ。海にでも落っこちたら大変だ」


 皆で笑ったけれど、セラは笑う気になれず、副船長の口にした『呪詛』という言葉を頭で繰り返した。




 翌日、副船長が自宅に本を持ってきた。酔っていても覚えていてくれたのかとセラは感心した。セラは副船長を部屋に招き、冷たい茶を出した。

 副船長は美味しそうに茶を啜り、「ああ、頭が痛い」と言って帽子を机に置いた後、「本を読めばわかることだが」と言い置いて穏やかに語り始めた。


「精霊というものは万物の蓄積から生まれる。自然の命だったり人々の命や恨みだったり、その根源は多種多様でその結果、この世には色んな種類の精霊が居るそうだ。

 善意から生まれた精霊は穏やかで大人しい。だが、悪意から生まれた精霊は人に害を及ぼす。オレは以前荒れる海で一度だけ海の精霊に会ったことがある。船を飲み込むほどの大きな波を起こし、結果船員が二人死んだ。

 恐らくあの精霊は海で死んだ人間の魂から生まれた邪精に違いない。以後、海に出る時はいつでも怖くなる。精霊の姿が見えやしないかとドキリとするんだ」


「昨日、呪詛と仰いましたけれど」


「そうだったな。呪詛。スコットリドリーという学者は遺恨という言葉を使っていたけれど、悪しき精霊の中には関わった人間に呪詛を残す者がいる。そうしたことが出来るのはとても力を持った精霊らしい。

 精霊の呪詛は非常に強力で受けた人間を死ぬまで苦しめる。キミの胸の傷は見たところ本で紹介されていた文様と少し似ている。全く一緒とは言わないけれど、近いのではないだろうか」


 そう言って副船長は極太の指で本をぱらぱらと捲った。出てきたのは手書きの絵、それはセラの胸にある物と少し似ていた。


「呪詛を受けた人間は死ぬのですか。長く生きられないのですか」

「さあ、どのように苦しいかは書かれていなかった気がするが」


「この文様が出来てから苦しいことは特に有りませんでした。自身でも全く変化に気付いていなかった位です。もしこれが呪詛ならその呪いを解く方法はあるのですか」

「呪詛を解く。私は大して精霊に詳しくないから分からないけれど著者なら知識はあるかもしれんな」


「著者?」


「スコットリドリーだよ。この本はステラという占い師の町で直接本人から買った物なんだ」


 セラは目を見開いた。


「少し変わり者だが穏やかな優男で、けれど精霊についてはさすがに詳しかった。聞けばきっと知識を授けてくれるだろう」


「ステラと言う町はどこにあるんですか」

「ノーザンピークの山沿いにある。もし行きたいなら運賃を払えば連れて行くことも出来るが」

「運賃」


 困っていると「あるよ」と声がして、振り向くとオミールが立っていた。


「この子がふた月働いて貯めた金がある。それで乗せてやってくれないか」

「オミールさん」


 オミールは箪笥を開けると袋を取り出した。それをセラに手渡す。重たい金の感触がした。十分すぎる量である気がした。


「お行き。私は精霊の事情何て知りやしないけど、それは命を蝕む物なんだろう。だったら何とかしないと」


 そう言ってセラの肩を叩いた。話はしっかり聞かれていたらしい。


「よし、決まりだ。キミをノーザンピークまで乗せよう」

「でも」


 オミールを気にして伺うと副船長は笑った。


「この人はそういう人なんだよ。困っている子供を見つけては店で働かせて自立のための手伝いをする。彼女の元を離れ立派に生きている人間はたくさんいるんだ」


 するとオミールははにかんで腕を組んだ。


「あんたと暮らせて楽しかったよ。戻ってきたら旅の話を聞かせておくれ」


 そうしてセラは三日後、世界各地を巡る船舶に乗り込み、北の大陸ノーザンピークを目指すこととなった。



       ◇



 午後が近づき日差しが熱くなってきたので、セラは本を抱え船室へと戻った。自身のハンモックに身を持たすと本を再び開く。集中して文字を追っていると隣のハンモックでオミールの息子のマーティスが身じろぎした。


「はあ、良く寝た」


 マーティスは夜勤で今朝戻ってきたところだった。


「セラ、今度は違う本読んでるのか。あのエロ本はどうだった」


 セラは思わず笑う。何ともあけすけの無い言い方だ。


「すっごく良かったよ」

「ホントか」


 マーティスがいきなり食いつくので思わず可笑しくなる。


「あんまりおすすめしない」

「なんだ、期待して損したじゃんか」


 二人でケラケラと笑う。


「昼飯一緒に食べようぜ」

「いいよ」


 セラは読み始めたばかりの本をハンモックに残すとマーティスと一緒に船室を出た。




「お前、本当に体は何とも無いのか」


 昼食は甲板の日陰で取った。小声でマーティスが心配してくる。この船でセラの事情を知っているのはマーティスと船長、副船長だけだ。


「平気」


 セラは豆を口に運ぶと少しお道化たような表情をした。呪詛のことは何となく伝えているけれど、日常的に精霊が見えるということは明かしていない。言えば受け入れてくれるかもしれないが、過去がセラを押し留まらせた。


 普通の人間には精霊が殆ど見えない。精霊が見えないことに安心しきっている副船長の隣にだって精霊はいるし、波間で戯れている精霊もたくさんいる。

 真夜中、起きだして甲板に出ると精霊がたくさんいてセラの顔を見るなり近寄ってきた。


 夜に浮かぶ彼らの透ける姿は美しく、そうしていると森を思い出した。一人だった過去。人恋しいと思ったことは無かったけれど、今ある物を失うと辛いかもしれない。だから、秘密は秘密のままでいい。


「今夜、またひと儲けしようぜ」

「好きだね」


 マーティスがいたずらに笑うので、セラも苦笑する。船旅に飽きた乗船客たちは毎夜カードゲームに興じていた。マーティスの仕事が休みの時、二人でよくそれに加わってひと稼ぎした。


 セラの勝率は八割、始めはインチキを疑う者もいたけれどその証は無く、無謀な勝負と知りながら勝負を挑んでくる者たちは後を絶えなかった。その理由はセラの掛け金の高さにある。

 殆ど全財産ではないか、と思われるような掛け方をするのでそれを奪いたいと思う者たちが船には大勢いたのだ。


 ではセラはインチキをしていないのか。実際のところセラはインチキをしていた。


「セラ、勝てるよ」


 精霊が指を差して相手のカードの札を教えてくれる。持っている手札はセラの方が大きい。そしてセラは何事も無かったように降りずに勝負を挑む。

 結果、勝利を収め大金を手にする。インチキばかりでは疑われるので、時々わざと負けて人々の疑義を逸らした。


「ああ、負けたあ、仕事だ」


 マーティスが伸びをする。マーティスはやはりセラほどに強くない。何せインチキをしていないのだから。セラは儲けた金の一部をマーティスへと分けた。


「持つべき者はカードゲームの強い友人だな」


 自身への呆れ交じりの声を上げながらもマーティスは嬉しそうに金を束ねる。

「お前に出資してこれからはオレは高みの見物でもしようかな」

「お前がやらないならオレもやらないよ」


 冗談言うなとマーティスが背を叩く。

 マーティスはセラとこぶしを合わせ「じゃあな」と言って立ち去った。


 セラは勝負を止めて船頭へと歩き、風を一身に受けた。夜の黒い海を割って勢いよく進んでいく船。風に混ざるのは潮の香り。昼間の太陽の位置はだいぶ低くなった。昼間は未だに暑いけれど夜はもう涼しい。


「星が綺麗だな」


 海を渡る精霊に話しかける。セラは夏の終わりを感じた。

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