1-5 命の連鎖

 セラが無限に広がる闇の中で触れたのは孤独な一本の木の記憶だった。

 始めこの場所に森は無かった。小さな小さなジュナの木が一本だけ。

 最初に木に近づいたのは野生の白馬だった。


 飢えてやせ細った白馬はジュナの木に近付き、たったひとつの実を分けてほしいと懇願した。木は快くそれを分け与えた。だが実一粒では腹が張るはずもなく、ひっそりと食事を終えた白馬はそっと木を包み込むように寄り添いやがて息絶えた。


 赤いジュナの実は腐りゆく白馬の体内で芽吹き、死骸を突き破って新しい木となった。新しい木は白馬の体を栄養に少し大きな木へと成長し、そばにあった元の木に覆いかぶさるように絡みつき、伸びた枝には新しい実がなった。今度は3つ。

 そして白馬の魂を取り込んだジュナの木は心を持った。


 孤独なジュナの木の元にやってきたのは熊の家族。

 冬籠りの場所を見つけられず困り果てていた家族に、厳しい冬はここで過ごすといいと言って実を分け与えた。家族は心から感謝した。


 実を食べて冬眠についた熊たちの胃の中でジュナの実は再び発芽して、体を突き破り今度は家族三匹分の木が生えた。

 生えた三本の木は側にあった元の木に蔦のように絡みつきより大きな一本の木になった。以降、兎、鹿、猪、鳥にトカゲ。ありとあらゆる野生動物の命を取り込みジュナの木は大樹へと成長した。


 多くの魂を束ねながら、気づけば百年ほどが過ぎていた。周りにはたくさんの木が生えてジュナの大樹を中心に広大な森が出来た。魂を宿したジュナの木はもはやジュナの木ではなくなっていた。


 得体の知れぬ大樹の魂からは意思を持った精霊が生まれ、エルダーマザーとして周辺の動植物を支配するようになった。エルダーマザーは自らがとり憑く木に新しい名前を贈った。


それが――エルダーの木。


 彼らの支配する森は緑豊か。豊富な食料と清らかな水を求めて動物たちがやってきた。森は全ての命を受け入れた。

 その代償として死する時はその身を森に奉げよと告げた。

 動物たちは誓いを守り、自らの生の終わりを悟るとそっとエルダーの実を食べて、エルダーの木の元で永遠の眠りについた。


 生命力あふれる広大な森を目にして『命の森』と呼び始めたのは事情も知らぬどこかの国の愚かな人間たちだった。


 ある時、戦乱が起きて一つの国が滅んだ。生き残った人間たちは身を寄せ合うように大海を渡り、命の森へとやってきた。森で共に暮らしたいと言う人間たちにもエルダーマザーは代償を求めた。


 しかし人間の生は長い、死するまで待てなかった。そこで今度は森に暮らす代わりに一年ごとに一人、仲間の身を奉げよと伝えた。

 始め拒絶していた人間の長老も行くあて無く渋々条件を飲み、一年ごとに仲間を一人奉げる約束をした。


 人間の魂を取り込んだエルダーの木は知恵を覚え、エルダーマザーはまたその成長を喜んだ。


 セラはエルダーの木の記憶を辿りながら恐怖を感じていた。木が意思を持って人を飲んでいるという恐怖。動く獣に喰われるのとはまた違う種類の恐れ。

 人を飲むことを厭わぬ強靭なエルダーの木の無垢な魂をひたと感じる。


 何か強大なものに取り込まれる虚無感には抗いようもなく、その恐怖を包み込むように足元から温かい思いがせり上がってきた。

 温かさが頭部にまで達し、心に溢れる穏やかな気持ちで途端に恐怖が消える。


 景色が膨れ上がり気が付くと、森の書庫に立っていた。


 セラはここでいつも本を借りて森へと持ち出す。窓の外はとても日和が良かった。本の匂いが好きだけれど、でも多分一番好んでいるのはそれじゃない。父が選んだ本の全てが愛しいのだ。


 書庫の中には老若男女たくさんの人々がいた。皆イスに腰かけて本を読んでいる。


「死んだ人たちだ」


 セラは呟く。小さい頃にいなくなったディノ爺さんの姿もあった。


 幼い少女が夢中で読んでいるのは父の書いた『森の秘密』だった。


 セラの視線に気づくと少女は振り返り嬉しそうに笑った。


「たった一人でいいのです」


 セラはおぞましさを覚えた。気持ち悪さが指先にまで届く。少女の声に遠くの席の初老の男が反応する。低くて痩せた男だった。


「たった一人でいいのです」


 耳障りな言葉だ。その声に反応して今度は老婆がしわがれた言葉をゆっくりと絞り出す。


「たった一人でいいのです」


 エルダーの木が自身の思考の中に入り込み引きずり出している幻なのだろう。魂をコントロールして獲物を最終段階へと連れていく呪術に違いない。


「聞きたくない」


 耳を塞ぎ否定するように叫ぶけれど、皆の言葉は止まらない。


「たった一人でいいのです」

「たった一人でいいのです」

「たった一人でいいのです」


 種々の言葉が複雑に絡み合い、大きな魂を作る。叫ぶ声を押しつぶし耳の中へと飛び込んでくる。頭に反響する呪いの声が正常な判断を浸食していく。


 目の前を見ると妖艶に微笑んだエルダーマザーが舞い降りていた。


「さあ、皆と一つになって至高の物語をお作りなさい」


――命の物語は続く。気高き魂を紡いで生ける森の伝説となって。


 彼女が差し出したのは小さな赤い実だった。


「続いていく。これからもずっとずっと……」


 意識が混濁して抵抗することすら出来ずに悪魔を迎え入れた。喉を滑り落ちる異物の正体に気づいた時には遅かった。


「飲んではいけない」


 叫んだ父の声が遠くなる。書庫はだんだんと霞んでいった。




 異物を飲み込むと景色が現実へと引き戻された。闇夜に響くフクロウの声。地面に頽れて、片手で土を掴む。右手の松明だけがパチパチと音を立てている。手は恐ろしさでわなわなと震え、冷や汗がジワリと滲む。しかし、それ以上は何もなかった。


「何ともない。平気なのか」


 幹に目を向けると先ほどまで見えた父やエルダーマザーの姿はなかった。

 飲んだだけではことは起こらないのだろうか。そう思いかけた時、強烈な違和感がセラを襲った。


 景色が揺れる。胃の中が熱くなり、何かが体の中をかけずり回っている。痛くて苦しくて、もだえながら胸元をかきむしりそして跪いて天を仰いだ。エルダーの芽がセラの核を突き破ろうとしている。


「かっ、ああ…………」


 乾いた叫びを空に放った。


 激烈な苦しみが限界に達した時、セラの身に不思議なことが起きた。


 痛みを感じる胸元から眩い白光が溢れ出したのだ。白光は胸元から全身へとゆっくり広がり、足先にまで届く。セラ自身が白く光る生物のように気高い存在となり、衣服が光りを受けてはためく。光が体を脱すると、天を衝くような巨大な白光が頭上へと放たれた。


 神聖な白光は禍々しさに浸されたセラの全身を焼きつくし、奉げる祈りのように天へと消えていく。内臓を焼きつくすような熱さのあと、セラは口元を押さえたが間に合わず、そのままその場で嘔吐した。


「ごほっ、ごほっ」


 むせ込みながらうずくまる。吐き出した実を見て安堵したけれど、いい気持ちはしなかった。身をエルダーの木に奉げようとした。心の弱さが改めて露呈した。


――木の魔力には誰も逆らえない。


 見張りの言葉が木霊する。自身がこれほどに心の弱い人間であるとは思わなかった。


 セラは感覚を確かめるように手を握って開いた。光は消えて、体は何ともない。


「お前は何者です」


 声がして振り仰ぐとエルダーマザーが居た。


「なぜ実に逆らうことが出来たのですか」

 セラは答えを返せずにエルダーマザーを睨みつけた。


「セラ」


 幹にじわじわと父の顔が浮かんでセラに話しかけた。


「エルダーの木を焼き払いなさい」


 セラは驚いて父の顔を見た。


「そんなこと」

 出来ないと言う言葉を遮り父が言を力強く継ぐ。


「千年にわたる呪いを解きなさい」

「でも、それをすれば父さんは」

「私たちを助けて欲しい」


 父の思いに同調するように、次々と幹に気持ち悪いほどの無数の顔が浮かび上がった。皆それぞれに無念の思いを抱いた彷徨える魂だ、数え切れぬほどの命がこの木によって吸われてきたのだ。


「たすケテ」

「タ……スケテ」

「タスけて」

「たす……けて」

「タスケテ」


 助けを求める悲痛な声が混然一体となって反響し空間を揺らす。セラは思いの中に立ち尽くして彼らを見上げる。彼らのために自身が出来ることは一つ――魂の解放。


 木を傷つけようと思って持ってきたナタもこの大きさでは役に立たないだろう。セラはそっと松明を枝垂れた葉へと近づけた。


「お止めなさい、木を焼き払うなど。愚かな行為だということがなぜ分からないのです」


 エルダーマザーはセラの前に立ちふさがった。


「この木が無くなれば森は消失します」


 セラは憎しみを押し込めて反論する。


「森に生ける魂まで無くなるわけじゃない」

「お前は森の全てを否定するつもりですか」


 森の否定は自身の人生の否定になるのだろうか。


「森で生きてきた、それを否定するつもりはないさ」


 セラは口元に笑みをたたえそっと手を伸ばす。


「父さん、愛してるよ」


 そう言うとエルダーの木へと火を移した。火はゆっくりと燃え広がり頭頂部まで駆け上がって深い木の葉を豪快に焼いて行く。炎は幹まで伸びてやがて無数の顔を静かに焼き始めた。呪縛から解放されていくたくさんの声が聞こえる。

 ありがとう、ありがとうと泣きながら感謝する声はいつまでもいつまでもセラの心に響いた。



       ◇



「長老、大樹が燃えています」


 夜半、血相を変えて飛び込んできた森の住民の言葉に長老はひどく狼狽した。


「愚かな。見張りは立っていなかったのか」

「セラがナタを突き付けたそうです」


 長老は悔しげに舌打ちすると夜着に羽織をひっかけて外へと飛び出した。


 朝焼けのように明るい空。それが大樹の放つ炎の明かりだと気付き、皺を寄せる。森が焼失していく臭いが鼻腔を突いた。


「消火を急がぬか」


 責め立てるような長老の言いぶりに堪らず、住人はペコリと頭を下げると急いで森の中へと向かって行った。


「我が先祖の英断の歴史をこのような形で裏切るとはセラはやはり忌子じゃ。悪魔の運んできた災厄じゃ」


 結局その大火は消えることなく巨大なエルダーの木だけを丸ごと燃やし尽くした。住民が大挙して向かった時その場には誰もおらず、木の悲鳴だけが響いていたという。

 火が回り、手の施しようが無くなった住民たちは木の燃え尽き倒れゆくさまをただただ見ているしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る