2-2 旅立ち

「セラはどうして大樹を燃やしたんだろう」


 何気なく呟いた言葉に母が夕食を食べる手をとめた。


「燃やしたセラを怨んでいる?」

「ううん、フィボットさんがセラを信じろって言ってくれたんだ。でも、不思議で」


 母は黙って耳を傾けてくれた。


「精霊が見えたセラが精霊の宿った大樹を燃やした。大樹にいたのは森を守る精霊だった。セラは森が憎かったのかな」

「一度聞いてみたかったわね。どんな思いで森で過ごしていたのか」


 そう言って母は茶を注いでくれた。


「セラに会いたい?」


 トニヤは頷くと力を込めて言った。


「帰ってきて欲しい。また、三人で暮らしたい」

「そうね、母さんもそう思う」


 母は口元に柔らかい笑みを浮かべて頷いた。


「あなたもそういう歳ね。話しておきたいことがあるの」



       ◇



 トニヤはベッドに仰向けになって天井を見つめながら母の言葉をずっと繰り返し繰り返し思い出していた。母の明かした真実が再度脳裏に浮かぶ。



――セラは血のつながった息子じゃないの。



 頭の中が真っ白になるくらい驚いたけれど、なんだかこれまでの疑問がスッと腑に落ちた気がした。兄弟なのに自分には無理でセラにだけ精霊が見えた理由。


 セラは十七年前、森の入り口で行き倒れになった女性が抱えていた赤ん坊だった。森の住民同士の話し合いで、当時子供に恵まれなかった両親が引き取ることになり大切に大切に育ててきた。


 赤ん坊の頃、誰もいない空間を見てきゃっきゃと笑う仕草には、両親も不思議がり、セラには精霊が見えるのかもしれないねと冗談めかして話していたという。


 言葉を覚えるくらい成長するとセラは不思議なことを言いだした。精霊と友達になったと。始めは両親も半信半疑だったが特に嘘を吐いているという風ではなかったので信じることにした。


 やがてセラには精霊が見えるという噂は森中に広まり、あいつは頭がおかしいんじゃないかと誰もが嘲るようになった。


 結果、精霊はセラを孤独にした。孤独が本人にとってどうだったかは正直分からない。賑やかな方で無かったし、話したところで同年代の子供たちとも会話は合わなかっただろう。それほどに利発で大人びた子だったと母は話した。



 時折両親は精霊が見える理由について深く考えた。父は外の大陸に出るとセラのような人種を探した。けれども見つけられず、代わりにその類の本を読み漁り、得られたことはその都度母に教えた。


 死期を迎える人間には精霊の姿が見えるだとか、精霊とは霊魂のことであるとかいろんな情報を得て、でも結局本当のところは分からなかった。


 その代わりどの文献にも共通して書かれていたこと、『精霊は稀に人に姿を見せる』。やはり、常日頃から精霊に接しているという時点でセラは特別であったのだろうと母は締めくくった。


 トニヤには分からなかった。セラの本当の気持ちが。ビョーキと陰口を叩かれていたことは知っていた。悔しさのあまりトニヤは友人たちと口論をして泣きながら帰ったこともあった。けれど当のセラはどこ吹く風、気にしていない様子だった。


「セラはビョーキなんかじゃないよ」


 泣きじゃくりながら声を絞り出すと屈んだセラが優しい目をしてトニヤの頭を撫でた。


「ありがとう」

「嫌じゃないの」


 少し考えるようにしてセラが言葉を纏めた。


「オレは自身がそうじゃないって知っているんだ。だからそれでいいんだよ」

「よくない」

「トニヤも分かってくれている。母さんもね。だから、それを他人が理解する必要性はないんだ」


 とても難しい言葉、トニヤに取ってはとても難しい物の考え方だった。


「言ってること分かんない」

「泣かなくていいってことさ」


 そう言ってセラはトニヤを抱きしめた。本当は悔しくて落ち込んだことくらいあったかもしれない。でも、セラはトニヤに弱さは見せなかった。

 トニヤは友人たちと遊ぶのを止め、セラの側に何も言わず寄り添った。ボクたちは兄弟なんだ。そう思うだけで心が温かくなった。




 窓辺で星を見ながら考える。今頃セラはどこで何をしているのだろう。一人で気ままに世界を旅しているのだろうか。トニヤは外の世界を見たことがない。森の外にはどんな世界が広がっているのだろう。


 書庫で読んだたくさんの物語に描かれていた大国の歴史、そこに生ける人々。海を渡り、山を越えていくと広がっているのは果てしない大地。想像出来得る全てのことを思い浮かべる。


 まだ見たことのない人が遥か彼方で物語を綴っていることの不思議。それを自分が読んだことの不思議。瞬く星を眺めながら、ただそんなことを考えていた。



       ◇



 長老が死んだのは秋のことだった。死ぬ直前、長老は床から身を起こし、天に引っ張られるように手を伸ばして、私は悪くない私は悪くないと繰り返したという。彼女に子は無く、森ではすぐに後継者争いが起こった。


 五人程が手を上げた中で一番有力だったのはニールという三十歳の青年だ。

 彼は森を立て直すことを皆に強く主張した。木を植え、森林を管理し再び精霊の住まう森に戻す。始めは尻込みしていた人々も次第に同調して、話し合いの結果彼を主導者に据えて早速木を植え始めることになった。


 人々は久々に気概に溢れていた。フィボットの助言で枯れかけた木々は撤去し、その場所に育ちやすいダナの木の新芽を植えた。

 森の再生には果てしない時間が掛る。自分たちの代では終わらない大業かもしれない。皆、心の中にそれぞれの不安はあったと思うが、それをひた隠しにし、心を一丸にして森の再生に取り組んだ。


 ある日、トニヤは森に佇むフィボットを見つけた。その顔は浮かない。トニヤはそっと近寄り「どうしたの?」と問いかけた。


「木が育っていない」

「だってこんなに元気じゃない」


 そう言うと、フィボットは首を振ってナイフを取り出した。人の背丈ほどに育ったダナの木の先端を切り、断面をトニヤに見せた。断面は枯れていた。


「やはり精霊がいないと無理なのかもしれん」


 諦めの混ざったような声だった。


「みんな本当に居なくなってしまったのかな」


 目頭が熱くなり震える声を隠せなかった。


「分からない。何せ我々には精霊の姿が見えないからな」


 トニヤは悲しい気持ちを精一杯堪えるように手をグッと握り締めた。


「セラが居たら、セラが居たら何か分かるのかな」

「ずっと永遠の命なんてない。枯れてしまったら別な場所に移ればいいさ」


 フィボットはトニヤの肩を優しく叩くと、集落へと戻っていった。




 トニヤは大樹の焼け跡でぼんやり考え事をしていた。


 煤けた土は大樹が激しく燃えた証、あの時立ち上る火は家からでも見ることが出来た。生臭い匂いは一週間以上消えず、人々の心に苦い記憶となって残った。セラが火を放った理由。森を離れた理由。自分や母に何も相談しなかった理由。考えても答えは出てこなかった。


 日に日に募るのは懐かしさ。大好きだったセラの記憶。声が聞きたくて、もう一度微笑んで欲しくて、一緒に緑の森を歩きたくて堪らなかった。


 書庫に行っても部屋を覗いてもセラはもう居ない。ツウっと涙がこぼれてきた。こぼれた涙は大樹の焼け跡へと沈みこむ。


 集落に戻ろう、ここは長居する場所ではない。その場を離れようとした時強い風が吹いた。南から北へと抜けていく季節風だ。風に乗って力強い女の声が響いた。


「北へ向かいなさい」


 トニヤは驚きのあまり天を振り仰いだ。即座に精霊の声に違いないと思った。でも、探してもそこに精霊の姿は無かった。




「セラに会いに行く」


 トニヤは帰宅するなり母に駆け寄った。母は驚いて皿を落とすところだった。


「会いに行くって。居場所は分かっているの」

「北だよ。精霊が北にいるって教えてくれたんだ」

「精霊が見えたの?」

「ううん、見えなかった」


 不可解な口振りに母は眉根を顰めた。


「でも母さんまた三人で暮らしたいでしょ。そう言ってたじゃない」


 母はそうだけど、と言って黙ってしまった。トニヤは母の両手を握り、真剣な眼差しを送った。


「セラを連れて帰るよ」

「トニヤ、気持ちは分かる。お母さんも出来るなら一緒に暮らしたい。でももう、この森にセラの居場所は無いわ」


「だったら新しい居場所を見つけよう。皆一緒ならどこでも生きていけるよ」


 母は視線を下げて、そうね、と呟いた。


「でもセラは会いに来て欲しくないかもしれないわ」

「ボクは会いたい。だってたった一人の兄さんなんだもの」


 トニヤは力強く心を込めて懇願するように言った。母は黙って考え込んでしまった。永遠のように感じられる沈黙の後、母は深く頷いた。


「分かった」


 トニヤは驚きのあまり目を丸くした。


「いいの?」


 あまりのあっさりとした許可に気抜けした。許してもらえないのなら一人出ていこうとさえ思っていたのだから。


「でも条件があるわ」

「条件?」

「二人で帰ってくるのよ」


 トニヤは瞬きした。


「貴方たちは二人とも大切な息子なのよ」


 母はそう言ってにっこり笑うとトニヤを抱きしめた。トニヤは温かい母の胸でそっと瞳を閉じた。



       ◇



 森の住民たちが冬支度を始めた頃、トニヤは母シーナと唯一事情を告げたフィボットに見送られ集落を出た。春になってからでもとシーナは心配したが、早く会いに行きたいとトニヤが言ったため意見を尊重した。

 他の人々はトニヤの旅立ちを知らない。それほどに、住民たちはこの親子に無関心だった。


「よく行かせる気になったな」


 小さくなっていくトニヤの後ろ姿を見送りながらシーナの隣に立つフィボットが呟く。


「この森に居ても今は辛いだけだから」


 シーナの顔に曇りは無かった。


「生きるということは楽しくもあり時に辛い。だが、いつでも前を向いていて欲しいと思うのは親の性かも知れんな。もっとも私に子はないけれど」


 シーナは笑って頷くと後ろを心配そうに振り向いたトニヤに手を振った。


 トニヤが戻ってきた時、森はもうないかもしれない。でも、生きようと足掻くことは出来る。力を合わせ困難を乗り越えていくこと。森に生きる人々にはそれしか出来ない。


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